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並び順

大博通り沿いにある。
博多古図(はかたこず)
1823(文政6)年の地図が大博通りに展示されている。博多古図と呼び、江戸時代の山笠追い山の順路が朱で書かれた貴重なもの。大博通り沿いには、全16ヶ所に歴史散歩ができる展示が続く。 地図の中には、周辺で出土した貿易船の碇石レプリカや古寺秘蔵の絵なども鮮明に描かれていて、当時の博多の様子や、博多の町並みの移り変わりをうかがえる。
館のシンボルとして作られた博多人形「福の神」は一見の価値ありです。
はかた伝統工芸館
「はかた伝統工芸館」は、福岡市を代表する伝統的工芸品である博多織・博多人形など、福岡・博多ゆかりの工芸品を展示・紹介する観光スポットです。 「博多織」は約780年の歴史を有し、筑前黒田藩主が幕府に献上したことで、その際の柄は「献上柄」として知られ、「博多人形」は、約400年前の黒田長政の筑前入国に伴って多くの瓦職人が集められたことから誕生したと言われます。 ほかにも、「博多曲物(まげもの...
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海元寺
迫力満点の閻魔大王と観世音菩薩が鎮座する「海元寺」。 浄土宗鎮西派のお寺で応永3年(1396年)大蓮社岌山上人(ぎゅうざんしょうにん)によって開山された。 福岡藩初代藩主・黒田長政の入国のころ,防御を固めるために博多区千代町付近から,現在の地に移されたといわれる。 境内には平成28年6月に建て替えられた「閻魔堂」と「観音堂」の2つのお堂が隣り合っている。 閻魔堂には,槍持ちの...
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注連懸稲荷神社
注連懸稲荷神社は博多総鎮守・櫛田神社の裏にひっそりと佇んでいる,連なった鳥居と狛狐が印象的な神社です。 注連懸稲荷神社は別名「あしどめ稲荷」と呼ばれており,その由来については,諸説あるようですが,その一つに,お店の前で「足を止めてもらえる様(商売繁盛)に」というものがあります。
謝国明の墓
謝国明の墓(大楠様)
日宋貿易で活躍した謝国明は宋出身の帰化人で、櫛田神社周辺に住んでいた。また、小呂島を領有し、「船頭」「綱首」と呼ばれていたところから、船頭を兼ねた資産家の商人だったとみられる。仁治3年(1242年)に承天寺を創建し、宋から帰国した聖一国師(円爾弁円)を迎え開山した。御笠橋手前、クスノキの大木の梢の下に、謝国明の墓と事跡を記した碑が建っている。
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妙典寺
永徳元年(1381)、本成院日円上人が柳川に建立。立花宗茂の家臣であった薦野(こもの)増時が当地に移転させ、立花家の菩提寺とした。慶長8年(1603)4月25日、京都妙覚寺の僧であった日忠は、当地においてキリスト教の布教に努めていたイルマン(宣教師)の旧沢らと宗論を行なった。これが「石城問答」で、宗論に勝った日忠は初代福岡藩主・黒田長政から教会の地を与えられ、正興山勝立寺(中央区天神4丁目)...
蒙古碇石
櫛田神社蒙古碇石
蒙古の軍船が碇として使用したとされる石。碇石2点が櫛田神社の山門南、銀杏根元にある。南側の1点は花崗岩製で、長さ226cm、推定重量230kg。御供所町の地下16尺から出土したといわれている。東側の1点は砂岩製で、長さ252.5cm、推定重量350kg。出土地は不明。県指定文化財。
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渡唐口跡・鏡天満宮
博多は、古くから海外との貿易を行い繁栄してきた商人の町。中世の博多は、今よりずっと海が内陸に入り込み、大きな船が接岸できた。 渡唐口には、大陸と行き来した船が接岸し、貿易で財を成し得た商人・博多豪商が生まれ、博多の街を闊歩していた。遣唐使もここから旅立った。 また、鏡天満宮は、延喜元年(九〇一年)讒言によって太宰府の権帥に左遷配所された菅原道真公が、 博多に上陸した際の御休息の時、「海路...
龍宮寺
龍宮寺
浄土宗。開山は谷阿上人。当初は袖の湊の海辺にあり浮御堂と称していたが、貞応元年(1222)に海中より人魚が出現した際に国家長久の瑞兆と占われた。その人魚を寺内に埋葬したことにちなんで寺名を龍宮寺と改称。この時朝廷より下向した勅使・冷泉中納言の姓をとって冷泉山と号するようになった。文明12年(1480)、正風連歌を確立したことで有名な宗祇がこの寺に寄寓し「秋更けぬ 松のはかたの 奥津風」と歌に...
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夫婦恵比須神社
夫婦恵比須神社は博多祇園山笠で有名な櫛田神社の境内にあります。 趣ある佇まいの拝殿では,多くの人がお祈りしています。 また、拝殿の向かいには福岡市保存樹の「夫婦銀杏」あり、大樹三本の内、手前一本が雌木で秋にはたわわに黄金色の実をつけます。 子孫を宿すところから、古来夫婦円満・縁結びの霊樹として篤く信仰されています。 櫛田神社本殿を訪れた後に、夫婦円満や縁結び、商売繁盛を願って訪れてみ...
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円覚寺
円覚寺は、寛元4年(1246年)大覚禅師(蘭渓道隆)が宋より大宰府へ来朝した際、時の鎌倉幕府五代執権・北条時頼が大伽藍を矢倉門(現在の祗園町)に創建しました。しかし、時の戦乱・兵火により寺院の全てを焼失してしまいます。 その後、寛永13年(1636年)に聖福寺の境内に基礎を移転して再建し、聖福寺の塔頭寺院となりました。 この円覚寺は、福岡藩士立花実山直筆の「南方録」が伝承されており、南方...
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【パブリックアート】ヤノベケンジ《SHIP'S CAT》
上川端町の冷泉公園近くにある、コミュニティホステルWeBase博多の「旅の守り神」。大航海時代に、害獣から貨物や食糧、船を守り、疫病を防ぎ、さらには船員の心を癒す友として、人とともに世界中を旅してきた「船乗り猫」がモチーフです。ヘルメットとメタリックで堅牢な鎧は、混迷する世界の未来を見通し、困難に立ち向かう勇気を象徴しているといいます。 作者のヤノベケンジさんは、数々の巨大立体作品を発表し注...
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幻住庵
延元元年(1336年)の創建で、無隠元晦(むいんげんかい)により開山されました。以前は、那珂郡馬出(まいだし)村(現在の東区馬出)にありましたが、天正年間(1573年-1591年)に兵火にかかり焼失。正保3年(1646年)、博多の豪商大賀宗九(おおがそうく)の息子宗伯(そうはく)が、現在地に再建しました。墓所には、宗九・宗伯父子の墓があります。また、文化・文政年間(1804年-1830年)に...
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博多伝統芸能館
平成29年11月に開館。 博多の総鎮守「櫛田神社」前にある博多の伝統文化に触れる、体験できる新たな観光スポットとなる体験型文化施設です。 日本舞踊や民踊、独楽、博多仁和加など博多に伝わる伝統芸能の魅力を発信することを目的としています。また、博多券番の芸妓の稽古場としても利用されています。 ※公演等のイベント時以外は、入館できません。
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【パブリックアート】崔正化(チェ・ジョンファ)《柱は柱》
博多リバレインの川沿いを歩いていくと、これまたカラフルでド派手な柱が目に飛び込んできます。何本もの柱が組み合わさり、近づいてよく見ると色によって柱のデザインが異なっています。なんでも、世界の様々な地域に古くから伝わる「コリント」「ビサンチン」「ドーリア」「和式」という4つの様式なのだとか。西洋と東洋の柱を幾重にも重ねて表現することで、様々な国と交流してきた博多を表しているそうです。 作者はユ...
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新硯稲荷神社
新硯稲荷神社は櫛田神社近くの「博多町家ふるさと館」の向かい側,通路の奥にあります。 祀られている「宇賀御魂命」(うかのみたま)の「ウカ」は古い言葉で穀物・食物の意味。元々は農業の神ですが,現在は商工業を含め産業全体の神として信仰されており,毎年2月にはその年の実りを祈念する「初午祭」が執り行われます。 この神社の特徴は,他の稲荷神社に狐の石像があるのと違って,屋根瓦に狐の像が潜んでいるこ...
博多町家寄進高灯籠
博多町家寄進高灯籠(はかたまちやきしんたかとうろう)
明治32年、博多誓文晴(払)の創始者漬物屋 八尋利兵衛(やひろりへい)が住吉から中洲付近まで開発し、遊園地「向島」を開園した。 その開園記念に建設された灯籠で、昭和29年清流(せいりゅう)公園内に移された。灯籠には商屋の家号が刻まれていて、当時の博多経済界を知る上で貴重な民俗資料である。
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萬行寺
亨禄(きょうろく)2年(1529)七里隼人(しちりはやと)が蓮如上人(れんにょしょうにん)の命により建てたもので、明治時代の住職七里恒順(しちりこうじゅん)は真宗(しんしゅう)の名僧といわれた。 また、薄幸(はくこう)な身で、信心深かった遊女名月(めいげつ)の墓から初七日に蓮花(れんげ)の花が咲いたという伝説「明月の墓」がある。

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