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博多町家寄進高灯籠
博多町家寄進高灯籠(はかたまちやきしんたかとうろう)
明治32年、博多誓文晴(払)の創始者漬物屋 八尋利兵衛(やひろりへい)が住吉から中洲付近まで開発し、遊園地「向島」を開園した。 その開園記念に建設された灯籠で、昭和29年清流(せいりゅう)公園内に移された。灯籠には商屋の家号が刻まれていて、当時の博多経済界を知る上で貴重な民俗資料である。
万四郎神社
万四郎神社(まんしろうじんじゃ)
江戸初期の貿易家・伊藤小左衛門の子である小四郎と万之助の霊を祀ると伝えられ、子供の息災の神として崇敬されている。小左衛門は朝鮮への武器輸出が発覚し、寛文7年(1667)長崎西坂で処刑され、その家族も連座して処刑された。人々は幼い子供の死を悼み祀ったという。しかしながら、藩主の信任の厚かった伊藤家への配慮か、母子3人は助命されたという言い伝えもある。
綱敷天満宮
綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)
祭神は菅原道真。道真が袖の湊に上陸した際、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説によるもので、江戸時代には綱輪天神と呼ばれていた。次第に綱場と呼ばれるようになり、現在も町名として残っている。
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渡唐口跡・鏡天満宮
博多は、古くから海外との貿易を行い繁栄してきた商人の町。中世の博多は、今よりずっと海が内陸に入り込み、大きな船が接岸できた。 渡唐口には、大陸と行き来した船が接岸し、貿易で財を成し得た商人・博多豪商が生まれ、博多の街を闊歩していた。遣唐使もここから旅立った。 また、鏡天満宮は、延喜元年(九〇一年)讒言によって太宰府の権帥に左遷配所された菅原道真公が、 博多に上陸した際の御休息の時、「海路...
今も祭礼を受け持つ「川端飢人地蔵」
川端飢人地蔵(かわばたうえにんじぞう)
享保の飢饉の犠牲者は、筑前国内で死者10万人とも言われている。 飢饉で亡くなった人を祀る市内各所の飢人地蔵のひとつで、博多川沿いにまつられている。おにぎり地蔵や味噌食い地蔵など、各地域の人が今も祭礼を受け持つ。 毎年、8月23日、24日には供養祭が行われている。
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博多座
全国で話題の演劇、歌舞伎、ミュージカルなどが毎月替わりで公演される、九州でも有数の演劇専用劇場。和洋折衷の外観、豪華な客席、花道を備えた舞台まわり、ホテルのように華やかなロビー、行き届いたサービスなどが、リッチな観劇を演出してくれる。また、膝掛けやオペラグラスの貸し出しなど、無料・有料のサービスも充実。レストランやカフェなどの施設も充実。舞台の感動をぜひ味わってみよう。 舞台 幅20m、奥行...
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新硯稲荷神社
新硯稲荷神社は櫛田神社近くの「博多町家ふるさと館」の向かい側,通路の奥にあります。 祀られている「宇賀御魂命」(うかのみたま)の「ウカ」は古い言葉で穀物・食物の意味。元々は農業の神ですが,現在は商工業を含め産業全体の神として信仰されており,毎年2月にはその年の実りを祈念する「初午祭」が執り行われます。 この神社の特徴は,他の稲荷神社に狐の石像があるのと違って,屋根瓦に狐の像が潜んでいるこ...
大同庵跡
大同庵跡
京都大徳寺(だいとくじ)の古渓(こけい)(宗陳)(そうちん)は天正(てんしょう)16年(1588)豊臣秀吉の怒りにふれて博多へ追われた。博多では古渓を慕う豪商の島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)らが古渓のために、大同庵(だいどうあん)を建てて居住させた。古渓は茶会を催したりして時を過ごしたが、天正18年(1590)許されて京都に帰った。
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夫婦恵比須神社
夫婦恵比須神社は博多祇園山笠で有名な櫛田神社の境内にあります。 趣ある佇まいの拝殿では,多くの人がお祈りしています。 また、拝殿の向かいには福岡市保存樹の「夫婦銀杏」あり、大樹三本の内、手前一本が雌木で秋にはたわわに黄金色の実をつけます。 子孫を宿すところから、古来夫婦円満・縁結びの霊樹として篤く信仰されています。 櫛田神社本殿を訪れた後に、夫婦円満や縁結び、商売繁盛を願って訪れてみ...
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博多小学校 石塁遺構展示室
近年の発掘調査で新たに発見された防塁で,博多の元寇防塁と推定されています。展示室があり,見学することができます。 ※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課 092-711-4666
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萬行寺
亨禄(きょうろく)2年(1529)七里隼人(しちりはやと)が蓮如上人(れんにょしょうにん)の命により建てたもので、明治時代の住職七里恒順(しちりこうじゅん)は真宗(しんしゅう)の名僧といわれた。 また、薄幸(はくこう)な身で、信心深かった遊女名月(めいげつ)の墓から初七日に蓮花(れんげ)の花が咲いたという伝説「明月の墓」がある。
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【パブリックアート】
上川端町の冷泉公園近くにある、コミュニティホステルWeBase博多の「旅の守り神」。大航海時代に、害獣から貨物や食糧、船を守り、疫病を防ぎ、さらには船員の心を癒す友として、人とともに世界中を旅してきた「船乗り猫」がモチーフです。ヘルメットとメタリックで堅牢な鎧は、混迷する世界の未来を見通し、困難に立ち向かう勇気を象徴しているといいます。 作者のヤノベケンジさんは、数々の巨大立体作品を発表し注...
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博多伝統芸能館
平成29年11月に開館。 博多の総鎮守「櫛田神社」前にある博多の伝統文化に触れる、体験できる新たな観光スポットとなる体験型文化施設です。 日本舞踊や民踊、独楽、博多仁和加など博多に伝わる伝統芸能の魅力を発信することを目的としています。また、博多券番の芸妓の稽古場としても利用されています。 ※公演等のイベント時以外は、入館できません。
大乗寺跡
大乗寺跡(だいじょうじあと)
大乗寺は法皇山宝珠院と号して、昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。 この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩板碑、蒙古碇石があります。
龍宮寺
龍宮寺
浄土宗。開山は谷阿上人。当初は袖の湊の海辺にあり浮御堂と称していたが、貞応元年(1222)に海中より人魚が出現した際に国家長久の瑞兆と占われた。その人魚を寺内に埋葬したことにちなんで寺名を龍宮寺と改称。この時朝廷より下向した勅使・冷泉中納言の姓をとって冷泉山と号するようになった。文明12年(1480)、正風連歌を確立したことで有名な宗祇がこの寺に寄寓し「秋更けぬ 松のはかたの 奥津風」と歌に...
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【パブリックアート】崔正化(チェ・ジョンファ)《柱は柱》
博多リバレインの川沿いを歩いていくと、これまたカラフルでド派手な柱が目に飛び込んできます。何本もの柱が組み合わさり、近づいてよく見ると色によって柱のデザインが異なっています。なんでも、世界の様々な地域に古くから伝わる「コリント」「ビサンチン」「ドーリア」「和式」という4つの様式なのだとか。西洋と東洋の柱を幾重にも重ねて表現することで、様々な国と交流してきた博多を表しているそうです。 作者はユ...
トーンダウンしたロビー。他の宿泊客が気にならないよう配慮。
ホテル イル・パラッツォ
日本に8施設だけの “スモール・ラグジュアリー・オブ・ザ・ワールド”に加盟できたホテル。 コンセプトは“プライベート空間”。 一本の小径が配されたエントランスや個室感覚のダイニングなど、 他の宿泊客が気にならない“プライバシー”に配慮した造りとなっている。 黒を基調としたホテルの随所には、シャンデリアやライトアップが施され、ラグジュアリー感を演出。 通常のホテルとは異をなる特別な...
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川上音二郎生誕地
元治元年(1864)博多の商家に生まれ、自由民権の書生芝居で世の中を風刺したオッペケペー節で活躍した。外国でも日本劇を演じ、劇作をするなど新派劇の創始者となり、貞奴(さだやっこ)夫人とともに演劇史上に大きな功績を残した。 川端通商店街入り口には,川上音二郎像がある。

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