観光・体験
Sightseeing & Activity
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
元寇防塁のうち、長垂山から今山にかけての砂丘上には、豊前国が分担して防塁を築いた。現在は長垂海水浴場前と今山のふもとに国指定地がある。古文書には、築城郡吉富村を本拠とした成富氏が、乾元2(1303)年この地区の防塁の修理を完了したという報告があり、弘安の役(1281年)以後も防塁の修理が行われ、蒙古に対する警備体制が続いていたことを示している。
全国屈指のラドンを含む天然温泉。ラドンが療養泉基準の7倍も含まれており、高血圧症、動脈硬化症、痛風、神経痛などさまざまな効能が期待できる。また、流水浴プールや地元の旬の幸を使った食事なども楽しめる。
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
作家檀一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」が刻まれています。みやま市にある善光寺の裏山で筑後平野を見下ろしながら死別した妻を想い、詠んだ悲歌とされています。
専用の安全ハーネスを装着して森の樹から樹へ空中移動していく、フランス発祥のアウトドアパーク。森の木々をそのまま利用したコース内にはシャクナゲが自生しており、春には一面に咲いた花の中でフォレストアドベンチャーが体験できます。
平安時代後期恵心僧都の作といわれ、上品下生の座像。
木造漆箱で高さ約108cm、螺髪は小粒で整然とし、静かに目を伏せた相貌は円満で豊かな頬と相まって阿弥陀如来の慈悲をよく表している。
昭和25年国指定重要文化財。
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。
真言宗御室派で、山号は登志山。怡土荘の中原氏の娘の発願で、安元元年(1175)に栄西を招いて創建された。怡土荘は山城仁和寺領で、仁和寺ゆかりの僧である栄西は今津湾を臨むこの寺に10余年間滞留し、宋船のもたらす経典の入手に努めた。栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。銭弘俶八万四千塔や、孔雀文沈金経箱は、国指定の重要文化財。
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(祇園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
糸島市の西側にあり、標高535mの山頂に立つと青い海原に浮かぶ緑の小島など、玄界灘の雄大な眺望が楽しめる。山頂までのハイキングコースが整備されており、春は山菜採り、秋は紅葉と四季折々の楽しみ方ができる。
也良崎は防人が置かれていたことが分かっている全国唯一の場所。この歌は防人を詠んだ歌の一首で、船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものです。沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ(「万葉集」3866)
能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊) で風待ちをしている時の気持ちが詠まれています。風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(「万葉集」3673)
全国で数少ない古式手法「ハネ木搾り」を使い、ゆっくりと時間をかけて圧搾するので、雑みを搾りきらないのが特徴。
「ハネ木搾り」という技法は、江戸時代から続く圧搾方法で、8mのカシの木の片方に少しづつ石を吊り下げながら加圧していく方法。