観光・体験
Sightseeing & Activity
大島の最高峰、標高224mの御嶽山山頂にあり、360度の大パノラマが広がる。眼下に大島漁港や沖ノ島、壱岐といった玄界灘の島々、遠く英彦山、脊振などの山々。晴れた日には山口県方面 まで見渡すことができる。
京都の合戦で敗れ、九州まで逃れた足利尊氏は、延元元年(1336)宗像大宮司らの援軍を得て、多々良川右岸丘陵に陣どり、肥後の菊池武敏が率いる九州勢の大軍を迎え撃った。
当時、この付近一帯は戦場となり激戦が展開されたところで、戦いは菊池側の松浦、神崎ら諸軍の裏切りから乱軍となり、形勢は尊氏側に傾いた。余勢をかった尊氏は京に上り、室町幕府を築いた。
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
日本書紀によると小山田の斎宮は神功皇后の斎宮とかかれ、西暦200年、神功皇后が政務を執られたといわれる聖母屋敷の一角に立てられたとされています。社叢(しゃそう)にはブナ科スダジイとイチイガシなどが群生しており、県の天然記念物に指定されています。イチイガシの大きなものは樹齢千年以上を経ていて、胸高周囲約4メートル、高さ30メートルもあります。
JR一貴山駅の東方500mほどの丘陵地にあり、全長103mの前方後円墳。
竪穴式石室で、古墳時代前期(4世紀後半)のものとみられる。
白銅鏡10面や刀剣、勾玉などが出土し、現在は京都大学総合博物館に保管されている。国指定史跡。
今泉公園に隣接した処に、歌人大隈言道が天保7年(1836)39歳のときから住んでいた旧居「ささのや」があった。言道は二川相近(ふたがわすけちか)について和歌を、日田(大分県)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)に漢学を学び、大阪に出て歌人らと交流するなど歌道に精進、明治元年71歳で亡くなった。墓は香正寺にある。
日守(ひまもり)神社境内にある歌碑。
天平2年(730年)に太宰府の帥(長官)であった大伴旅人の病気を見舞った弟の稲公と甥の胡麿が、見舞いを終えこの地で別 れの宴を張ったとき、大伴百代が詠んだ歌が刻まれている。
10月第3土・日の秋季大祭での大名行列は200年の伝統を誇り、豪華な装束を身にまとった行列が続く。広い境内は自然にも恵まれ、県指定の天然記念物トキワガシ・イチイガシの樹木が見事。
也良崎は防人が置かれていたことが分かっている全国唯一の場所。この歌は防人を詠んだ歌の一首で、船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものです。沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ(「万葉集」3866)
相島の北東、長井浜に古墳時代中期から後期にかけての古墳「積石塚」があります。一般には土を盛って造るのに対し、積石塚は石を積んだ古墳で、254基の墳墓が見つかっています。【国指定史跡】
JR博多駅にほど近い場所にある比恵公園。中央に、高さ4メートルの大きな掌のモニュメントがそびえ立っています。山梨県出身、福岡市在住の作者は、数多くのパブリックアート作品を手掛け、また、障がい者アートのプロデュース活動も行っている彫刻家。
この作品はアジアの玄関口、福岡での出会いや別れが表されているそうです。行き交う人の時間帯、向かう方向によって感じ方が違い、「ハロー」にも見えれば「グッバイ」...
平成21年1月にユネスコの世界遺産暫定リストに記載された本資産は、4世紀後半から9世紀末にかけて、航海の安全と対外交渉の成就を願って国家的祭祀が行われた「沖ノ島」、その信仰と祭祀が宗像三女神を祀る島伝いの壮大な三宮へと発展を遂げた「宗像大社」、沖ノ島祭祀を奉斎した宗像氏を中心とする海の民の墓域である「津屋崎古墳群(新原・奴山古墳群)」で構成されています。 日本における古代祭祀の変遷過程を示す...
曲淵小学校内に立つ石塔です。室町時代(1336年~1573年)の建立と推定され、塔は下から基礎、塔身【とうしん】、屋根のようにみえる笠石【かさいし】を五段に重ね、その上には、輪状の石と宝珠【ほうじゅ】を組み合わせた相輪【そうりん】と呼ばれる石をのせています。素材には、砂岩【さがん】を用いているため、塔身に浮き彫りされた仏像は風化が進み、現在は確認できません。 伝承では、戦【いくさ】にやぶれ、...