観光・体験
Sightseeing & Activity
能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊) で風待ちをしている時の気持ちが詠まれています。風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(「万葉集」3673)
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
弥生時代後期から古墳時代にかけての集落跡。国指定史跡。弥生時代には大小2つの環濠集落が営まれ、古墳時代に300基以上の住居が造られたとされている。墓地は住居から離れ、箱式石棺墓や木棺墓が1ヶ所にまとまっているのも特徴。石棺墓の中から中国製の鏡(獣帯鏡・内行花文鏡)、玉、太刀、管玉、ガラス玉などが出土した。住居展示館や復元住居などが整備され、当時の生活を知ることができる。
※2019年5月1...
玄界灘に浮かぶ周囲3.8kmの姫島は、明治維新の歴史を陰で支えた尼僧、野村望東尼の流刑地として知られている。
その時の獄舎を復元し御堂として祭り、側には波乱の生涯を偲ぶ顕彰碑も建っている。
江戸時代、異国船監視の遠見番所が置かれ、海上交通の要所になっていた鎮山は、遊歩道も整備され、登山を楽しむことができる。
旧早良郡飯盛・吉武・四箇・金武・田村・羽根戸・野方からなる、七ヵ村の惣社飯盛神社の神宮寺真教院の跡地に建つ。鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり、この地方の真言律宗の中心として栄えた。堂内には元弘3年(1333)仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されている。堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があるとか。
臨済宗大徳寺派の禅寺で、山号は海晏山。文応元年(1260)鎭西探題・北条時定が開創。宋より帰国した南浦紹明(大応国師)が、文永7年(1270)に招かれて開山した。その後、太宰府横岳崇福寺・京都万寿寺・鎌倉建長寺の住持となり高僧を輩出。その法脈を大応派と称した。寺蔵の絹本著色大応国師像は、師資相承の証しとして弟子に与えられたもので、国指定の重要文化財である。
作家檀一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」が刻まれています。みやま市にある善光寺の裏山で筑後平野を見下ろしながら死別した妻を想い、詠んだ悲歌とされています。
日本最大の銅鏡「内行花文鏡」が出土した平原王墓を中心に、歴史と自然に親しめる公園として整備したもの。数々の出土品を再現した陶壁画や石造りベンチを設け、古代の木であるホホガシやクスノキを植栽している。また、秋になると地元の人々によって植えられたコスモスが見頃を迎える。
元寇防塁のうち、長垂山から今山にかけての砂丘上には、豊前国が分担して防塁を築いた。現在は長垂海水浴場前と今山のふもとに国指定地がある。古文書には、築城郡吉富村を本拠とした成富氏が、乾元2(1303)年この地区の防塁の修理を完了したという報告があり、弘安の役(1281年)以後も防塁の修理が行われ、蒙古に対する警備体制が続いていたことを示している。
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
臨済宗大徳寺派の寺で、山号は龍起山。大覚禅師(蘭渓道隆)と鎌倉幕府五代執権・北条時頼を壇越として、建長元年(1249)に創建。延文5年(1360)には朝廷の勅願寺となり、これに関する文書が他の21点の中世文書とともに残されている。曲彖(椅子)に座った禅師が描かれている『絹本着色大覚禅師像』は、縦112.8cm、横59.69cmで、国の重要文化財に指定されている。
平安時代後期恵心僧都の作といわれ、上品下生の座像。
木造漆箱で高さ約108cm、螺髪は小粒で整然とし、静かに目を伏せた相貌は円満で豊かな頬と相まって阿弥陀如来の慈悲をよく表している。
昭和25年国指定重要文化財。
JR一貴山駅の東方500mほどの丘陵地にあり、全長103mの前方後円墳。
竪穴式石室で、古墳時代前期(4世紀後半)のものとみられる。
白銅鏡10面や刀剣、勾玉などが出土し、現在は京都大学総合博物館に保管されている。国指定史跡。
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
六所神社の境内には樹齢800年を超える樟の大木が2本ある。
幹周は、それぞれ8.5mと7.5m。樹高は、28mと39m。
日本最古の戸籍(大宝2年)肥君猪手一家が住んでいた川邊里(かわべり)もこの地域と言われている。昭和35年県指定天然記念物。
糸島市の西側にあり、標高535mの山頂に立つと青い海原に浮かぶ緑の小島など、玄界灘の雄大な眺望が楽しめる。山頂までのハイキングコースが整備されており、春は山菜採り、秋は紅葉と四季折々の楽しみ方ができる。
墳長85m、高さ8mの前方後円墳。高祖山から北にのびる丘陵端にある。墳丘斜面には葺石があり、墳頂部と段テラスの三段に円筒埴輪がめぐっていて、石室内からは鏡や匂玉、鉄刀などの副葬品が出土した。5世紀前半の築造で、今宿平野のみならず糸島平野全体を掌握した首長の墓と考えられている。国指定史跡。