観光・体験
Sightseeing & Activity
長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmにわたる元寇防塁。発掘調査により、防塁は海への傾斜面に幅1〜1.5m、高さ1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していたことがわかっている。 『蒙古襲来絵詞』の、肥後の御家人竹崎李長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景。現在、防塁の一部は整備され、見学することができる。
曹洞宗の禅寺で、山号は耕雲山。永正5年(1508)、怡土郡高祖村(前原市)に高祖城主・原田弘種が創建し、福岡藩二代藩主・黒田忠之の時に現在地へ移転した。寺内には福岡藩の大儒・貝原益軒と東軒夫人の墓がある。大正7年(1918)、病気静養のため来福した倉田百三は、当寺に寓居して『愛と認識との出発』『俊寛』を構想、執筆。さらに、倉田は武者小路実篤の『新しき村』に共鳴してその支部を設置した。
毎年、5月下旬から6月上旬にかけて、ほたるの乱舞が観られる名所です。
「ほたる館」では、ほたるの生態学習ができます。
梅の森、桜の森、じゃぶじゃぶ池、風の谷、こもれびの道、銅山跡広場があり、自然体験やレクリエーション活動の場として親しまれています。野鳥のバードウォッチングも楽しめます。
千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという寺院。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、福岡藩二代藩主・黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移して守った。これらの遺品の内、木造釈迦如来坐像(市指定文化財)は高さ94.2cmで、鎌倉時代に中央の仏師により制作されたもの。元箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の...
姪浜住吉神社祭神は、家内安全・海上安全・交通安全・開運・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛のご利益があるとされ、宮司がクイズミリオネアでパーフェクトを達成したことから開運の神社として特に有名です。
住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国 船来襲の調伏祈願の折にご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭...
交通の便が良く、町の中心に位置する文化施設として、生涯学習の“場”を開き『ゆとりある生活空間都市かすや』を創造し、必要な資料や情報を提供することを目的としています。歴史資料館には、復元作業室の公開や、地域の考古遺物や民族資料の紹介をおこなっています。
ビールの原料や、ビールの製造工程を分かりやすく説明する開かれたビール工場。
家族やグループで楽しく工場見学ができる。
見学の後は、おいしいビールやソフトドリンクを無料でお楽しみいただけます!
併設レストラン「キリンビアファーム」では、オリジナルのビールやビールに合う様々なグルメが楽しめるほか、ショップには、キリンビールのオリジナルグッズやおつまみにぴったりのアイテムたくさん。
また、...
荘厳寺は、志賀島渡船場から徒歩で約6分の場所にあり、歴史がある禅宗のお寺です。縁結びのお寺としても有名で、お寺から見下ろす博多湾の眺めは最高です。また、お寺の行事が無い日には、坐禅体験、抹茶体験、写経体験(有料)も行われており、海外からのお客様にも大変満足いただいています。※坐禅体験、抹茶体験、写経体験については、当日現地にてご確認ください。
博多港引き揚げ記念碑として平成8年に建てられた、巨大なモニュメント。「敗戦直後の失意とその後湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメント」として、豊福知徳により製作された。博多港は戦後直後、国内最大級の引揚援護港として、中国東北部や朝鮮半島より約139万人もの人々がこの地に、また、在日の朝鮮人・中国人など約50万人の人々がここから故郷へと帰っていった。戦争の悲惨な体験を二度と繰り返さ...
江戸時代中期のものといわれるが、九州では最も古いワラ葺きの民家。伝教大師(最澄)が中国から帰国した折りに寄宿し、世話になったお礼として「横大路」の性と「毘沙門天の像」「法理の火」「岩井の水」を贈られ、「法理の火」を千年以上守り続けていることから「千年家」と呼ばれている。また、毘沙門天の像は高さ30センチほどの高さで最澄が手彫りしたと言われ、毎年4月13日の「御開帳祭」の日だけ見ることができる...
福岡のオアシス・大濠公園南側エリアに、八女茶をテーマとした2階建て和モダン建築の新しい施設「大濠テラス 八女茶と日本庭園と。」がニューオープン!
1階は幅の広い大きなテラス窓一面、開放感のあるナチュラルなカフェ空間です。八女茶を中心に福岡県各地域から届けられる旬な具材を厳選し、様々なメニューを楽しめるカフェもあります。レンタル着物店も併設していますので、レンタル着物を着て日本庭園や大濠...
西光寺は浄土真宗本願寺派。文明元年(1469)に天海が創建した。国宝でもある梵鐘は平安時代初期のもので、我が国の紀年銘鐘では4番目の古さとなる。池の間に陽鋳された銘文によれば、承和6年(839)に伯耆国(鳥取県)の金石寺の鐘として鋳造されたとしている。江戸時代に出雲大社などを経て、明治30年(1897)、当寺に納められた。現在、梵鐘は覆屋の中に保存され、毎月1日と16日に見ることができる。
神功皇后が新羅から凱旋し,姪浜に上陸され鳥飼村平山という場所に着かれた。鳥飼村の人々は皇后を厚くもてなした。また、皇后は胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を祝い、この地に泊まって近臣たちにも杯を振る舞ったという伝説から、子供の成長を助ける子安のご利益があるとされている。その後、村ではこの地に社を建てて、『若八幡』と名付けて奉拝したのが鳥飼八幡宮の起源とされている。