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荘厳寺
荘厳寺は、志賀島渡船場から徒歩で約6分の場所にあり、歴史がある禅宗のお寺です。縁結びのお寺としても有名で、お寺から見下ろす博多湾の眺めは最高です。また、お寺の行事が無い日には、坐禅体験、抹茶体験、写経体験(有料)も行われており、海外からのお客様にも大変満足いただいています。※坐禅体験、抹茶体験、写経体験については、当日現地にてご確認ください。
志式神社
志式神社(ししきじんじゃ)
JR奈多駅の北側の松林に囲まれた砂丘上に鎮座。祭神は火明神や豊玉姫神などで、農業と漁業の神として信仰されている。一の鳥居をくぐった右手に建つ志式座(市指定文化財)は、間口16.3m、奥行5.27mの桟瓦葺切妻平入の建物で、舞台の下手には7.22mの花道が常設され、現在も神社の祭りで使用されている。11月19日(旧暦10月19日)の秋大祭には、県指定無形民俗文化財の「早魚(はやま)行事」が奉納...
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九州大学総合研究博物館
2011年に創立百周年を迎えた九州大学に付設している総合博物館。 研究や教育の過程で収集されたり用いられたりした膨大な学術資料や教育資産を管理。 そのごく一部の実物を、1930(昭和5)年に竣工された歴史的建物の3階にある常設展示室で見ることが出来る。 公開講演会や企画展示、子ども向けのワークショップなどもしばしば開催。特に、年に数回開催される、収蔵展示室の一般公開や、古い施設を使った...
名島城跡
名島城跡(なじまじょうあと)
東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、...
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勝馬海水浴場
志賀島北西部に位置し、玄海島が望める海水浴場。海岸は芝生と松林の美しい緑で占められており、海の水も青くて綺麗。駐車場を300台程度備え、海岸へのアクセスも良好。
名島弁財天社
名島弁財天社
承和(じょうわ)年間(833~850)に天台宗慈覚大師円仁(てんだいしゅうじかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。 豊臣秀吉は九州征伐の際当社に詣で、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて、九州の守護として名島城を築かせた。その折、隆景は堂を修築して城の鎮守とし、その後、歴代藩主の崇敬を受けた。 明治維新の神仏分離で、弁天社は名島神社となり、弁天社はこの地に祭られるようになった...
名島帆柱石
名島帆柱石(なじまほばしらいし)
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。 香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。 波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。
宮前古墳群
宮前古墳群(みやまえこふんぐん)
大神神社境内と、現在の高見台南公園に分布する3基の円墳群。神社拝殿西横の1号墳は横穴式石室の玄室が残り、公園緑地内にある3号墳は墳丘径20m、内部主体全長7.3mの横穴式石室。現在も形のよい墳丘と石室が残されている。石室からは須恵器と土師器が出土し、この古墳群では一番最初の6世紀末、造られたものと考えられている。
綿津見神社
綿津見神社(わだつみじんじゃ)
祭神は綿津見神。境内には大日堂と虚空蔵堂があり、ここに祀られた木造の不動明王立像・吉祥天立像・如来形立像・伝虚空蔵菩薩立像・伝薬師如来座像の5躯が、「綿津見神社仏像群」として市有形文化財に指定されている。この内、如来形立像と菩薩立像は、11世紀あるいは14世紀に海中から引き揚げられたとの言い伝えがある。神社裏からは玄界灘を眼下に見下ろし、西に志賀島、北に相ノ島を望むことができる。
立花城跡
立花城跡(たちばなじょうあと)
東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...
名島神社
名島神社と名島城跡
九州を平定した豊臣秀吉が、小早川隆景に命じて、天正16年(1588)から修築し、九州監察の拠点とした。 慶長5年(1600)黒田長政が入城したが、福岡城を築いてからは廃城となった。 また、神社は当初、山上にあったが、隆景が修築のとき、本丸下の現在地に移されたものである。
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アビスパ福岡
地元福岡では熱狂的な支持を得るサッカークラブ。名前はスペイン語の「クマンバチ」を意味する「アビスバ」から由来している。ハチのチームワークやスピーディな動きをなぞらえたものだ。そのためマスコットキャラクターもクマンバチを現している。地域に根ざしたスポーツクラブとして福岡市民に支持され、スポーツを通じた子供の育成など、豊かなスポーツ文化の創造に貢献している。
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火焔塚
弘安4(1281)年の元寇の際、高野山の僧侶一行が護摩を焚き、博多湾に侵攻した蒙古軍の降伏を祈祷したといわれている場所。蒙古軍が退散し、一行が帰るとき、不動明王の火焔形をこの地にとどめたため、火焔塚と呼ばれるようになったと伝えられている。潮見公園から志賀海神社に下る途中にある。
地蔵松原元寇防塁
地蔵松原元寇防塁(じぞうまつばらげんこうぼうるい)
貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。
恵光院
恵光院(えこういん)
千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという寺院。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、福岡藩二代藩主・黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移して守った。これらの遺品の内、木造釈迦如来坐像(市指定文化財)は高さ94.2cmで、鎌倉時代に中央の仏師により制作されたもの。元箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の...
枯野塚
枯野塚(かれのづか)
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。 感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
長塚節逝去の地
長塚節逝去の地(ながつかたかしせいきょのち)
長塚節(1879~1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、作家としては「土」を書いて農民文学を確立した。 明治45年、喉頭結核を患い、治療のため久保猪之吉博士を頼って九州大学病院に入院したが、大正4年37歳でなくなった。
利休釜掛の松
利休釜掛の松(りきゅうかまがけのまつ)
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。 この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。 その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。

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