観光・体験
Sightseeing & Activity
昭和48年に箱式石棺が発掘された大型円墳で、国指定の史跡です。副葬品には銅鏡や琴柱形石製品などがみられ、被葬者は高齢の女性で巫女的な存在であった言われています。石室や出土品より5世紀前半と推定されています。
上川端町の冷泉公園近くにある、コミュニティホステルWeBase博多の「旅の守り神」。大航海時代に、害獣から貨物や食糧、船を守り、疫病を防ぎ、さらには船員の心を癒す友として、人とともに世界中を旅してきた「船乗り猫」がモチーフです。ヘルメットとメタリックで堅牢な鎧は、混迷する世界の未来を見通し、困難に立ち向かう勇気を象徴しているといいます。
作者のヤノベケンジさんは、数々の巨大立体作品を発表し注...
長塚節(1879~1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、作家としては「土」を書いて農民文学を確立した。
明治45年、喉頭結核を患い、治療のため久保猪之吉博士を頼って九州大学病院に入院したが、大正4年37歳でなくなった。
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。
この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。
その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。
能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊) で風待ちをしている時の気持ちが詠まれています。風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(「万葉集」3673)
明治32年、博多誓文晴(払)の創始者漬物屋 八尋利兵衛(やひろりへい)が住吉から中洲付近まで開発し、遊園地「向島」を開園した。
その開園記念に建設された灯籠で、昭和29年清流(せいりゅう)公園内に移された。灯籠には商屋の家号が刻まれていて、当時の博多経済界を知る上で貴重な民俗資料である。
国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。
古民家に息を吹き込み訪れる人々を夢の中へ。
移転1周年を迎える、花うさぎ第二章は川の音、鳥のさえずり、風を感じ、五感に語り掛ける自然の中で、文化・芸術を身近に感じて頂ける場所としてスタートしております。訪れる方々の癒しの場になっています。
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面は漆仕上げで造られている。市指定の文化財。
「アビスパ福岡」のホームグラウンド。自然をいかした広大な東平尾公園にあり、美しい曲線を描く屋根付きのスタンドが2つあり、日本でも有数のスタジアムだ。収容人数は約22,600席。サッカーのみならず、ラグビーやアメフトにも対応できる。近くには、博多の森陸上競技場やアクシオン福岡、県立総合プールなどの施設も揃う。 ...
博多湾に面した約66haの広大な敷地内に、多種のスポーツ・レクリエーション施設が揃う。野球場14面、ソフトボール場5面、球技場5面、サイクリングロードなどを備えている。福岡ソフトバンクホークス2軍の練習場であり、またアビスパ福岡の練習場でもあるため、練習を観戦するファンも集う。
吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡は、西に飯盛山、東に室見川を望む地に営まれた弥生時代の大規模な遺跡です。
弥生時代中期(約2,200年前~2,000年前)の「国」(地域的なまとまり)の成立と展開を知る上で特に重要な遺跡として、 平成5(1993)年に国史跡に指定されました。
「やよいの風公園」は歴史公園として、2017年4月にオープンしました。
2.7ヘクタールの敷地に当...