観光・体験
Sightseeing & Activity
「福岡市海づり公園」は昭和60(1985)年4月に西区大字小田にオープン以来、年間を通して釣りが楽しめるレジャースポットとして多くの方に利用されており、博多湾沖へ386m突き出たT字型鋼製釣り桟橋では本格的な釣りが楽しめます。
園内には軽食コーナーや魚拓展示コーナー、展望所、身体障害者用トイレ、休憩所や授乳室もあり、売店では道具やエサを販売、貸し竿(有料)もあるので手ぶらでも安心です。初心...
昭和63年に発掘調査された能古焼は、江戸時代中後期にわずか20年間操業された藩窯。そのため「幻の能古焼」と言われているとか。焚口部と焼成室7室からなる8室構造の連房式登窯で、九州最大規模の窯跡だ。壁体内には磚や窯道具が塗り込められ、修復が繰り返されたことがうかがわれる。一つの窯から有田焼系の磁器片、高取焼系の陶器片の両方が出土する、珍しい窯跡でもあるのだ。
若杉山の隣にある米ノ山は、ハングライダーとパラグライダーの拠点として人気のあるスポット。山頂にはグライダーの発進基地があり、週末には若者たちでいっぱいになる。展望台や遊歩道などの整備も行われている。
博多港引き揚げ記念碑として平成8年に建てられた、巨大なモニュメント。「敗戦直後の失意とその後湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメント」として、豊福知徳により製作された。博多港は戦後直後、国内最大級の引揚援護港として、中国東北部や朝鮮半島より約139万人もの人々がこの地に、また、在日の朝鮮人・中国人など約50万人の人々がここから故郷へと帰っていった。戦争の悲惨な体験を二度と繰り返さ...
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。天正10年(1587)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。同年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察し、町割りに着手した。その際、当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。現在、屋敷跡には秀吉を祀る豊国神社が明治19年(1887)に創建され、町割りに使った6尺6寸の間杖がご神体だっ...
祭神は海洋の神である、底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神。この地は海人を統率した古代の有力氏族・阿曇氏発祥の地です。神社内の万葉歌碑にも詠まれたように、古来より海上の守護神として崇拝されてきました。神社には国指定重要文化財の朝鮮製鍍金鐘、県指定文化財の細形銅剣鋳型を所蔵し、境内には石造宝篋印塔があります。また、歩射祭、山誉祭、神幸神事は、県の無形民俗文化財に指定されています。
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館内でまず目を引くのが大型廻船模型。能古島は全国を廻った筑前五ヶ浦廻船の基地のひとつでした。さらに、金印が後漢時代の中国から贈られたものだと鑑定した江戸時代の儒学者・亀井南冥とその一族の関係資料を見ることができます。他に、能古島出身の画家多々羅義雄の絵画や、国指定天然記念物のひとつである「長垂山の紫石」も展示。敷地内には福岡市文化財指定史跡の能古焼古窯跡もあります。
長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmにわたる元寇防塁。発掘調査により、防塁は海への傾斜面に幅1〜1.5m、高さ1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していたことがわかっている。 『蒙古襲来絵詞』の、肥後の御家人竹崎李長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景。現在、防塁の一部は整備され、見学することができる。
玄界灘を臨み、黒松林に囲まれた宿泊型の青少年教育施設。宿泊棟は320人、キャンプ場では150人が利用可能。恵まれた自然の中で集団宿泊生活を体験し、青少年の豊かな心とたくましい身体を育んでいくことを目的としている。このほか、様々な体験プログラムもあり。
文永10年(1273年)に菅原家出身の鉄牛円心和尚が創建した禅寺。「仏光石庭」(前庭)、「一滴海手庭」(後庭)と名付けられた枯山水の庭は、一見の価値あり。初夏の新緑、秋の紅葉は特に美しい。
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