観光・体験
Sightseeing & Activity
筑前国続風土記によると「桧原(ひばる)村の内にて橿原(かしわばら)の境にある禅寺なりしとかや今に其跡残れり。広さ78反ばかりあり、本尊観音は朽ちはて、仏体とも見えざる村人草の庵をかまえて入れ置きけり、那珂郡屋形原(現福岡市)に居たる千葉探題(たんだい)帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや」と見え、現在寺跡に阿弥陀如来坐像の石仏や梵字を刻んだ供養塔がある。
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。
この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。
その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。
10月第3土・日の秋季大祭での大名行列は200年の伝統を誇り、豪華な装束を身にまとった行列が続く。広い境内は自然にも恵まれ、県指定の天然記念物トキワガシ・イチイガシの樹木が見事。
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
元寇防塁の南約400m、道路とJR鹿児島本線の間にある地蔵堂。寛永8年(1631)に福岡藩二代藩主・黒田忠之が建立し、明治42年(1909)に九州大学工学部が建設される際、この地に移転した。この堂に鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、小松(平)重盛が育王山(中国浙江省の山で巡礼地)に砂金を送り、その帰船にこの菩薩像を乗せてきた、との言い伝えがある。境内の板碑群とともに県指定文化財である。
黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接して所在する歴代の墓所。藩祖・黒田如水、初代・長政、四代・綱政、六代・継高、七代・治之、九代・斉隆の歴代藩主とその一族、また直方藩主などを中心に祀っています。昭和25年(1950)に改葬工事が行なわれ、二十数基あった石塔は如水などの一部を除き廃されました。現在は12基の石塔が残されています。福岡藩の歴史遺産として、大変価値の高い市指定の史跡です。
...
日本最大の銅鏡「内行花文鏡」が出土した平原王墓を中心に、歴史と自然に親しめる公園として整備したもの。数々の出土品を再現した陶壁画や石造りベンチを設け、古代の木であるホホガシやクスノキを植栽している。また、秋になると地元の人々によって植えられたコスモスが見頃を迎える。
三郡山の河原谷(ごうらだに)渓谷を90分ほど登れば、標高724mに位置する河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)にたどり着きます。1月から2月にかけて、岩から染み出た水や雪が融けた水が岩肌をつたいながら凍って氷結し、寒気が強まる時期が続くと高さ20mもの見事な大つららになることもあります。壮大な氷の彫刻を一目見ようと、多くの人が訪れます。寒気が続いた後のなるべく気温の低い午前中がお勧めです。※登...
日本の古代史をひもとく上での貴重な資料が数多く収蔵されている宗像大社神宝館。
沖ノ島祭祀神宝・宗像大社文書・一 筆一切経など、所蔵品のほとんどは国宝・重要文化財(約12万点)に指定されています。
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(祇園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
三郡山の麓、標高300mにある森林自然公園です。福岡県森林浴100選にも選ばれ、春から初夏にかけて桜、つつじ、ツクシシャクナゲやホタル、秋は紅葉、冬は椿など、四季の彩りを感じることができます。三郡山や宝満山への登山の起点となる場所でもあり、年間を通じてたくさんの登山客が訪れます。また、公園内にバンガローを有しており、春から夏の時期にはキャンプやバーベキューなどの家族連れやグループで賑わっています。