観光・体験
Sightseeing & Activity
歩道エリアにはデザイナー・松永真による作品が並ぶ。“楽しくて対話できるもの”というコンセプトのもとに制作したこれらの作品は、カエルやキリンをモチーフにしており、親しみやすく心和むものばかりだ。
南畑ダムを見下ろす山の中腹にあるキャンプ村には、きれいに整備された施設(バンガロー・日帰りバーベキュー場・水遊び場等)が充実。毎年、シーズンには多くの家族やグループの人たちで賑わっています。
二丈岳の中腹にあり、木造の山小屋風総合案内研修施設、家族やグループで利用するのに最適な小研修施設やバンガローキャンプ場がある。杉の林の中で森林浴や日光浴が楽しめ、夏場は利用者が絶えない。
天明4年(1784)、福岡城下に創建された藩校・甘棠館の跡。学館長・亀井南冥は、徂徠学派の儒医。「独看」という生徒の自主・自発の学習を重んじ、その学派は朱子学派の修猷館と相対した。寛政10年(1798)に学舎焼失し、寛政異学の禁と相まって廃校となった。広瀬淡窓など幾多の人材を輩出し、東学問所の修猷館と並んで称されている。なお、金印発見の際、南冥が『金印弁』を著し、その保護に努めた事跡は著名である。
糸島市の西側にあり、標高535mの山頂に立つと青い海原に浮かぶ緑の小島など、玄界灘の雄大な眺望が楽しめる。山頂までのハイキングコースが整備されており、春は山菜採り、秋は紅葉と四季折々の楽しみ方ができる。
町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
昭和3年11月、京都御所で行われた昭和天皇の即位式で、主基殿に供えられた新米が脇山の石津新一郎が所有したこの斉田より献上された。
全国から選ばれ、古式により田植えから収穫仕上げまで、村(当時の脇山村)を挙げての大行事であった。
この斉田から白米3石(450キログラム)が献上された。
平成21年1月にユネスコの世界遺産暫定リストに記載された本資産は、4世紀後半から9世紀末にかけて、航海の安全と対外交渉の成就を願って国家的祭祀が行われた「沖ノ島」、その信仰と祭祀が宗像三女神を祀る島伝いの壮大な三宮へと発展を遂げた「宗像大社」、沖ノ島祭祀を奉斎した宗像氏を中心とする海の民の墓域である「津屋崎古墳群(新原・奴山古墳群)」で構成されています。 日本における古代祭祀の変遷過程を示す...
カシ、シイ、ムクなどの木々が重なり合って壮厳な美しさをかもし出す自然林。
この中にある樹齢900年のナギの古木5本は、行基のお手植えともいわれる。県指定の天然記念物。
多々良川河口に架かる名島橋は、1933年にそれまでの板橋を改修してつくられた近代的な橋です。
全長204m、幅24m、7連のアーチからなる橋は当時としては大規模なもので、今でも膨大な交通量を支えています。
那珂川にかかる住吉の参宮橋は、洪水のたびに流失していた。春吉に住む稲光弥平は橋が流される原因を究明して、安政2年(1855)川の中央に人工島を築き、橋をかけて流出を防いだ。この石碑は、昭和6年にその功績を末永く顕彰するため設置されたものである。