観光・体験
Sightseeing & Activity
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した
。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
交通の便が良く、町の中心に位置する文化施設として、生涯学習の“場”を開き『ゆとりある生活空間都市かすや』を創造し、必要な資料や情報を提供することを目的としています。歴史資料館には、復元作業室の公開や、地域の考古遺物や民族資料の紹介をおこなっています。
叶岳が長垂山にのびる標高20~28mの丘陵尾根上に位置する草場古墳群は、方墳2基、円墳10基からなる古墳群である。昭和47年と48年、平成元年に発掘調査が実施された。 6世紀から7世紀にかけての古墳時代後期に造られた古墳群である。1号墳は、一辺が17mの方墳で横穴式石室をもっている。円墳で最も残りのよい3号墳は径約14mで、内部主体は長さ4.5mの横穴式石室である。石室内から須恵器の他に武器...
多数の効能を持つ漢方励明薬湯をはじめ、露天風呂やジェットバス、サウナなどのお風呂が楽しめます。露天風呂では季節ごとに「バラ風呂」「菖蒲風呂」「みかん風呂」などのイベント湯も行っています。また、お風呂の間に休憩できる仮眠室や産直コーナーを設けたラウンジなど、ゆっくりと過ごすことができる空間になっています。
日本最大の銅鏡「内行花文鏡」が出土した平原王墓を中心に、歴史と自然に親しめる公園として整備したもの。数々の出土品を再現した陶壁画や石造りベンチを設け、古代の木であるホホガシやクスノキを植栽している。また、秋になると地元の人々によって植えられたコスモスが見頃を迎える。
臨済宗大徳寺派の寺で、山号は龍起山。大覚禅師(蘭渓道隆)と鎌倉幕府五代執権・北条時頼を壇越として、建長元年(1249)に創建。延文5年(1360)には朝廷の勅願寺となり、これに関する文書が他の21点の中世文書とともに残されている。曲彖(椅子)に座った禅師が描かれている『絹本着色大覚禅師像』は、縦112.8cm、横59.69cmで、国の重要文化財に指定されている。