観光・体験
Sightseeing & Activity
真言宗御室派で、山号は登志山。怡土荘の中原氏の娘の発願で、安元元年(1175)に栄西を招いて創建された。怡土荘は山城仁和寺領で、仁和寺ゆかりの僧である栄西は今津湾を臨むこの寺に10余年間滞留し、宋船のもたらす経典の入手に努めた。栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。銭弘俶八万四千塔や、孔雀文沈金経箱は、国指定の重要文化財。
福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。
今泉公園に隣接した処に、歌人大隈言道が天保7年(1836)39歳のときから住んでいた旧居「ささのや」があった。言道は二川相近(ふたがわすけちか)について和歌を、日田(大分県)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)に漢学を学び、大阪に出て歌人らと交流するなど歌道に精進、明治元年71歳で亡くなった。墓は香正寺にある。
作家檀一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」が刻まれています。みやま市にある善光寺の裏山で筑後平野を見下ろしながら死別した妻を想い、詠んだ悲歌とされています。
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
町民の健康づくりに積極的に取り組んでいる久山町が、近隣公園として整備したもの。3カ所ある多目的広場は野球、ソフトボール、運動会などのスポーツやレクリエーションなどに利用される。地域住民の憩いの場。
津屋崎漁港から中川までの広い砂浜。遠浅の美しいビーチで、海水浴やボートによる釣り(キス・アジ等)ができる。穏やかな波で昔から人気がある海水浴場。海の家が充実している。
東光院は大同元年(806)に、最澄(伝教大師)により開山された寺院。本尊である薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画15点が所蔵されていた。これらの文化財と共に境内地が福岡市に寄贈されたので、保存・活用を図るため、寺そのものを市の史跡として指定。現在、寄贈された文化財は、福岡市美術館に収蔵・展示されている。
※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課...
曹洞宗の禅寺で、山号は耕雲山。永正5年(1508)、怡土郡高祖村(前原市)に高祖城主・原田弘種が創建し、福岡藩二代藩主・黒田忠之の時に現在地へ移転した。寺内には福岡藩の大儒・貝原益軒と東軒夫人の墓がある。大正7年(1918)、病気静養のため来福した倉田百三は、当寺に寓居して『愛と認識との出発』『俊寛』を構想、執筆。さらに、倉田は武者小路実篤の『新しき村』に共鳴してその支部を設置した。
体育館やテニスコート、アーチェリー場、軟式野球場、多目的グラウンドなどをもち、スポーツ・レクリエーションの拠点として各種大会が行われている。またキャンプ場やイカダ池は子供たちの遊びの場となっている。
曲淵小学校内に立つ石塔です。室町時代(1336年~1573年)の建立と推定され、塔は下から基礎、塔身【とうしん】、屋根のようにみえる笠石【かさいし】を五段に重ね、その上には、輪状の石と宝珠【ほうじゅ】を組み合わせた相輪【そうりん】と呼ばれる石をのせています。素材には、砂岩【さがん】を用いているため、塔身に浮き彫りされた仏像は風化が進み、現在は確認できません。 伝承では、戦【いくさ】にやぶれ、...