観光・体験
Sightseeing & Activity
長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmにわたる元寇防塁。発掘調査により、防塁は海への傾斜面に幅1〜1.5m、高さ1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していたことがわかっている。 『蒙古襲来絵詞』の、肥後の御家人竹崎李長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景。現在、防塁の一部は整備され、見学することができる。
文永11(1274)年10月、高麗軍を主力とする元軍は今津から百道原に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂の一帯は戦闘の場となった。少弐景資、肥後の菊池次郎武房、竹崎五郎季長らがこれを迎え討ち、勝敗が決しないまま元軍は船に引き上げた(文永の役)。この時の激戦の場のひとつとなったのが祖原山(標高33m)。360度の眺望がきく山頂の北側下に記念碑が建っている。
宇美町の観光資源である三郡山は、福岡平野と筑豊盆地の間に位置する標高936m、宇美町で一番高い山です。春の山野草、秋の紅葉、冬の河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)など四季折々の魅力を楽しめます。三郡山の麓にある「一本松公園(昭和の森)」から約150分で登頂できます。
多々良川の支流、鳴淵川筋一帯をいい、両岸には奇岩がそそり立ち、その間を清流が流れる景勝地。夏はカジカ、秋は紅葉と季節ごとに楽しめる絶好のハイキングコース。中でも五塔の滝は見所のひとつ。
「前衛の女王」の異名をとったアーティスト・草間彌生の作品で、福岡市美術館の敷地内にある野外アートのひとつと。表面の黒いドットと特徴的な色彩が、訪れる人々の視線をとらえて離さない。
日宋貿易で活躍した謝国明は宋出身の帰化人で、櫛田神社周辺に住んでいた。また、小呂島を領有し、「船頭」「綱首」と呼ばれていたところから、船頭を兼ねた資産家の商人だったとみられる。仁治3年(1242年)に承天寺を創建し、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を迎え開山した。御笠橋手前、クスノキの大木の梢の下に、謝国明の墓と事跡を記した碑が建っている。
町民の健康づくりに積極的に取り組んでいる久山町が、近隣公園として整備したもの。3カ所ある多目的広場は野球、ソフトボール、運動会などのスポーツやレクリエーションなどに利用される。地域住民の憩いの場。
黒田忠之公(2代藩主)により創建された三間社流造の社殿が現在に至り、安土桃山文化の影響を受けた彫刻が施されている。
奥宮の桜井大神宮は伊勢大神宮から勧請したもので、内宮外宮を一体化した神明造りの社殿である。
県指定の重要文化財。
大乗寺は法皇山宝珠院と号して、昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。 この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩板碑、蒙古碇石があります。
20kmにわたる元寇防塁のほぼ中間にあたるのが西新・百道地区の防塁。文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。その後、この防塁が築かれた。大正9年、西新の防塁が発掘され、石塁が露出。昭和44年に本格的発掘調査が行われた。国指定史跡。