観光・体験
Sightseeing & Activity
黒田忠之公(2代藩主)により創建された三間社流造の社殿が現在に至り、安土桃山文化の影響を受けた彫刻が施されている。
奥宮の桜井大神宮は伊勢大神宮から勧請したもので、内宮外宮を一体化した神明造りの社殿である。
県指定の重要文化財。
大正5年の起工以来7カ年の歳月をかけて完成した福岡市で最初の上水道ダムである。堰堤(えんてい)の高さ45メートル、長さ161メートル、上部の幅4・0メートルの規模で、260万8千トンの貯水が可能な重力式ダムである。当初は12万人へ給水をしていたが、市勢の発展と共にダムも拡張工事が行われ、現在の大きさになった。
曹洞宗補陀山興宗寺の境内、右側丘陵の半腹に南向きに位置している円墳。墳丘の推定直径は約20mで、石室は複室構造の横穴式。古墳時代後期のものとされている。石室内の奥の間の正面には阿弥陀、左右には観音、勢至両菩薩が彫られている。作者・製作時期は不明だが、その形態から穴観音と呼ばれて信仰されている。
「あいれふ」入口に設置された、まるでダンスを楽しんでいるような、あるいは怒って叫んでいる?ような、赤い大きな犬の彫刻。
作者はストリートアートの先駆者とも呼べる画家であり、1980年代のアメリカ美術を代表するキース・ヘリングさんです。彫刻であるものの薄くて平面に近い作品で、ヘリングさんが行っていた地下鉄広告版の飽きスペースに描く「サブウェイ・ドローイング」というグラフィティ・アートを肌で感じ...
明治2年(1869)に神殿と拝殿を建立。祭神は菊池武時・埴安命・大鷦鷯命。武時は元弘3年(1333)に最後の鎮西探題・北条英時を攻めて敗死した鎌倉末期の武将である。馬上の武時の首が落ちた所が六本松の首塚で、胴が落ちたのが七隈の胴塚という伝えがあり、首塚と伝えられた旧鳥飼村馬場頭(中央区六本松三丁目)にも菊池霊社が建てられている。毎年7月に夏越祭り、11月に菊花大祭が催される。
カシ、シイ、ムクなどの木々が重なり合って壮厳な美しさをかもし出す自然林。
この中にある樹齢900年のナギの古木5本は、行基のお手植えともいわれる。県指定の天然記念物。
昭和63年に発掘調査された能古焼は、江戸時代中後期にわずか20年間操業された藩窯。そのため「幻の能古焼」と言われているとか。焚口部と焼成室7室からなる8室構造の連房式登窯で、九州最大規模の窯跡だ。壁体内には磚や窯道具が塗り込められ、修復が繰り返されたことがうかがわれる。一つの窯から有田焼系の磁器片、高取焼系の陶器片の両方が出土する、珍しい窯跡でもあるのだ。
福津市の水がめである久末ダム周辺を公園として整備したもので、野球場、テニスコート、多目的広場があります。ダム周辺は散策の場として四季折々の自然とふれあうことができます。また、久末ダムは、バードウォッチングが楽しめ、冬場は鴨類などの水鳥も飛来します。
天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。福岡城表御門の上ノ橋前に設立。初代館長は貝原益軒の高弟・竹田定直の孫である定良。徂徠学派・亀井南冥館長の西学問所(甘棠館)とは対照的に、朱子学派の厳格な学風を重んじた。西学問所の廃校後は藩士教育の中心機関となり、憲法起草にあたった金子堅太郎、三井の団琢磨、早良区重留に私塾と実験農場を兼ねた勧農社を主宰した林遠里など、幾多の人材を輩出した。
長塚節(1879~1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、作家としては「土」を書いて農民文学を確立した。
明治45年、喉頭結核を患い、治療のため久保猪之吉博士を頼って九州大学病院に入院したが、大正4年37歳でなくなった。
博多港引き揚げ記念碑として平成8年に建てられた、巨大なモニュメント。「敗戦直後の失意とその後湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメント」として、豊福知徳により製作された。博多港は戦後直後、国内最大級の引揚援護港として、中国東北部や朝鮮半島より約139万人もの人々がこの地に、また、在日の朝鮮人・中国人など約50万人の人々がここから故郷へと帰っていった。戦争の悲惨な体験を二度と繰り返さ...