観光・体験
Sightseeing & Activity
山あいにある緑に囲まれた運動公園。ナイター照明付きの野球場、野外調理場を備えたキャンプもできる運動広場、遊歩道がめぐり休憩広場が点在する昭和の森からなっています。野球場は広く町民に利用されています。
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。天正10年(1587)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。同年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察し、町割りに着手した。その際、当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。現在、屋敷跡には秀吉を祀る豊国神社が明治19年(1887)に創建され、町割りに使った6尺6寸の間杖がご神体だっ...
伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされている。享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぐたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていた。神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされている。
附近に皇后の朝鮮出兵...
平家落人の里として伝説の残る唐原の里。
ここの林道から谷川沿いに小道を登ると見えてくるのが千寿院の滝。
高さ約20mで白い水しぶきとなって流れ落ちる様子は見事。夏場でも涼しく、観光客で賑わう。
JR奈多駅の北側の松林に囲まれた砂丘上に鎮座。祭神は火明神や豊玉姫神などで、農業と漁業の神として信仰されている。一の鳥居をくぐった右手に建つ志式座(市指定文化財)は、間口16.3m、奥行5.27mの桟瓦葺切妻平入の建物で、舞台の下手には7.22mの花道が常設され、現在も神社の祭りで使用されている。11月19日(旧暦10月19日)の秋大祭には、県指定無形民俗文化財の「早魚(はやま)行事」が奉納...
続風土記拾遺にその由来が記されている日吉神社の境内と、それに隣接する那珂川の中洲全体が中ノ島公園。県天然記念物のオガタマノキなど大木が茂る中、夏はひんやりとした風が吹き利用客で賑わいます。公園内には生産物直売所もあります。
ヴィヴィッドな色彩が青空にとても映えます。パリ生まれの現代フランスを代表する美術作家である作者は、風変わりでユニークな作風で人気を博し、世界各地の広場などに作品が設置されています。
この彫刻は、頭が鷲で身体が人間の姿をした古代エジプトの天空神・太陽神である「ホルス」と、愛を司る神「キューピッド」を合体させたものだそう。翼を大きく広げ、愛を空から受け止めているのでしょうか、あるいは愛を空へと放...
宇美町の観光資源である三郡山は、福岡平野と筑豊盆地の間に位置する標高936m、宇美町で一番高い山です。春の山野草、秋の紅葉、冬の河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)など四季折々の魅力を楽しめます。三郡山の麓にある「一本松公園(昭和の森)」から約150分で登頂できます。
大乗寺は法皇山宝珠院と号して、昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。 この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩板碑、蒙古碇石があります。
市内随一の大社で、古くから地域住民に親しまれています。 創立は史料の焼失などで明らかではありませんが、残っている棟札には明応2年(1493年)との記載があり、歴史の古さを物語っています。 また、境内にある大楠のこぶをよく見るとあの有名な妖精「ムーミン」そっくりだということが発見されました。この不思議な偶然は大反響を呼び、今では全国からファンが見学に訪れる名所です。
天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した
。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、...
貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。
祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。創立は神亀5年(728)で、江戸時代に筑前五ヶ浦廻船の基地であった宮浦の氏神として祀られている。この神社に掲げられている板絵着色武者絵馬は、宮浦の船頭4人が享和3年(1803)に奉納したもので、加藤清正の虎退治を画題としている(縦80.0cm、横121.5cm)。作者は葛飾北斎の高弟の江戸の浮世絵師・柳々居辰斎。五ヶ浦廻船の最盛期を裏付ける絵馬で、文化財...
百間石垣(国指定特別史跡)は、全長約180mの大野城跡最大の石垣です。内部まで石を積めた「総石垣」構造となっています。石垣の一部では隙間があり、そこから水が流れていることから、これも水門の一部と考えられています。