観光・体験
Sightseeing & Activity
旧早良郡飯盛・吉武・四箇・金武・田村・羽根戸・野方からなる、七ヵ村の惣社飯盛神社の神宮寺真教院の跡地に建つ。鎌倉時代には奈良西大寺の末寺であり、この地方の真言律宗の中心として栄えた。堂内には元弘3年(1333)仏師堪幸作の文殊菩薩騎獅像(市指定文化財)が安置されている。堂内に湧く『智恵の水』には受験へのご利益があるとか。
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
元寇防塁のうち、長垂山から今山にかけての砂丘上には、豊前国が分担して防塁を築いた。現在は長垂海水浴場前と今山のふもとに国指定地がある。古文書には、築城郡吉富村を本拠とした成富氏が、乾元2(1303)年この地区の防塁の修理を完了したという報告があり、弘安の役(1281年)以後も防塁の修理が行われ、蒙古に対する警備体制が続いていたことを示している。
「現実の自然界」と「身の回りに存在するバーチャル」を組み合わせた作品で知られる、現代美術家レアンドロ・エルリッヒが手がけたアート作品です。
デジタルの「ピクセル表現」と自然の象徴である「樹木」を融合させたユニークな形状で、高さは約5.7メートル。
福岡市博物館は1990年の開館に先立って、1989年に開催されたアジア太平洋博覧会のテーマ館としても利用されました。正面ゲートと博物館の間には広い池があり、そのスケール感といったら!
そんな場所に負けず劣らず、堂々たる存在感を放つ4体のブロンズ像。高さ3.75メートル、重さ1トンのこの巨人たちは、フランス近代彫刻の巨匠エミール・アントワーヌ・ブールデルさんの手によるもので、1918〜22年...
この滝は、金山(かなやま)登山道の入口にあたり、不動(ふどう)滝とも通天(つうてん)滝または紅葉(もみじ)の滝ともいわれ、かつては、僧侶の修行の場でした。水の勢いが強く、高さ15m、幅3mあって、滝つぼ、深い淵になっています。
この豊かな清流は、坊主川を下って室見(むろみ)川に流れ、夫婦石浄水場(めおといしじょうすいじょう)を経て市民の大切な飲料水として使われています。
高節山麓にある曹洞宗の寺。小早川隆景の重臣で、立花城代を務めた浦宗勝が亡妻を弔うため永禄12年(1569)に建立した。寺は後に焼失し、現在の本堂は約200年前に再建されたもの。本堂左手前の山道を案内に従って登れば、竹林の中に宗勝とその妻の墓が、5人の重臣の墓と共にある。
交通の便が良く、町の中心に位置する文化施設として、生涯学習の“場”を開き『ゆとりある生活空間都市かすや』を創造し、必要な資料や情報を提供することを目的としています。歴史資料館には、復元作業室の公開や、地域の考古遺物や民族資料の紹介をおこなっています。
東光院は大同元年(806)に、最澄(伝教大師)により開山された寺院。本尊である薬師如来立像のほか、重要文化財として指定された仏像25体と、県指定文化財の絵画15点が所蔵されていた。これらの文化財と共に境内地が福岡市に寄贈されたので、保存・活用を図るため、寺そのものを市の史跡として指定。現在、寄贈された文化財は、福岡市美術館に収蔵・展示されている。
※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課...
日本書紀によると小山田の斎宮は神功皇后の斎宮とかかれ、西暦200年、神功皇后が政務を執られたといわれる聖母屋敷の一角に立てられたとされています。社叢(しゃそう)にはブナ科スダジイとイチイガシなどが群生しており、県の天然記念物に指定されています。イチイガシの大きなものは樹齢千年以上を経ていて、胸高周囲約4メートル、高さ30メートルもあります。
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。
都落ちした三条実美らが投宿し、本陣からの眺望を絶賛したと言われる。現在でも白壁、格子造りの家並みが続き、辻井戸なども残っており、江戸時代の面 影を今に伝えている。
天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。福岡城表御門の上ノ橋前に設立。初代館長は貝原益軒の高弟・竹田定直の孫である定良。徂徠学派・亀井南冥館長の西学問所(甘棠館)とは対照的に、朱子学派の厳格な学風を重んじた。西学問所の廃校後は藩士教育の中心機関となり、憲法起草にあたった金子堅太郎、三井の団琢磨、早良区重留に私塾と実験農場を兼ねた勧農社を主宰した林遠里など、幾多の人材を輩出した。
作家檀一雄が亡き妻律子を悼んで詠んだ歌「つくづくと櫨(はじ)の葉朱く染みゆけど下照る妹の有りと云はなく」が刻まれています。みやま市にある善光寺の裏山で筑後平野を見下ろしながら死別した妻を想い、詠んだ悲歌とされています。
10月第3土・日の秋季大祭での大名行列は200年の伝統を誇り、豪華な装束を身にまとった行列が続く。広い境内は自然にも恵まれ、県指定の天然記念物トキワガシ・イチイガシの樹木が見事。
多々良川河口に架かる名島橋は、1933年にそれまでの板橋を改修してつくられた近代的な橋です。
全長204m、幅24m、7連のアーチからなる橋は当時としては大規模なもので、今でも膨大な交通量を支えています。