観光・体験
Sightseeing & Activity
上川端町の冷泉公園近くにある、コミュニティホステルWeBase博多の「旅の守り神」。大航海時代に、害獣から貨物や食糧、船を守り、疫病を防ぎ、さらには船員の心を癒す友として、人とともに世界中を旅してきた「船乗り猫」がモチーフです。ヘルメットとメタリックで堅牢な鎧は、混迷する世界の未来を見通し、困難に立ち向かう勇気を象徴しているといいます。
作者のヤノベケンジさんは、数々の巨大立体作品を発表し注...
東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...
天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。福岡城表御門の上ノ橋前に設立。初代館長は貝原益軒の高弟・竹田定直の孫である定良。徂徠学派・亀井南冥館長の西学問所(甘棠館)とは対照的に、朱子学派の厳格な学風を重んじた。西学問所の廃校後は藩士教育の中心機関となり、憲法起草にあたった金子堅太郎、三井の団琢磨、早良区重留に私塾と実験農場を兼ねた勧農社を主宰した林遠里など、幾多の人材を輩出した。
真言宗御室派で、山号は登志山。怡土荘の中原氏の娘の発願で、安元元年(1175)に栄西を招いて創建された。怡土荘は山城仁和寺領で、仁和寺ゆかりの僧である栄西は今津湾を臨むこの寺に10余年間滞留し、宋船のもたらす経典の入手に努めた。栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。銭弘俶八万四千塔や、孔雀文沈金経箱は、国指定の重要文化財。
焼かないで固まる「つちだま」を使い,植木鉢やガーデニングオブジェを作っています。
ミニガーデン用の小さなおうち,水槽用のオブジェ,かわいいペットの壁掛けなど,楽しんで作ることができます。
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
糸島市の西側にあり、標高535mの山頂に立つと青い海原に浮かぶ緑の小島など、玄界灘の雄大な眺望が楽しめる。山頂までのハイキングコースが整備されており、春は山菜採り、秋は紅葉と四季折々の楽しみ方ができる。
那珂川にかかる住吉の参宮橋は、洪水のたびに流失していた。春吉に住む稲光弥平は橋が流される原因を究明して、安政2年(1855)川の中央に人工島を築き、橋をかけて流出を防いだ。この石碑は、昭和6年にその功績を末永く顕彰するため設置されたものである。
交通の便が良く、町の中心に位置する文化施設として、生涯学習の“場”を開き『ゆとりある生活空間都市かすや』を創造し、必要な資料や情報を提供することを目的としています。歴史資料館には、復元作業室の公開や、地域の考古遺物や民族資料の紹介をおこなっています。
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
続風土記拾遺にその由来が記されている日吉神社の境内と、それに隣接する那珂川の中洲全体が中ノ島公園。県天然記念物のオガタマノキなど大木が茂る中、夏はひんやりとした風が吹き利用客で賑わいます。公園内には生産物直売所もあります。