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名島弁財天社
名島弁財天社
承和(じょうわ)年間(833~850)に天台宗慈覚大師円仁(てんだいしゅうじかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。 豊臣秀吉は九州征伐の際当社に詣で、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて、九州の守護として名島城を築かせた。その折、隆景は堂を修築して城の鎮守とし、その後、歴代藩主の崇敬を受けた。 明治維新の神仏分離で、弁天社は名島神社となり、弁天社はこの地に祭られるようになった...
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勝馬海水浴場
志賀島北西部に位置し、玄海島が望める海水浴場。海岸は芝生と松林の美しい緑で占められており、海の水も青くて綺麗。駐車場を300台程度備え、海岸へのアクセスも良好。
今でも修行する人が絶えない
花乱の滝
花乱の滝は、落下する滝のしぶきが、花びらが乱舞するように美しいこと、または、火乱という修験者がいて、この滝にうたれて修行したということから、「花乱の滝」と呼ばれるようになったといわれています。  滝の高さは、約15m、幅3.5mあって、滝つぼが浅く、今でも滝にうたれて修行する人の姿が見られます。
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【パブリックアート】加藤昭男《森の詩》
知恵の象徴として人々に親しまれているフクロウ。知恵の宝庫である福岡市総合図書館で、そんなフクロウの彫刻を見ることができます。作者は、愛知県瀬戸市出身の彫刻家。この作品では、未来に向かって夢と希望に満ちた子どものフクロウと、それを温かく見守り育てる親フクロウの姿が表されているそうです。
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天拝山歴史自然公園(てんぱいさんれきししぜんこうえん)
菅原道真公ゆかりの天拝山のふもとに、天拝広場、菖蒲園、万葉植物園、水上ステージなどを整備して、歴史と自然にふれあえる公園としたもの。あわせて天拝山山頂までの登山道も整備され、利用者で賑わっている。
小戸大神宮
小戸大神宮
伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされている。享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぐたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていた。神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされている。 附近に皇后の朝鮮出兵...
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白鬚神社
能古島の産土神(うぶすながみ:生まれた土地の守り神)で、祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)・志賀明神(しかみょうじん)などです。能古島という地名には、「神功皇后が住吉の神霊を残した島なので残島(のこのしま)になった」といういわれがあり、この神霊をとどめたのが白鬚神社だといわれています。毎年10月9日に行われる「おくんち」は、福岡市の無形文化財に指定されています。
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火焔塚
弘安4(1281)年の元寇の際、高野山の僧侶一行が護摩を焚き、博多湾に侵攻した蒙古軍の降伏を祈祷したといわれている場所。蒙古軍が退散し、一行が帰るとき、不動明王の火焔形をこの地にとどめたため、火焔塚と呼ばれるようになったと伝えられている。潮見公園から志賀海神社に下る途中にある。
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【パブリックアート】ナム・ジュン・パイク《Fuku/Luck,Fuku=Luck,Matrix》
観光客にも市民にも人気のショッピングモール、キャナルシティ博多。建物自体ユニークなモールですが、それに負けないインパクトあるアート作品が設置されています。 こちらは180台ものブラウン管テレビを使って、制作されたビデオアート作品です。作者は韓国に生まれ、日本、ドイツ、アメリカでも活躍し、「ビデオアートという芸術ジャンルを確立した世界的アーティスト」として知られる有名な現代美術家で、設置当時、...
梵鐘
西光寺(梵鐘)(さいこうじ/ぼんしょう)
西光寺は浄土真宗本願寺派。文明元年(1469)に天海が創建した。国宝でもある梵鐘は平安時代初期のもので、我が国の紀年銘鐘では4番目の古さとなる。池の間に陽鋳された銘文によれば、承和6年(839)に伯耆国(鳥取県)の金石寺の鐘として鋳造されたとしている。江戸時代に出雲大社などを経て、明治30年(1897)、当寺に納められた。現在、梵鐘は覆屋の中に保存され、毎月1日と16日に見ることができる。
大平寺跡
大平寺跡(たいへいじあと)
筑前国続風土記によると「桧原(ひばる)村の内にて橿原(かしわばら)の境にある禅寺なりしとかや今に其跡残れり。広さ78反ばかりあり、本尊観音は朽ちはて、仏体とも見えざる村人草の庵をかまえて入れ置きけり、那珂郡屋形原(現福岡市)に居たる千葉探題(たんだい)帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや」と見え、現在寺跡に阿弥陀如来坐像の石仏や梵字を刻んだ供養塔がある。
今も祭礼を受け持つ「川端飢人地蔵」
川端飢人地蔵(かわばたうえにんじぞう)
享保の飢饉の犠牲者は、筑前国内で死者10万人とも言われている。 飢饉で亡くなった人を祀る市内各所の飢人地蔵のひとつで、博多川沿いにまつられている。おにぎり地蔵や味噌食い地蔵など、各地域の人が今も祭礼を受け持つ。 毎年、8月23日、24日には供養祭が行われている。
資料室
志免町歴史資料室
志免町民センター(生涯学習2号館)にある歴史資料室。七夕池古墳の出土品を中心に、町内で出土した土器や鉄器類を展示しています。また昭和30年代まで石炭産業で栄えた志免町の歴史を物語る炭鉱関係の道具なども展示されています。
庭園
妙福寺庭園(みょうふくじていえん)
浄土真宗西本願寺派で、山号は地福山。ここの庭園は西南側の書院の前面に広がっている。書院の前を流れる自然の小川(金屑川)を利用して、起伏の豊かな白砂の築山を作っている。大小の配石や竹林、広葉樹との調和が美しい市指定の文化財。築庭の年代は定かでないが、その作風から見て江戸時代以前ものと推定される。
蒙古碇石
筥崎宮境内蒙古碇石(はこざきぐうけいだいもうこいかりいし)
蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。
三所神社
三所神社(さんしょじんじゃ)
祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。創立は神亀5年(728)で、江戸時代に筑前五ヶ浦廻船の基地であった宮浦の氏神として祀られている。この神社に掲げられている板絵着色武者絵馬は、宮浦の船頭4人が享和3年(1803)に奉納したもので、加藤清正の虎退治を画題としている(縦80.0cm、横121.5cm)。作者は葛飾北斎の高弟の江戸の浮世絵師・柳々居辰斎。五ヶ浦廻船の最盛期を裏付ける絵馬で、文化財...
木造阿弥陀如来坐像
木造阿弥陀如来坐像(西林寺)
平安時代後期恵心僧都の作といわれ、上品下生の座像。 木造漆箱で高さ約108cm、螺髪は小粒で整然とし、静かに目を伏せた相貌は円満で豊かな頬と相まって阿弥陀如来の慈悲をよく表している。 昭和25年国指定重要文化財。
外観
奴国の丘歴史資料館
春日市には須玖遺跡群という今から1800~2000年ほど前の弥生時代に隆盛をきわめた遺跡があります。この遺跡は金印を授かった奴国の王都で、出土したすばらしい品々の多くは、奴国の丘歴史資料館に保管され、一部展示されています。歴史資料館でレンタサイクルを借りて、弥生時代の遺跡や、古墳などを巡って古代のロマンにひたってみてはいかがでしょうか?

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