観光・体験
Sightseeing & Activity
博多リバレイン1階、福岡アジア美術館に直結するエレベーター前にある、約4×9メートルの壁画。中国・北京在住のデジタルアーティスト、ブー・ホァさんが描き下ろした原画をもとに、福岡のアーティストや学生ら24人が約1カ月かけて制作した大作です。
ブー・ホァさんは2014年に開催された「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ」に参加した際、福岡に滞在もしました。その経験も生かされ、「大切なものは自分の心...
昭和48年に箱式石棺が発掘された大型円墳で、国指定の史跡です。副葬品には銅鏡や琴柱形石製品などがみられ、被葬者は高齢の女性で巫女的な存在であった言われています。石室や出土品より5世紀前半と推定されています。
筵内の大通り(県道)から少し入ると、まるでタイムスリップしたようななつかしさを覚えるのが熊野神社。 243段の石段は、古賀市最長で、登っただけでも息が切れそうです。 拝殿内に掲げられている数多くの絵馬の中でも、抜け出して暴れ回らないように手綱を書き加えられたと伝えられる繋馬図(黒馬の大絵馬)や神殿の龍の 彫刻など貴重な文化財が残されています。
明光寺祖忠の開基。元禄9年(1696)、三代福岡藩主・黒田光之の宰臣・立花実山が本寺を建立し、加賀大乗寺の卍山和尚が招かれて開山した。実山は貞享3年(1686)と元禄3年(1690)の参勤交代の際、千利休の教えを筆録した高弟・南坊宗啓の秘伝書を発見し、『南方録』(市指定文化財)として世に伝えた。また、実山は南坊流を興した茶人としても有名。寺宝として『卍山和尚語録』、実山の日記『梵字艸』などを...
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。
香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。
波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。
祭神は菅原道真。道真が袖の湊に上陸した際、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説によるもので、江戸時代には綱輪天神と呼ばれていた。次第に綱場と呼ばれるようになり、現在も町名として残っている。
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。
感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
脇山の農家を中心に運営している直売所です。おススメは脊振山系の清流で育てられた脇山米。昭和天皇即位時に献上された由緒あるお米です。
また、露地栽培の朝採り野菜や、農家のお母さんたち手作りのお弁当もどうぞ。
日守(ひまもり)神社境内にある歌碑。
天平2年(730年)に太宰府の帥(長官)であった大伴旅人の病気を見舞った弟の稲公と甥の胡麿が、見舞いを終えこの地で別 れの宴を張ったとき、大伴百代が詠んだ歌が刻まれている。
町の南端にあり、山頂からは福岡市街から玄界灘、宗像市街までを一望のもとに見晴らせる。一帯には南北朝時代に造られた山城・立花城があったが、現在では石垣が残るのみ。また日本で最北限のクス原生林がある。
秋は黄色に染まるイチョウが美しく、公園内には昭和天皇即位の折の大甞祭でお米を献上した主基斎田跡の記念碑がひっそりと佇んでいます。そのそばには「栄西禅師茶徳碑」があり、一説にはここが日本のお茶発祥の地とも言われています。