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光雲神社
筑前黒田藩の藩祖・黒田如水と初代藩主・長政の親子を祀る神社。その名前はふたりの法名から一字ずつを取って付けられたもの。元々は福岡城内本丸天守台の下に作られた神社だが、明治4年(1871)の廃藩置県により黒田家が東京に移転した際、現在の警固神社近くに移転。その後、西公園山頂へと移った。近くの展望台からは美しい博多湾を一望できる。『日本の桜100選』に選ばれた桜の名所で桜の季節は毎年大勢の花見客...
左谷山建正寺しだれ桜
左谷山建正寺(さたにやまけんしょうじ)
平安時代に開かれた天台宗系の寺院で、伝教大師最澄が創建したと伝えられている。 本尊の十一面観音像は平安後期の作で、県の指定文化財。毎年4月の第1日曜日は十一面観音の開帳日でたくさんの参拝客でにぎわう。
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永福寺(えいふくじ)
曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(たたら よしお)の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
名島帆柱石
名島帆柱石(なじまほばしらいし)
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。 香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。 波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。
稲光弥平顕彰の碑
稲光弥平顕彰の碑(いなみつやへいけんしょうのひ)
那珂川にかかる住吉の参宮橋は、洪水のたびに流失していた。春吉に住む稲光弥平は橋が流される原因を究明して、安政2年(1855)川の中央に人工島を築き、橋をかけて流出を防いだ。この石碑は、昭和6年にその功績を末永く顕彰するため設置されたものである。
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旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら)
旧志免鉱業所竪坑櫓は、かつて炭鉱として志免町が栄えてきた証であり、炭鉱閉山後、現在に至るまで志免町のランドマークとなっています。この竪坑櫓は近代の鉄筋コンクリート構造物の中で、わが国有数の高さを誇り、建設技術史上価値が高いことから、平成21年12月8日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。鉄筋コンクリート製、47.6mの高さがあり、昭和18年に第四海軍燃料廠により建造されました。
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姪浜住吉神社
姪浜住吉神社祭神は、家内安全・海上安全・交通安全・開運・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛のご利益があるとされ、宮司がクイズミリオネアでパーフェクトを達成したことから開運の神社として特に有名です。 住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国 船来襲の調伏祈願の折にご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭...
小戸大神宮
小戸大神宮
伝説では伊邪那岐(いざなぎ)の神の「みそぎ祓(ばらい)」をしたところで天照大神、志賀三神、住吉三神が出現したという由緒の地とされている。享保10年(1725)6代藩主黒田継高(つぐたか)が社殿を建立し、伊勢神宮の古例にならい、20年ごとに新旧両殿交互に改築遷座が行われていた。神功(じんぐう)皇后の休憩安産石の由緒により、安産祈願またけいれんの病に霊験があるとされている。 附近に皇后の朝鮮出兵...
宮前古墳群
宮前古墳群(みやまえこふんぐん)
大神神社境内と、現在の高見台南公園に分布する3基の円墳群。神社拝殿西横の1号墳は横穴式石室の玄室が残り、公園緑地内にある3号墳は墳丘径20m、内部主体全長7.3mの横穴式石室。現在も形のよい墳丘と石室が残されている。石室からは須恵器と土師器が出土し、この古墳群では一番最初の6世紀末、造られたものと考えられている。
那珂八幡古墳
那珂八幡古墳(なかはちまんこふん)
墳長75m以上、高さ8mの前方後円墳で、福岡市の指定史跡。古墳時代初期に築かれたものとされている。墳丘は地山整形と盛土からなり、周囲には鍵穴形に周溝がめぐらされている。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。福岡平野の首長墓の系譜では最古に属するものとされている。
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西浦ひもの通り
干物をはじめ漁師直販のお店が揃う。 玄界灘でその日に獲れた新鮮な魚を使った干物や加工品が購入できるお店が並びます。漁師直販の店なので、顔が見えて安心してお買い物できます。 ※毎年4月~12月のみの営業となります。なお、営業時間や定休日は各店舗に直接お問い合わせください。
七夕池古墳
七夕池古墳(たなばたいけこふん)
昭和48年に箱式石棺が発掘された大型円墳で、国指定の史跡です。副葬品には銅鏡や琴柱形石製品などがみられ、被葬者は高齢の女性で巫女的な存在であった言われています。石室や出土品より5世紀前半と推定されています。
綿津見神社
綿津見神社(わだつみじんじゃ)
祭神は綿津見神。境内には大日堂と虚空蔵堂があり、ここに祀られた木造の不動明王立像・吉祥天立像・如来形立像・伝虚空蔵菩薩立像・伝薬師如来座像の5躯が、「綿津見神社仏像群」として市有形文化財に指定されている。この内、如来形立像と菩薩立像は、11世紀あるいは14世紀に海中から引き揚げられたとの言い伝えがある。神社裏からは玄界灘を眼下に見下ろし、西に志賀島、北に相ノ島を望むことができる。
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平塚古墳(ひらつかこふん)
以前は直径18mほどの古墳であったとみられ、巨大な箱式石棺が発見された。棺の底からは管玉 17個が発見され、この管玉の特徴が古墳時代のものより弥生時代のものに近かったため原始古墳ではないかと推定されている。
立花城跡
立花城跡(たちばなじょうあと)
東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...
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一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)
JR一貴山駅の東方500mほどの丘陵地にあり、全長103mの前方後円墳。 竪穴式石室で、古墳時代前期(4世紀後半)のものとみられる。 白銅鏡10面や刀剣、勾玉などが出土し、現在は京都大学総合博物館に保管されている。国指定史跡。
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水城跡(みずきあと)
博多の方から来ると太宰府市に入ってまもなく道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続く。それが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城(みずき)である。その規模は全長1.2km、基底部の幅80m、高さ10mを超え、すべて人の手で築いた人工の土塁(土の堤防)である。そして名のとおり海側(博多側)に幅60m、深さ4mの堀を造り、水を貯えた。春日市、大野城市にも小規模な水城が残っている。
綱敷天満宮
綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)
祭神は菅原道真。道真が袖の湊に上陸した際、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説によるもので、江戸時代には綱輪天神と呼ばれていた。次第に綱場と呼ばれるようになり、現在も町名として残っている。

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