観光・体験
Sightseeing & Activity
国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。
若八幡宮神社内にある前方後円墳。福岡市指定の史跡で、4世紀後半の築造と考えられている。墳長47m、後円部三段、前方部二段の築成で、墳丘には葺石を施し、埋葬主体部は長さ2.75m、幅1.2mの舟形木棺で、後円部中心に掘られた径13m前後の円形墓壙の中に古墳長軸と直交して埋置。棺内外には三角縁神獣鏡、玉類、鉄製武器類、鉄製短甲などを副葬している。
高祖山山麓の丘陵上にある前方後円墳。古墳の全長は64m、高さ6.5m、6世紀前半に造られたと考えられている。保存されている墳丘、同濠、外堤の規模は北部九州屈指。昭和52年に保存整備のため調査されたが、埋葬施設は未調査のため不明。
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。
感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
カシ、シイ、ムクなどの木々が重なり合って壮厳な美しさをかもし出す自然林。
この中にある樹齢900年のナギの古木5本は、行基のお手植えともいわれる。県指定の天然記念物。
長塚節(1879~1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、作家としては「土」を書いて農民文学を確立した。
明治45年、喉頭結核を患い、治療のため久保猪之吉博士を頼って九州大学病院に入院したが、大正4年37歳でなくなった。
町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。
この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。
その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。
大島の最高峰、標高224mの御嶽山山頂にあり、360度の大パノラマが広がる。眼下に大島漁港や沖ノ島、壱岐といった玄界灘の島々、遠く英彦山、脊振などの山々。晴れた日には山口県方面 まで見渡すことができる。
知恵の象徴として人々に親しまれているフクロウ。知恵の宝庫である福岡市総合図書館で、そんなフクロウの彫刻を見ることができます。作者は、愛知県瀬戸市出身の彫刻家。この作品では、未来に向かって夢と希望に満ちた子どものフクロウと、それを温かく見守り育てる親フクロウの姿が表されているそうです。