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也良崎万葉歌碑(やらのさきまんようかひ)
也良崎は防人が置かれていたことが分かっている全国唯一の場所。この歌は防人を詠んだ歌の一首で、船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものです。沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ(「万葉集」3866)
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在自唐坊跡展示館(あらじとうぼうあとてんじかん)
12世紀に日宋貿易が行われていたころ中国から来た人の住んでいた場所の遺跡。 津屋崎小学校の校舎の中にあります。 福津市教育委員会文化財課に電話して日程調整を行ってからお越しください。
白壁の通り
次郎丸3丁目の白壁通り
江戸末期につくられたまちの雰囲気や歴史的景観が感じられる白壁の民家が残る通り
蒙古碇石
筥崎宮境内蒙古碇石(はこざきぐうけいだいもうこいかりいし)
蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。
主基斉田碑
主基斉田跡(すきさいでんあと)
昭和3年11月、京都御所で行われた昭和天皇の即位式で、主基殿に供えられた新米が脇山の石津新一郎が所有したこの斉田より献上された。 全国から選ばれ、古式により田植えから収穫仕上げまで、村(当時の脇山村)を挙げての大行事であった。 この斉田から白米3石(450キログラム)が献上された。
勝軍地蔵堂
勝軍地蔵堂(しょうぐんじぞうどう)
元寇防塁の南約400m、道路とJR鹿児島本線の間にある地蔵堂。寛永8年(1631)に福岡藩二代藩主・黒田忠之が建立し、明治42年(1909)に九州大学工学部が建設される際、この地に移転した。この堂に鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、小松(平)重盛が育王山(中国浙江省の山で巡礼地)に砂金を送り、その帰船にこの菩薩像を乗せてきた、との言い伝えがある。境内の板碑群とともに県指定文化財である。
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能許万葉歌碑(のこまんようかひ)
能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊) で風待ちをしている時の気持ちが詠まれています。風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(「万葉集」3673)
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新町遺跡展示館
弥生時代の早期・前期の支石墓を含む57墳墓を展示。稲作開始時期での初めての人骨出土として人類学上注目されている。平成12年9月6日国史跡に指定(新町支石墓群)
大日堂
大日堂(だいにちどう)
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面は漆仕上げで造られている。市指定の文化財。
曲淵五重石塔
曲淵五重石塔(まがりぶちごじゅうせきとう)
曲淵小学校内に立つ石塔です。室町時代(1336年~1573年)の建立と推定され、塔は下から基礎、塔身【とうしん】、屋根のようにみえる笠石【かさいし】を五段に重ね、その上には、輪状の石と宝珠【ほうじゅ】を組み合わせた相輪【そうりん】と呼ばれる石をのせています。素材には、砂岩【さがん】を用いているため、塔身に浮き彫りされた仏像は風化が進み、現在は確認できません。 伝承では、戦【いくさ】にやぶれ、...
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河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)(ごうらだにのおおつらら(なんしょがたき))
三郡山の河原谷(ごうらだに)渓谷を90分ほど登れば、標高724mに位置する河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)にたどり着きます。1月から2月にかけて、岩から染み出た水や雪が融けた水が岩肌をつたいながら凍って氷結し、寒気が強まる時期が続くと高さ20mもの見事な大つららになることもあります。壮大な氷の彫刻を一目見ようと、多くの人が訪れます。寒気が続いた後のなるべく気温の低い午前中がお勧めです。※登...
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福岡城 下之橋御門
城の西側にあり、東側の上之橋御門とともに、城内に入るための門として使用されました。 2000年(平成12年)8月に不審火で半焼しましたが、2008年(平成20年)11月に復元されました。焼失前は一層でしたが、現在の二層の姿が本来のものと考えられています。
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立帰天満宮
菅原道真(すがわらみちざね)を祭る神社。社伝によれば、ご神体は武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていたが、元禄年間(1688~1703)に、荒津山の麓の源光院に移された。港に近く、藩船の船乗りに信仰された。明治20年、この地に社殿が建てられ、漁業、航海関係者に参詣されている。境内には新四国札所大師堂がある。
五郎山古墳と古墳館
五郎山公園(ごろうやまこうえん)
国指定史跡・五郎山古墳を有する公園。歴史性や郷土性を強調し、豊富な自然樹木を活かしてつくられた。水辺の広場、林の広場、遊びの広場、桜の広場など特色あるゾーンが広がる。野外実習教育にも活用されている。
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宗像・沖ノ島と関連遺産群
平成21年1月にユネスコの世界遺産暫定リストに記載された本資産は、4世紀後半から9世紀末にかけて、航海の安全と対外交渉の成就を願って国家的祭祀が行われた「沖ノ島」、その信仰と祭祀が宗像三女神を祀る島伝いの壮大な三宮へと発展を遂げた「宗像大社」、沖ノ島祭祀を奉斎した宗像氏を中心とする海の民の墓域である「津屋崎古墳群(新原・奴山古墳群)」で構成されています。 日本における古代祭祀の変遷過程を示す...
多々良浜古戦場
多々良浜古戦場
京都の合戦で敗れ、九州まで逃れた足利尊氏は、延元元年(1336)宗像大宮司らの援軍を得て、多々良川右岸丘陵に陣どり、肥後の菊池武敏が率いる九州勢の大軍を迎え撃った。 当時、この付近一帯は戦場となり激戦が展開されたところで、戦いは菊池側の松浦、神崎ら諸軍の裏切りから乱軍となり、形勢は尊氏側に傾いた。余勢をかった尊氏は京に上り、室町幕府を築いた。
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宗生寺(そうしょうじ)
禅宗(曹洞宗)の名刹。桃山時代の武将で筑前の領主・小早川隆景の墓所やツツジの庭園で知られている。 境内に安置されている馬頭観音は奈良時代の僧行基の作とされる秘仏で、33年に2回開帳される。
のぼり窯体験広場
ウトグチ瓦窯展示館(のぼり窯体験広場)
7世紀後半、九州では最古級のウトグチ瓦窯遺跡をドームで覆って完全保存。 展示館とした施設。当時の瓦窯の様子や瓦の歴史が学習できる。 また復元されたのぼり窯や工房があり、焼物づくりが実際に体験できる。

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