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並び順

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みあけ史跡公園
日本書紀に書かれた「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」の有力な候補地といわれている鹿部田淵遺跡(県指定史跡)を保存し整備した歴史公園。「歴史に学ぶ緑の丘」をテーマとした園内は、道路を挟み南北二箇所に分かれ、発掘時の地形と同じ緩やかな勾配をもつ芝生敷きの広場に建物を立体的に復元しています。
小野公園
小野公園(おのこうえん)
犬鳴山系のふもとに位 置する緑あふれる公園。山登りの拠点になっている。野球グラウンドだけでなく多目的広場や遊具のある児童公園も備えており、市民の安らぎの場になっている。
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二丈温泉きららの湯
全国屈指のラドンを含む天然温泉。ラドンが療養泉基準の7倍も含まれており、高血圧症、動脈硬化症、痛風、神経痛などさまざまな効能が期待できる。また、流水浴プールや地元の旬の幸を使った食事なども楽しめる。
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小山田斎宮(おやまだいきつのみや)
日本書紀によると小山田の斎宮は神功皇后の斎宮とかかれ、西暦200年、神功皇后が政務を執られたといわれる聖母屋敷の一角に立てられたとされています。社叢(しゃそう)にはブナ科スダジイとイチイガシなどが群生しており、県の天然記念物に指定されています。イチイガシの大きなものは樹齢千年以上を経ていて、胸高周囲約4メートル、高さ30メートルもあります。
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八所宮(はっしょぐう)
10月第3土・日の秋季大祭での大名行列は200年の伝統を誇り、豪華な装束を身にまとった行列が続く。広い境内は自然にも恵まれ、県指定の天然記念物トキワガシ・イチイガシの樹木が見事。
天然記念物(県指定)ツクシオオカヤツリ
天然記念物(県指定)ツクシオオカヤツリ
カヤツリ草科の一種で、多年生草本である。茎は三角形で太く、高さは1~1.5メートルになる。冬は茎は枯れるが、8月未から10月にかけて10~20センチはどの花をつける。マレーシア、インド地方に産するが、わが国ではここのほかに分布地は知られていない。
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平塚古墳(ひらつかこふん)
以前は直径18mほどの古墳であったとみられ、巨大な箱式石棺が発見された。棺の底からは管玉 17個が発見され、この管玉の特徴が古墳時代のものより弥生時代のものに近かったため原始古墳ではないかと推定されている。
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新町遺跡展示館
弥生時代の早期・前期の支石墓を含む57墳墓を展示。稲作開始時期での初めての人骨出土として人類学上注目されている。平成12年9月6日国史跡に指定(新町支石墓群)
金龍寺
金龍寺(きんりゅうじ)
曹洞宗の禅寺で、山号は耕雲山。永正5年(1508)、怡土郡高祖村(前原市)に高祖城主・原田弘種が創建し、福岡藩二代藩主・黒田忠之の時に現在地へ移転した。寺内には福岡藩の大儒・貝原益軒と東軒夫人の墓がある。大正7年(1918)、病気静養のため来福した倉田百三は、当寺に寓居して『愛と認識との出発』『俊寛』を構想、執筆。さらに、倉田は武者小路実篤の『新しき村』に共鳴してその支部を設置した。
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【パブリックアート】清水九兵衛《向波容》
ももちのシンボル・福岡タワーの膝下にある、赤く鮮やかで力強いフォルムの印象的な大きなモニュメント。すぐそばには海があり、またその作品名から、博多湾に向かって大きく手を広げているのかなと推測したりもできますが、真相はいかに?  作者は高名な彫刻家であり、もともとは京焼窯元清水家七代目当主であった陶芸家です。器のように、力強いなかにも空気を含むような柔らかさも持ち合わせているこの作品は、1996...
東光院跡
東光院跡(とうこういんあと)
東光院は大同元年(806)に、最澄(伝教大師)により開山された寺院。本尊である薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画15点が所蔵されていた。これらの文化財と共に境内地が福岡市に寄贈されたので、保存・活用を図るため、寺そのものを市の史跡として指定。現在、寄贈された文化財は、福岡市美術館に収蔵・展示されている。 ※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課...
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在自唐坊跡展示館(あらじとうぼうあとてんじかん)
12世紀に日宋貿易が行われていたころ中国から来た人の住んでいた場所の遺跡。 津屋崎小学校の校舎の中にあります。 福津市教育委員会文化財課に電話して日程調整を行ってからお越しください。
姉子の浜
姉子の浜の鳴き砂(あねごのはまのなきすな)
幅約20m、長さ1kmに渡って続く鳴き砂の海岸。 音の元となる石英の含有率が高く、純度の高い砂であることから、砂の上を歩くとキュッキュッと不思議な音を聞くことができる。
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鎮国寺(ちんこくじ)
弘法大師が中国から帰朝して開基したと伝えられる古刹。もとは宗像大社の神宮寺であった。6万6000平方メートルに及ぶ寺域には古木が茂り、春は桜の名所としても知られる。弘法大師作と伝えられる不動明王立像などがある。
原町街道
唐津街道 原町(からつかいどう はるまち)
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。街道筋に残る歴史的な景観だけでも見ものですが、通り沿いには古美術商などユニークなお店も点在しています。街道全体がひとつの芸術と感じられるような町並みです。
書斎
宮崎安貞の書斎・墓(みやざきやすさだのしょさい・はか)
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
米一丸石造九重塔
米一丸石造九重塔(よねいちまるせきぞうくじゅうのとう)
花崗岩製で、高さ4.2mの九重の石塔。鎌倉末期に造られたものと推定。基礎は盤状方石、塔身は高さ・幅ともに50cmの立方体で、四方に如来像を浅い花頭形龕中に浮彫している。鎌倉時代に主君の奸計にかかって箱崎松原で自害したという、悲劇の主人公・米一丸の供養のために建てられたとされる。県指定文化財。
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福岡城 表御門跡
1918年(大正7年)に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、現在も同寺の山門として使用されている。

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