観光・体験
Sightseeing & Activity
那珂川にかかる住吉の参宮橋は、洪水のたびに流失していた。春吉に住む稲光弥平は橋が流される原因を究明して、安政2年(1855)川の中央に人工島を築き、橋をかけて流出を防いだ。この石碑は、昭和6年にその功績を末永く顕彰するため設置されたものである。
旧早良郡飯盛・吉武・四箇・金武・田村・羽根戸・野方からなる、七ヵ村の惣社飯盛神社の神宮寺真教院の跡地に建つ。鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり、この地方の真言律宗の中心として栄えた。堂内には元弘3年(1333)仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されている。堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があるとか。
墳長75m以上、高さ8mの前方後円墳で、福岡市の指定史跡。古墳時代初期に築かれたものとされている。墳丘は地山整形と盛土からなり、周囲には鍵穴形に周溝がめぐらされている。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。福岡平野の首長墓の系譜では最古に属するものとされている。
歩道エリアにはデザイナー・松永真による作品が並ぶ。“楽しくて対話できるもの”というコンセプトのもとに制作したこれらの作品は、カエルやキリンをモチーフにしており、親しみやすく心和むものばかりだ。
奈良時代初めに建立された寺院跡。奈良時代前半の瓦、「寺」や「堂」と墨書した土器、正倉院宝物に類似する黄銅製の匙と箸などが出土した。若宮八幡宮(三宅小学校前)の手洗石は、塔の心礎を転用したものと考えられている。『日本書紀』よると、那津の口に官家を修造し、内外の非常に備えて穀物を蓄えさせたとあり、これが三宅の地名の起こりと考えられている。
真言宗御室派で、山号は登志山。怡土荘の中原氏の娘の発願で、安元元年(1175)に栄西を招いて創建された。怡土荘は山城仁和寺領で、仁和寺ゆかりの僧である栄西は今津湾を臨むこの寺に10余年間滞留し、宋船のもたらす経典の入手に努めた。栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。銭弘俶八万四千塔や、孔雀文沈金経箱は、国指定の重要文化財。
以前は直径18mほどの古墳であったとみられ、巨大な箱式石棺が発見された。棺の底からは管玉 17個が発見され、この管玉の特徴が古墳時代のものより弥生時代のものに近かったため原始古墳ではないかと推定されている。
市内随一の大社で、古くから地域住民に親しまれています。 創立は史料の焼失などで明らかではありませんが、残っている棟札には明応2年(1493年)との記載があり、歴史の古さを物語っています。 また、境内にある大楠のこぶをよく見るとあの有名な妖精「ムーミン」そっくりだということが発見されました。この不思議な偶然は大反響を呼び、今では全国からファンが見学に訪れる名所です。
福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。
ここは、神功(じんぐう)皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿彌(たけのうちのすくね)が、香椎在陣中に居住したと伝えられている。宿彌は300歳までも生きたという伝説の人である。
近くの不老水は宿彌の長寿にちなんだもので、以前は香椎宮の綾杉(あやすぎ)の木と共に皇室に献上されていた。不老水は長寿の神秘を物語るように、汲めどもつきぬ水を湧かせている。
玄界灘に浮かぶ周囲3.8kmの姫島は、明治維新の歴史を陰で支えた尼僧、野村望東尼の流刑地として知られている。
その時の獄舎を復元し御堂として祭り、側には波乱の生涯を偲ぶ顕彰碑も建っている。
江戸時代、異国船監視の遠見番所が置かれ、海上交通の要所になっていた鎮山は、遊歩道も整備され、登山を楽しむことができる。
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。
香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。
波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。
宇美町の観光資源である三郡山は、福岡平野と筑豊盆地の間に位置する標高936m、宇美町で一番高い山です。春の山野草、秋の紅葉、冬の河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)など四季折々の魅力を楽しめます。三郡山の麓にある「一本松公園(昭和の森)」から約150分で登頂できます。