観光・体験
Sightseeing & Activity
聖武天皇の頃(724~749)、筑前国司・佐野近世の娘は継母に無実の罪を着せられ、近世の手によって殺された。これが「濡れ衣」の由来となった出来事である。ここはその娘を供養した塚と伝えられている。高さ165cm、玄武岩製の板碑と呼ばれる中世特有の石造物で、康永3年(1344)に建立。正面の太く刻まれた3つの梵字は上が大日如来、右下が宝幢如来、左下が天鼓雷音如来を表現している。東には国道を隔てて...
シーサイドももちのウォーターフロント施設。 「福岡タワー」から海側に徒歩わずか1分の場所にあり 海の上に浮かぶ多彩な施設群がレジャーやデートに人気スポット。 ビーチサイドではマリンスポーツも盛んで 夕暮れは都会の海辺のロマンチックな景色が広がる。 パームツリー桟橋の先にあるウエディングアイランドマリゾンは、 30mのヴァージンロードを備えたチャペルをはじめ 選べる4つのオーシャンビューバンケ...
蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。
体育館やテニスコート、アーチェリー場、軟式野球場、多目的グラウンドなどをもち、スポーツ・レクリエーションの拠点として各種大会が行われている。またキャンプ場やイカダ池は子供たちの遊びの場となっている。
花乱の滝は、落下する滝のしぶきが、花びらが乱舞するように美しいこと、または、花欄という修験者がいて、この滝にうたれて修行したということから、「花欄の滝」と呼ばれるようになったといわれています。
滝の高さは、約15m、幅3.5mあって、滝つぼが浅く、今でも滝にうたれて修行する人の姿が見られます。
焼かないで固まる「つちだま」を使い,植木鉢やガーデニングオブジェを作っています。
ミニガーデン用の小さなおうち,水槽用のオブジェ,かわいいペットの壁掛けなど,楽しんで作ることができます。
自然をそのまま保存することをテーマに整備された公園。市街地に残る貴重なオープンスペースとして親しまれている。桜のお花見広場やもみじ園など四季折々の自然散策が楽しみ、四方が展望できる設計になっている。
博多湾に面した約66haの広大な敷地内に、多種のスポーツ・レクリエーション施設が揃う。野球場14面、ソフトボール場5面、球技場5面、サイクリングロードなどを備えている。福岡ソフトバンクホークス2軍の練習場であり、またアビスパ福岡の練習場でもあるため、練習を観戦するファンも集う。
祭神は綿津見神。境内には大日堂と虚空蔵堂があり、ここに祀られた木造の不動明王立像・吉祥天立像・如来形立像・伝虚空蔵菩薩立像・伝薬師如来座像の5躯が、「綿津見神社仏像群」として市有形文化財に指定されている。この内、如来形立像と菩薩立像は、11世紀あるいは14世紀に海中から引き揚げられたとの言い伝えがある。神社裏からは玄界灘を眼下に見下ろし、西に志賀島、北に相ノ島を望むことができる。
高祖山山麓の丘陵上にある前方後円墳。古墳の全長は64m、高さ6.5m、6世紀前半に造られたと考えられている。保存されている墳丘、同濠、外堤の規模は北部九州屈指。昭和52年に保存整備のため調査されたが、埋葬施設は未調査のため不明。
禅宗(曹洞宗)の名刹。桃山時代の武将で筑前の領主・小早川隆景の墓所やツツジの庭園で知られている。
境内に安置されている馬頭観音は奈良時代の僧行基の作とされる秘仏で、33年に2回開帳される。
天明4年(1784)、福岡城下に創建された藩校・甘棠館の跡。学館長・亀井南冥は、徂徠学派の儒医。「独看」という生徒の自主・自発の学習を重んじ、その学派は朱子学派の修猷館と相対した。寛政10年(1798)に学舎焼失し、寛政異学の禁と相まって廃校となった。広瀬淡窓など幾多の人材を輩出し、東学問所の修猷館と並んで称されている。なお、金印発見の際、南冥が『金印弁』を著し、その保護に努めた事跡は著名である。
福岡平野東南部、月隈丘陵から延びる丘の上に築かれた円墳。大きさは直径34m、高さ9m。内部主体は複室の横穴式石室で、全長11.2mを誇る。大きな花崗岩を組み合わせて造られた石室は、福岡平野で最大級の規模だ。墳丘・石室の規模から御笠川中流域の有力豪族を被葬者とし、6世紀末〜7世紀初頭に築造された古墳と考えられている。石室の保存状態は良好。中に入って見学できる。
承和(じょうわ)年間(833~850)に天台宗慈覚大師円仁(てんだいしゅうじかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。
豊臣秀吉は九州征伐の際当社に詣で、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて、九州の守護として名島城を築かせた。その折、隆景は堂を修築して城の鎮守とし、その後、歴代藩主の崇敬を受けた。
明治維新の神仏分離で、弁天社は名島神社となり、弁天社はこの地に祭られるようになった...