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七夕池古墳
七夕池古墳(たなばたいけこふん)
昭和48年に箱式石棺が発掘された大型円墳で、国指定の史跡です。副葬品には銅鏡や琴柱形石製品などがみられ、被葬者は高齢の女性で巫女的な存在であった言われています。石室や出土品より5世紀前半と推定されています。
公園内
春日公園
市の東部にある県営のスポーツ公園。サッカーやラグビーの球技場、野球場、テニスコートなどがあり、各種大会が行われている。また芝生広場や日本庭園も整備され、家族連れを中心に市民の憩いの場となっている。
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梅岳寺(ばいがくじ)
立花山のふもとにあり、立花城主立花道雪とその母の墓がある。もとは花谷山神宮寺と称したが、母の法名と道雪の姓から立花山梅岳寺養老院と改称。境内全域が県の史跡で、県指定文化財の本堂のほか多数の木像がある。
筥崎遺跡の出土品
筥崎遺跡(はこざきいせき)
筥崎宮を中心としたJR鹿児島本線西側一帯に位置する古砂丘上に営まれた遺跡群。古墳時代にはここですでに集落が営まれ、11世紀末から15世紀に遺跡の最盛期をむかえたとされている。大量に出土した中国陶磁器から、筥崎宮が対外交易に深く関与していたことを示した。粕屋総合庁舎一階ロビーには、昭和61年の発掘調査で出土した遺物が資料として展示されている。
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独鈷寺(とっこじ)
延暦年間に建立された天台宗開祖の寺と伝えられている。伝教大師(最澄)が唐からもち帰ったとされる独鈷と鏡が祭られている。境内には干雨に関係なく清水が湧き出る独鈷水や、最澄が座禅を組んだといわれる石が残る。
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幻住庵
延元元年(1336年)の創建で、無隠元晦(むいんげんかい)により開山されました。以前は、那珂郡馬出(まいだし)村(現在の東区馬出)にありましたが、天正年間(1573年-1591年)に兵火にかかり焼失。正保3年(1646年)、博多の豪商大賀宗九(おおがそうく)の息子宗伯(そうはく)が、現在地に再建しました。墓所には、宗九・宗伯父子の墓があります。また、文化・文政年間(1804年-1830年)に...
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福岡城 表御門跡
1918年(大正7年)に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、現在も同寺の山門として使用されている。
石堂地蔵尊
石堂地蔵尊(いしどうじぞうそん)
「刈萱(かるかや)石堂丸物語」発祥の地とされる地蔵堂。「子授け地蔵」や「刈萱地蔵」とも呼ばれている。
うみんぐ大島
うみんぐ大島
大島の豊かな海で心行くまで楽しめる、海上釣堀。 イケスは6区画あり、それぞれ12人程度まで釣りができます。また、貸し切りイケスもあり、グループで気がねなく釣りを楽しめます。 手ぶらで来ても竿などの道具を貸しだしております。
西部運動公園
西部運動公園
野球場やテニスコート、多目的球技場が揃う公園。ランニングコースもあり、田園風景を眺めながら爽快に走ることができる。また、ドッグランやワンちゃん用の水飲み場なども完備しているので、ペット連れで訪れている人も多い。
外観
奴国の丘歴史資料館
春日市には須玖遺跡群という今から1800~2000年ほど前の弥生時代に隆盛をきわめた遺跡があります。この遺跡は金印を授かった奴国の王都で、出土したすばらしい品々の多くは、奴国の丘歴史資料館に保管され、一部展示されています。歴史資料館でレンタサイクルを借りて、弥生時代の遺跡や、古墳などを巡って古代のロマンにひたってみてはいかがでしょうか?
大乗寺跡
大乗寺跡(だいじょうじあと)
大乗寺は法皇山宝珠院と号して、昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。 この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩板碑、蒙古碇石があります。
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天神西交差点広場/平和の門ほか
歩道エリアにはデザイナー・松永真による作品が並ぶ。“楽しくて対話できるもの”というコンセプトのもとに制作したこれらの作品は、カエルやキリンをモチーフにしており、親しみやすく心和むものばかりだ。
公園内
奴国の丘歴史公園
日本で初めて小銅鐸の鋳型が出た国指定史跡・岡本遺跡を中心に整備した公園。現在、池や樹木に囲まれた奴国の森と、カメ棺墓や弥生時代中期の遺構を修復・復元した遺跡の丘が完成している。
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永福寺(えいふくじ)
曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(たたら よしお)の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
紅葉八幡宮
紅葉八幡宮
筑前三代藩主・黒田光之が早良郡橋本村にあった小さな社を西新の地に移したもので、藤崎商店街から南へ少し入った所にある。西新の町はこの神社を中心に発展したとされる。大正4年(1915)、現在地の高取1丁目に移転。その名の通り境内にはモミジの木が多く、境内地の内、2000余坪を紅葉山公園としている。秋にはモミジが真っ赤に色づき、訪れる人の目を楽しませている。
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千寿院の滝(せんじゅいんのたき)
平家落人の里として伝説の残る唐原の里。 ここの林道から谷川沿いに小道を登ると見えてくるのが千寿院の滝。 高さ約20mで白い水しぶきとなって流れ落ちる様子は見事。夏場でも涼しく、観光客で賑わう。

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