観光・体験
Sightseeing & Activity
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。
感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
志賀島に位置する古墳。7世紀前半に築造され、勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であると考えられている。墳丘の規模や形態は不明だが、長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室があり、須恵器、鉄製武器、耳環やガラス玉の装飾品などが出土した。
平成21年1月にユネスコの世界遺産暫定リストに記載された本資産は、4世紀後半から9世紀末にかけて、航海の安全と対外交渉の成就を願って国家的祭祀が行われた「沖ノ島」、その信仰と祭祀が宗像三女神を祀る島伝いの壮大な三宮へと発展を遂げた「宗像大社」、沖ノ島祭祀を奉斎した宗像氏を中心とする海の民の墓域である「津屋崎古墳群(新原・奴山古墳群)」で構成されています。 日本における古代祭祀の変遷過程を示す...
元寇防塁の南約400m、道路とJR鹿児島本線の間にある地蔵堂。寛永8年(1631)に福岡藩二代藩主・黒田忠之が建立し、明治42年(1909)に九州大学工学部が建設される際、この地に移転した。この堂に鎮座する石造地蔵菩薩坐像は、小松(平)重盛が育王山(中国浙江省の山で巡礼地)に砂金を送り、その帰船にこの菩薩像を乗せてきた、との言い伝えがある。境内の板碑群とともに県指定文化財である。
作者は20世紀を代表するイギリスの現代彫刻家、ヘンリー・ムーア。福岡市政100周年を記念し、市民からの基金によって設置された。子供を包み込むようにして博多駅前に横たわるその姿は、博多を訪れる人までも優しく包み込んでくれるようだ。
シーサイドももちのウォーターフロント施設。 「福岡タワー」から海側に徒歩わずか1分の場所にあり 海の上に浮かぶ多彩な施設群がレジャーやデートに人気スポット。 ビーチサイドではマリンスポーツも盛んで 夕暮れは都会の海辺のロマンチックな景色が広がる。 パームツリー桟橋の先にあるウエディングアイランドマリゾンは、 30mのヴァージンロードを備えたチャペルをはじめ 選べる4つのオーシャンビューバンケ...
曲淵小学校内に立つ石塔です。室町時代(1336年~1573年)の建立と推定され、塔は下から基礎、塔身【とうしん】、屋根のようにみえる笠石【かさいし】を五段に重ね、その上には、輪状の石と宝珠【ほうじゅ】を組み合わせた相輪【そうりん】と呼ばれる石をのせています。素材には、砂岩【さがん】を用いているため、塔身に浮き彫りされた仏像は風化が進み、現在は確認できません。 伝承では、戦【いくさ】にやぶれ、...
相島の北東、長井浜に古墳時代中期から後期にかけての古墳「積石塚」があります。一般には土を盛って造るのに対し、積石塚は石を積んだ古墳で、254基の墳墓が見つかっています。【国指定史跡】
作者についてはもはや説明不要でしょう。「世界のKUSAMA」こと、草間彌生さんの作品です。
福岡市美術館の屋外に設置されている水玉の黄色い《南瓜》が有名ですが、実は舞鶴にある「あいれふ」でも草間さんの作品が見られるんです。しかも、3体も!
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
ここは、神功(じんぐう)皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿彌(たけのうちのすくね)が、香椎在陣中に居住したと伝えられている。宿彌は300歳までも生きたという伝説の人である。
近くの不老水は宿彌の長寿にちなんだもので、以前は香椎宮の綾杉(あやすぎ)の木と共に皇室に献上されていた。不老水は長寿の神秘を物語るように、汲めどもつきぬ水を湧かせている。