博多の宿 旅館 まいだし

 4階にある大浴場です。ゆっくりと疲れを癒しながらお過ごしください。

4階にある大浴場です。ゆっくりと疲れを癒しながらお過ごしください。

 有料のコインランドリーもございます。長期滞在の方に便利です。

有料のコインランドリーもございます。長期滞在の方に便利です。

JR吉塚駅より徒歩4分の便利な場所にございます。九州大学病院も近くです。

JR吉塚駅より徒歩4分の便利な場所にございます。九州大学病院も近くです。

和室はお一人さまから大人数まで。お風呂は4Fの大浴場をご利用ください。

和室はお一人さまから大人数まで。お風呂は4Fの大浴場をご利用ください。

洋室ツインタイプです。シングルタイプもご用意してあります。

洋室ツインタイプです。シングルタイプもご用意してあります。

 4階にある大浴場です。ゆっくりと疲れを癒しながらお過ごしください。

4階にある大浴場です。ゆっくりと疲れを癒しながらお過ごしください。

 有料のコインランドリーもございます。長期滞在の方に便利です。

有料のコインランドリーもございます。長期滞在の方に便利です。

JR吉塚駅より徒歩4分の便利な場所にございます。九州大学病院も近くです。

JR吉塚駅より徒歩4分の便利な場所にございます。九州大学病院も近くです。

和室はお一人さまから大人数まで。お風呂は4Fの大浴場をご利用ください。

和室はお一人さまから大人数まで。お風呂は4Fの大浴場をご利用ください。

博多への観光・コンサートやスポーツ観戦のお客さまをはじめ、長期ご出張の方、スポーツ団体さま、研修や九大病院へのお見舞いなど、さまざまな目的で当宿をご利用いただいております。
JR吉塚駅または地下鉄「馬出九大病院前」から徒歩4分の好立地。天神はもちろん、博多駅や中洲、福岡空港までも交通の便がよく、ご好評いただいております。4階建ての建物にはコインランドリー、ビールやジュースなどの自動販売機、貸し自転車(無料)も完備しております。どうぞご利用ください。

客室数:14室
チェックイン:16:00〜、チェックアウト:〜10:00

【お部屋タイプ】
2階の「和室」は、4.5畳・6畳・8畳がございます。3階の「洋室」は、シングルルームとツインルームの2タイプです。洋室は、すべてバス・トイレ付になっております。

【大浴室】
当館4階の大浴室は、お泊りの方であればどなたでもご利用できます。たっぷりのお温につかってリラックスした時間をお過ごしください。(※利用時間は宿に到着後お尋ねください)

【お食事・その他 研修・宴会について】
当館のお食事は家庭的なおもてなし料理です。女将とスタッフの手作りによる、温かくバランスの取れたお食事をお楽しみください。長期滞在の方にも身体にやさしいメニューを提供しております。

お一人様でも、またグループでも和やかな雰囲気の中でお寛ぎください。
また2階の大広間は、研修や宴会などにもご利用できます。時間や料金などの詳細は、お気軽にご相談ください。

行き方を見る

基本情報

住所

福岡市東区馬出1-15-25

アクセス

JR「吉塚駅」から徒歩4分
地下鉄「馬出九大病院前駅」から徒歩4分
九州自動車道「福岡IC」からR3経由・車で20分
福岡都市高速道路「呉服町ランプ」から車で5分
福岡空港より車で20分・地下鉄で15分

TEL

092-651-1822

営業時間

チェックイン 16:00
チェックアウト 10:00

マップ

近くのおすすめスポット

亀山上皇銅像(東公園含む)_fukuoka-367.jpg
亀山上皇銅像
この銅像は、十三世紀後半の元寇の際に亀山上皇が「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国降伏を折願された故事を記念して、福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄等の十七年有余の尽力により、明治三十七年、元寇ゆかりのこの地に建立された。 衣冠束帯の直立像の高さはおよそ4.8メートルある。原型の制作者は、当時高村光雲下で活躍していた福岡出身で博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎、朝雲で、亀山上皇像はその代表作のひとつである。 また、台座に書かれた「敵国降伏」の文字は、初代福岡県知事有栖川宮熾仁(たるひと)親王の筆によるものである。
博多駅エリア
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燈籠堂
燈籠堂(とうろうどう)
天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した 。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
EAST COAST(志賀島)エリア
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恵光院
恵光院(えこういん)
千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという寺院。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、福岡藩二代藩主・黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移して守った。これらの遺品の内、木造釈迦如来坐像(市指定文化財)は高さ94.2cmで、鎌倉時代に中央の仏師により制作されたもの。元箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の本尊で、のちに筥崎宮の社内に移されている。
EAST COAST(志賀島)エリア
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枯野塚
枯野塚(かれのづか)
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。 感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
EAST COAST(志賀島)エリア
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元寇史料館_fukuoka-373.jpg
元寇史料館
福岡県庁のある東公園の一画にある史料館。ここでは約800年前、北部九州を元軍が襲った「文永の役・弘安の役」の史料を展示している。当時の両国の武具があり、動物の硬い皮で作ったモンゴル型の鎧など、日本の鎧とは違う点で文化の勉強にもなりそう。明治の洋画家・矢田一嘯作が描いた元冦絵や江戸期の刀剣、火縄銃なども展示している。
博多駅エリア
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日蓮聖人銅像
岡倉天心が明治37年に製作。高さは11.55メートル、重さは75トン。像となっている日蓮聖人は、文応元年(1260年)「立正安国論」(りっしょうあんこくろん)を書いたとされている。また、元の襲来をいち早く予言して、当時の執権であった北条時頼に告げたと言われている。
博多駅エリア
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長塚節逝去の地
長塚節逝去の地(ながつかたかしせいきょのち)
長塚節(1879~1915)は正岡子規に歌の指導を受けたアララギ派の歌人であり、作家としては「土」を書いて農民文学を確立した。 明治45年、喉頭結核を患い、治療のため久保猪之吉博士を頼って九州大学病院に入院したが、大正4年37歳でなくなった。
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利休釜掛の松
利休釜掛の松(りきゅうかまがけのまつ)
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。 この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。 その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。
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公園内
東公園
かつて、文永の役で元軍と激戦が繰り広げられた古戦場跡。その跡地を整備した公園。 園内には、元寇にちなんで建立された亀山上皇銅像や日蓮上人の銅像が建立してある。また、福の神である恵比須神を祀った十日恵比須神社や元寇史料館もある。上皇銅像の原型は、木彫界の巨匠山崎朝雲の作で、台座には有栖川宮熾仁親王の染筆による「敵国降伏」の文字が見られる。
博多駅エリア
#遊ぶ
筥崎遺跡の出土品
筥崎遺跡(はこざきいせき)
筥崎宮を中心としたJR鹿児島本線西側一帯に位置する古砂丘上に営まれた遺跡群。古墳時代にはここですでに集落が営まれ、11世紀末から15世紀に遺跡の最盛期をむかえたとされている。大量に出土した中国陶磁器から、筥崎宮が対外交易に深く関与していたことを示した。粕屋総合庁舎一階ロビーには、昭和61年の発掘調査で出土した遺物が資料として展示されている。
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亀山上皇銅像(東公園含む)_fukuoka-367.jpg
亀山上皇銅像
この銅像は、十三世紀後半の元寇の際に亀山上皇が「我が身をもって国難に代わらん」と伊勢神宮などに敵国降伏を折願された故事を記念して、福岡県警務部長(現在の警察署長)だった湯地丈雄等の十七年有余の尽力により、明治三十七年、元寇ゆかりのこの地に建立された。 衣冠束帯の直立像の高さはおよそ4.8メートルある。原型の制作者は、当時高村光雲下で活躍していた福岡出身で博多櫛田前町生まれの彫刻家山崎、朝雲で、亀山上皇像はその代表作のひとつである。 また、台座に書かれた「敵国降伏」の文字は、初代福岡県知事有栖川宮熾仁(たるひと)親王の筆によるものである。
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燈籠堂
燈籠堂(とうろうどう)
天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した 。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
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恵光院
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千利休が豊臣秀吉を招いて茶会を開いたという寺院。筥崎宮の社坊である座主坊の末寺で、福岡藩二代藩主・黒田忠之の開基により寛永年間(1624~1644)に建立された。明治初期の廃仏毀釈の際、法院賢秀が筥崎宮や社坊の仏教関係の遺品を恵光院に移して守った。これらの遺品の内、木造釈迦如来坐像(市指定文化財)は高さ94.2cmで、鎌倉時代に中央の仏師により制作されたもの。元箱崎村原田の瑞応寺という禅寺の本尊で、のちに筥崎宮の社内に移されている。
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枯野塚
枯野塚(かれのづか)
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。 感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
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元寇史料館
福岡県庁のある東公園の一画にある史料館。ここでは約800年前、北部九州を元軍が襲った「文永の役・弘安の役」の史料を展示している。当時の両国の武具があり、動物の硬い皮で作ったモンゴル型の鎧など、日本の鎧とは違う点で文化の勉強にもなりそう。明治の洋画家・矢田一嘯作が描いた元冦絵や江戸期の刀剣、火縄銃なども展示している。
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日蓮聖人銅像
岡倉天心が明治37年に製作。高さは11.55メートル、重さは75トン。像となっている日蓮聖人は、文応元年(1260年)「立正安国論」(りっしょうあんこくろん)を書いたとされている。また、元の襲来をいち早く予言して、当時の執権であった北条時頼に告げたと言われている。
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