観光・体験
Sightseeing & Activity
貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。
文永11(1274)年10月、高麗軍を主力とする元軍は今津から百道原に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂の一帯は戦闘の場となった。少弐景資、肥後の菊池次郎武房、竹崎五郎季長らがこれを迎え討ち、勝敗が決しないまま元軍は船に引き上げた(文永の役)。この時の激戦の場のひとつとなったのが祖原山(標高33m)。360度の眺望がきく山頂の北側下に記念碑が建っている。
20kmにわたる元寇防塁のほぼ中間にあたるのが西新・百道地区の防塁。文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。その後、この防塁が築かれた。大正9年、西新の防塁が発掘され、石塁が露出。昭和44年に本格的発掘調査が行われた。国指定史跡。
玄界灘の荒波によって形成された奥行き90m、高さ60mの巨大な洞窟は、玄海国定公園を代表する名勝地として全国的に有名。
芥屋の漁港からは神秘的な洞窟内を見学出来る遊覧船(4月~11月)が就航している。
福岡市博物館は1990年の開館に先立って、1989年に開催されたアジア太平洋博覧会のテーマ館としても利用されました。正面ゲートと博物館の間には広い池があり、そのスケール感といったら!
そんな場所に負けず劣らず、堂々たる存在感を放つ4体のブロンズ像。高さ3.75メートル、重さ1トンのこの巨人たちは、フランス近代彫刻の巨匠エミール・アントワーヌ・ブールデルさんの手によるもので、1918〜22年...
「見て・知って・楽しんで」を合言葉に、無料の工場見学が楽しめるお得な施設。明太子の製造工程や歴史をビデオで見た後、ガラス越しに計量や箱詰作業が見学できる。海の中をイメージした館内で、明太子が製造される過程を学ぼう。試食やプレゼントなどのお楽しみも。
福岡の南部に広がり中心市街地から車で30分のところにある、豊かな自然と、都市を見渡す眺望を持つ油山。
この魅力をさらに進化させ、福岡を「人と都市と自然の共生するまち」として世界に発信するために、市民に親しまれてきた「油山市民の森」と「油山牧場」がひとつになって新たに生まれ変わります。
コンセプトスローガンは、「BACK TO NATURE」
食・キャンプ・宿泊施設・アスレチック・建築・...
東光院は大同元年(806)に、最澄(伝教大師)により開山された寺院。本尊である薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画15点が所蔵されていた。これらの文化財と共に境内地が福岡市に寄贈されたので、保存・活用を図るため、寺そのものを市の史跡として指定。現在、寄贈された文化財は、福岡市美術館に収蔵・展示されている。
※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課...
呑山観音寺は「のみやまさん」の愛称で親しまれている高野山真言宗の別格本山です。呑山観音寺の山号になっている鉾立山の由来は諸説ありますが、一説には神代の時代、海津見神(ワダツミノカミ)の娘である玉依姫(タマヨリノヒメ)が、神武天皇の尊父である彦波剣武鵜茅葺不合尊(ヒゴナミサタケウガヤフキアエズノミコト)に嫁いだ際に鎮座する山の高さを見比べるため頂上に鉾をつき立てたためといわれています。...
福津市南東部にある飯盛山は標高157mながら急峻な山で、戦国時代は宗像氏の出城があった。
この飯盛山を散策する登山道が整備され、頂上には憩いの場として展望広場が設置されている。眼下に福津市内を見渡せる。
駐車場からは10分ちょっとで山頂まで行ける。
東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...