観光・体験
Sightseeing & Activity
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
津屋崎千軒の西に位置する高さ114mの大峰山の山頂周辺の海と山に囲まれた景勝地。
山頂には、日本海海紀念碑があり、街並みや水平線を一望できる。遊歩道やキャンプ場、東郷神社などがある。春は桜が美しい。
空気が澄んでいるときは、沖ノ島が見える。
遺跡の数は福岡市だけでも何と950ヶ所以上。福岡市埋蔵文化財センターは、そんな福岡市の遺跡から出土した考古資料を所蔵・管理し、さらに保存処理・分析調査までしている。収蔵資料だけでなく、遺跡の発見や発掘方法、研究方法まで公開。保存処理の様子も見学でき、考古学ファンにはたまらない。また、定期的に出前授業や考古学講座も行われている。
能古島の北端の海岸にあり、海水浴も楽しめるキャンプ村。キャンプ用品や調理道具などのレンタル道具が一式揃っているので、手ぶらでもバーベキューやアウトドアが楽しめる。宿泊者には、バナナボート(1回)無料サービスなどもあり。
伝説の千鳥ケ池と一体になって整備された総面積9.8haの自然とスポーツの公園。フィールドアスレチック、野球場、テニスコート、多目的広場などを有し、池には県天然記念物のツクシオオカヤツリグサが群生している。
明治2年(1869)に神殿と拝殿を建立。祭神は菊池武時・埴安命・大鷦鷯命。武時は元弘3年(1333)に最後の鎮西探題・北条英時を攻めて敗死した鎌倉末期の武将である。馬上の武時の首が落ちた所が六本松の首塚で、胴が落ちたのが七隈の胴塚という伝えがあり、首塚と伝えられた旧鳥飼村馬場頭(中央区六本松三丁目)にも菊池霊社が建てられている。毎年7月に夏越祭り、11月に菊花大祭が催される。
平安時代に開かれた天台宗系の寺院で、伝教大師最澄が創建したと伝えられている。
本尊の十一面観音像は平安後期の作で、県の指定文化財。毎年4月の第1日曜日は十一面観音の開帳日でたくさんの参拝客でにぎわう。
伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされている。享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぐたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていた。神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされている。
附近に皇后の朝鮮出兵...
天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。福岡城表御門の上ノ橋前に設立。初代館長は貝原益軒の高弟・竹田定直の孫である定良。徂徠学派・亀井南冥館長の西学問所(甘棠館)とは対照的に、朱子学派の厳格な学風を重んじた。西学問所の廃校後は藩士教育の中心機関となり、憲法起草にあたった金子堅太郎、三井の団琢磨、早良区重留に私塾と実験農場を兼ねた勧農社を主宰した林遠里など、幾多の人材を輩出した。
作家檀一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」が刻まれています。みやま市にある善光寺の裏山で筑後平野を見下ろしながら死別した妻を想い、詠んだ悲歌とされています。
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。
都落ちした三条実美らが投宿し、本陣からの眺望を絶賛したと言われる。現在でも白壁、格子造りの家並みが続き、辻井戸なども残っており、江戸時代の面 影を今に伝えている。
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面は漆仕上げで造られている。市指定の文化財。
蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。