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綱敷天満宮
綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)
祭神は菅原道真。道真が袖の湊に上陸した際、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説によるもので、江戸時代には綱輪天神と呼ばれていた。次第に綱場と呼ばれるようになり、現在も町名として残っている。
浦宗勝墓
宗勝寺(浦宗勝墓)(そうしょうじ/うらむねかつぼ)
高節山麓にある曹洞宗の寺。小早川隆景の重臣で、立花城代を務めた浦宗勝が亡妻を弔うため永禄12年(1569)に建立した。寺は後に焼失し、現在の本堂は約200年前に再建されたもの。本堂左手前の山道を案内に従って登れば、竹林の中に宗勝とその妻の墓が、5人の重臣の墓と共にある。
博多遺跡群の出土品
博多遺跡群
JR博多駅北側の南北1.6km、東西0.8kmにひろがる遺跡群。弥生時代以来2000年に及ぶ「博多」の歴史の跡がこの地下に埋蔵されている。100回を越える発掘調査では、中国産をはじめ膨大な量の輸入陶磁器が出土。博多が古代から中世にかけて国際貿易の拠点であったことが明らかになった。博多駅地下園方面連絡口の「博多区まちかど文化広場」には遺跡群の展示コーナーがある。
九大学研都市駅
九大学研都市駅
2005年に開業した九大学研都市駅。付近は,姪浜に次ぐ西区の拠点として近年開発が進んでいます。
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【パブリックアート】ブー・ホァ(ト樺)《最良のものはすでにある》
博多リバレイン1階、福岡アジア美術館に直結するエレベーター前にある、約4×9メートルの壁画。中国・北京在住のデジタルアーティスト、ブー・ホァさんが描き下ろした原画をもとに、福岡のアーティストや学生ら24人が約1カ月かけて制作した大作です。 ブー・ホァさんは2014年に開催された「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ」に参加した際、福岡に滞在もしました。その経験も生かされ、「大切なものは自分の心...
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【パブリックアート】
上川端町の冷泉公園近くにある、コミュニティホステルWeBase博多の「旅の守り神」。大航海時代に、害獣から貨物や食糧、船を守り、疫病を防ぎ、さらには船員の心を癒す友として、人とともに世界中を旅してきた「船乗り猫」がモチーフです。ヘルメットとメタリックで堅牢な鎧は、混迷する世界の未来を見通し、困難に立ち向かう勇気を象徴しているといいます。 作者のヤノベケンジさんは、数々の巨大立体作品を発表し注...
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野村望東尼碑(のむらぼうとうにひ)
玄界灘に浮かぶ周囲3.8kmの姫島は、明治維新の歴史を陰で支えた尼僧、野村望東尼の流刑地として知られている。 その時の獄舎を復元し御堂として祭り、側には波乱の生涯を偲ぶ顕彰碑も建っている。 江戸時代、異国船監視の遠見番所が置かれ、海上交通の要所になっていた鎮山は、遊歩道も整備され、登山を楽しむことができる。
八雲神社
八雲神社(やくもじんじゃ)
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
多々良浜古戦場
多々良浜古戦場
京都の合戦で敗れ、九州まで逃れた足利尊氏は、延元元年(1336)宗像大宮司らの援軍を得て、多々良川右岸丘陵に陣どり、肥後の菊池武敏が率いる九州勢の大軍を迎え撃った。 当時、この付近一帯は戦場となり激戦が展開されたところで、戦いは菊池側の松浦、神崎ら諸軍の裏切りから乱軍となり、形勢は尊氏側に傾いた。余勢をかった尊氏は京に上り、室町幕府を築いた。
桜門
櫻井神社
黒田忠之公(2代藩主)により創建された三間社流造の社殿が現在に至り、安土桃山文化の影響を受けた彫刻が施されている。 奥宮の桜井大神宮は伊勢大神宮から勧請したもので、内宮外宮を一体化した神明造りの社殿である。 県指定の重要文化財。
怡土城跡の石碑
怡土城跡(いとじょうあと)
福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。
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五塔の滝(篠栗耶馬溪)(ごとうのたき(ささぐりやばけい))
多々良川の支流、鳴淵川筋一帯をいい、両岸には奇岩がそそり立ち、その間を清流が流れる景勝地。夏はカジカ、秋は紅葉と季節ごとに楽しめる絶好のハイキングコース。中でも五塔の滝は見所のひとつ。
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円覚寺
円覚寺は、寛元4年(1246年)大覚禅師(蘭渓道隆)が宋より大宰府へ来朝した際、時の鎌倉幕府五代執権・北条時頼が大伽藍を矢倉門(現在の祗園町)に創建しました。しかし、時の戦乱・兵火により寺院の全てを焼失してしまいます。 その後、寛永13年(1636年)に聖福寺の境内に基礎を移転して再建し、聖福寺の塔頭寺院となりました。 この円覚寺は、福岡藩士立花実山直筆の「南方録」が伝承されており、南方...
若八幡宮古墳
若八幡宮古墳(わかはちまんぐうこふん)
若八幡宮神社内にある前方後円墳。福岡市指定の史跡で、4世紀後半の築造と考えられている。墳長47m、後円部三段、前方部二段の築成で、墳丘には葺石を施し、埋葬主体部は長さ2.75m、幅1.2mの舟形木棺で、後円部中心に掘られた径13m前後の円形墓壙の中に古墳長軸と直交して埋置。棺内外には三角縁神獣鏡、玉類、鉄製武器類、鉄製短甲などを副葬している。
筥崎遺跡の出土品
筥崎遺跡(はこざきいせき)
筥崎宮を中心としたJR鹿児島本線西側一帯に位置する古砂丘上に営まれた遺跡群。古墳時代にはここですでに集落が営まれ、11世紀末から15世紀に遺跡の最盛期をむかえたとされている。大量に出土した中国陶磁器から、筥崎宮が対外交易に深く関与していたことを示した。粕屋総合庁舎一階ロビーには、昭和61年の発掘調査で出土した遺物が資料として展示されている。
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みあけ史跡公園
日本書紀に書かれた「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」の有力な候補地といわれている鹿部田淵遺跡(県指定史跡)を保存し整備した歴史公園。「歴史に学ぶ緑の丘」をテーマとした園内は、道路を挟み南北二箇所に分かれ、発掘時の地形と同じ緩やかな勾配をもつ芝生敷きの広場に建物を立体的に復元しています。
大原海水浴場
大原海水浴場
粒子が細かい白砂、周囲は自然豊かで景観も美しい、福岡屈指のロングビーチ。6月20日前後に海開きが行われ、浜辺に並ぶ海の家を利用すれば駐車場が無料になる。
六所神社
六所神社の大樟(ろくしょじんじゃのおおくす)
六所神社の境内には樹齢800年を超える樟の大木が2本ある。 幹周は、それぞれ8.5mと7.5m。樹高は、28mと39m。 日本最古の戸籍(大宝2年)肥君猪手一家が住んでいた川邊里(かわべり)もこの地域と言われている。昭和35年県指定天然記念物。

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