「追い山笠」コースでめぐる歴史探訪やここにしかない絶景も魅力!

株式会社ふくや 代表取締役会長 川原 正孝さん

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歴史的なスポットや伝統文化体験など、福岡観光をさらに楽しむポイントを、地元の歴史や文化に精通する皆さんに教えていただく「地元の人に聞く!福岡の歴史・文化の魅力」インタビュー。今回は生まれた頃から参加している「博多園山笠」を愛し、地元貢献にも幅広く尽力している株式会社ふくや代表取締役会長の川原 正孝さんにお話をうかがいました。

取材対象者紹介

川原 正孝(かわはら まさたか)さん

1950年福岡市に生まれる。大学卒業後は福岡相互銀行(現・西日本シティ銀行)を経て、1979年11月「ふくや」(現・株式会社ふくや)へ入社。1997年に同社代表取締役社長に就任し、2017年4月からは代表取締役会長に。創業者である父・川原俊夫氏の理念を守りながら「ふくや」をさらなる発展へ導くとともに、福岡商工会議所の副会頭として福岡市の経済発展にも注力している。

味の明太子ふくや 中洲本店
所在地:福岡市博多区中洲2-6-10
TEL:092-261-2981
営業時間:平日9:00~22:00/土日祝 9:30~18:00
定休日:なし
https://www.fukuya.com/

父の想いと「味の明太子」を守るため「ふくや」へ

川原会長が「ふくや」に入社された時期や経緯などをうかがえますでしょうか。

当時の福岡相互銀行に6年半勤めたあと、1979年11月1日付で「ふくや」に入りました。病気になった父が私たち兄弟に「帰ってきて欲しい」と言ったからです。ただ、同じ銀行の大名支店長だった兄はさすがにすぐに帰れない状況でして、本店営業部で支店長代理だった私のほうがまだ帰りやすいだろうということで、先に「ふくや」へ入ることになりました。

それまで父が「跡を継げ」と言ったことはありませんでしたが、兄も私も銀行にそのままいていいのかなと思いつつ、「帰ってきてくれ」と言われた時には銀行を辞めて「味の明太子」を守らなければならないと、どこかで覚悟はしていました。そうして、父に言われてから2ヶ月半ぐらいで銀行業務の引き継ぎをしつつ、「ふくや」に入る準備をしました。

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入社されたあとはどのような業務をされていたのでしょうか?

当時は法人化しておらず個人商店だったこともありまして、経理、人事、明太子の仕入れから製造計画を立てるところまで、全部父が1人でやっていたんです。その頃は2店舗しかありませんでしたが、年間500tは明太子を製造していましたので、父が行っていた業務を全て1人でやらなくてはならないのが大変でした。

父は翌年の1980年7月に亡くなりましたから、一緒に仕事ができたのは約10カ月間でした。ただ、大学時代は長期休暇で福岡へ戻った時は工場に入っていたこともあり、明太子製造に関する知識は多少ありましたので、何とか引き継ぐことができたのかなと思います。ただ、私には父のような経営能力はありませんから、亡くなったあとは母を社長にしまして、すぐに法人に切り替えました。

 

規模拡大後もお父さまが個人商店として続けた理由はなぜでしょうか?

父が「ふくや」を創業したのは、太平洋戦争で人生観が変わったからでした。終戦直前は守備隊長として激戦地の宮古島や伊良部島にいましたから、そこで多くの同僚や部下を亡くした。その経験から福岡に帰ってきた時に、これからの自分は「生かされる」のだと。だから人のため、地域のために何かしていかなくてはならないと思ったそうです。

戦地に行く前は満州国の「満州電業」という電力会社に勤めていましたので、戦後の福岡でも電力会社勤務というお話もあったそうですが、サラリーマンの働き方では地域に貢献するための時間もお金も作れないと。自分で商売をして必要な時間とお金を稼ごうと「ふくや」を作ったそうです。人のため、地域のために利益はすべてつぎ込むと考えて作った会社ですので、個人商店という形を貫いたようです

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おいしい明太子づくりをしながら地域を支え続けたい

入社後、創業者である川原俊夫氏の偉大さを実感したのはどんな点ですか?

まず「地域に貢献するためには利益を出して税金を払うことが一番だ」という考え方です。父が社長だった当時は利益の約9割は税金で納めなければなりませんでした。私と兄は銀行勤めだったこともありまして少しでも経営が楽になるようにと、兄から「法人に切り替えたら」と父に進言しましたが、「なんで税金を多く納めたらいかんのか」と怒られました。

そんな父が長年目標に掲げていたのが納税ナンバーワンになること。そのくらい多くの税金を納めて、地域に貢献したいと思っていたのです。そして亡くなる前年の1979年度、念願かなって父・川原俊夫が福岡市納税ナンバーワンになりました。

もう一つは納税後に手元に残った自分の給料分から、さまざまな寄付をしていたことです。生前父が施設に寄付していたことを思い出しまして、当社創立40周年の時に同じ施設へ寄付をしたのですが、30周年の時は父がその倍以上の金額を寄付していたことを窓口の西日本新聞社で聞きまして。当社の売り上げが倍ほどになっていたにもかかわらず寄付金は父の時より少なくて、驚くやら恥ずかしいやらで、冷汗が出ました。

また1966年頃だと思いますが「博多園山笠」が資金難になり、出る人も少なく、活気がなくなった時期がありました。その時、「博多園山笠がないと博多の街は発展しない」と、父が今ある財産をすべてつぎ込むと宣言したんです。しかしその話を聞いた博多の人たちが皆で立ち上がって、結構お金が集まり、福岡市から補助金も出るようになったこともあって、父は思ったほど出さなくてすんだそうですが。

30年ほど前の「追い山笠」での話ですが、「中洲流」が一番山笠だった年に当番町が私たちの町内でして、私が取締、兄が副総務として台上がり(※)をしました。7年に1回の一番山笠で、兄弟で台上がりして櫛田神社の清道を回るのは今まで無いのではと。「お前らの親父による報恩謝徳で台上がりさせてもらったんだぞ」と、父と同じ世代の先輩たちに言われまして、確かにその時父が動かなければ、このような経験はできなかったのかもしれないと実感しました。

※舁き山笠の台上に座って舁き手の指揮をとる人たちのこと。

 

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ほかにはどのようなご支援をされていたのでしょうか?

私が小学生の時、父がPTA会長をしていた頃は、修学旅行用に貸与するカバンや洗面道具を寄付していました。しかも修学旅行の2日前に当日の荷物検査と称して先生に必要な数を調べてもらって、学校に寄付してから渡すという形で。高校生の時は、成績優秀ながらお金がない生徒に、公的な奨学金として学校経由で大学入学金を出したのだそうです。どちらも後々負い目を感じないよう、絶対に自分からだと分からないかたちで。

いずれも卒業後にそれぞれの先生から聞いて知ったのですが、まだ貧しい家庭も多かった時代、初めての旅行で嫌な思いをさせたくない、進学を諦めてほしくないという想いだったのだと思います。小学校の修学旅行カバンや洗面道具の寄付は、父の後も歴代のPTA会長さんがしばらく続けてくださったそうです。

ですから父が亡くなった時は、当社の土地と建物、自宅と明太子の原料、「博多園山笠」のハワイ遠征用の寄付金しか残っていませんでした。生前どこにいくら寄付したなど一切言いませんでしたし、聞くとすごく嫌がるので家族も詳しいことは知りませんでしたが、その中でも私たち兄弟をごく一般的に育ててもらい大学まで出してくれた父を、そして細かいことを気にせずついていった母も、改めてすごいなと感じています。

 

川原会長が思われる今後の展望をうかがえますでしょうか。

利益を上げて税金をしっかり払いながら雇用を守り、会社や家族を存続させなければならない。それだけではなく、地域貢献も続けなければならないという父の理念は、今の「ふくや」でも変わりません。この理念があるからこそ何のために利益を上げるのかが明確になりますから、今後も全社員に共有し続けていきたいと思います。

そしてもうひとつは「おいしい明太子を作り続ける」ということです。「ふくや」に入る頃、銀行時代の取引先に「もっと店舗を増やしたほうがいい。そして最初に造ったのは確かなのだから『元祖』と付けたほうがいい」とアドバイスされました。確かに父は明太子の製法特許や商標権を取らず、作り方もオープンにしていましたので、より商売を拡げるためにはそのほうがいいのかもしれないと思ったんです。

そこで「『元祖』と付け加えて、看板と包装紙も変えていいですか?」と父に聞くと「『元祖』と書いてうまくなるんか?」と言われました。馬鹿なことを言うな、そして勘違いするなと。一番なのは最初に作った「ふくや」でも一番売上があるところでもないと。「一番おいしいところが一番なんだ」と言いました。

両親は生まれ育った釜山で好きだった「明漬卵(ミョンランジョ)」をイメージした「明太子」を作って1949年に売り始めたのですが、博多の人たちの口には合わなかったので、父は10年かけて味を変えていきました。だからこそ私にも「味を守らんでいい。どんどん進化させろ」と言ったんだと。会社を大きくすることにこだわらずおいしい明太子を作り続ける、この考え方も変えずに未来へつないでいきたいと思います。

 

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博多の文化や歴史を学んだのは「博多園山笠」だった

川原会長ご自身が博多の歴史や文化に関わり、意識され始めたのはいつ頃からでしょうか。

博多の文化や歴史は「博多園山笠」を通して学びました。私は生まれた時から出ていますので、その中で博多園山笠の歴史や「流」(ながれ)について。さらに承天寺には聖一国師が博多織や饅頭、饂飩(うどん)・蕎麦などの製法を中国から持ってきた、聖福寺には栄西さんがお茶を持ってきたとか、「太閤町割り」(※)の話まで知りました。あえて勉強しようとかではなく、そういった話がいつの間にか自然に入ってくるんです。

※戦国時代の九州平定後、豊臣秀吉の命で行われた博多復興のために行われた都市整備

逆に言えば、博多園山笠を通したことしか知らないのですが、今でも出ているお子さんは、櫛田神社を中心に「博多園山笠」から博多の歴史を学んでいると思います。

 

幼い頃から地元の歴史や文化にふれてきた川原会長だからこそお考えになる、福岡市ならではの歴史的・文化的な価値や特徴はなんでしょうか?

福岡市中心部は中洲を真ん中に博多と福岡の2つのエリアに分かれています。イメージで言うと、今は「博多旧市街」と呼ばれるように、博多は平安時代以前から続く古い歴史ある街。対して福岡は新しい町。これまでいろいろ対比されながらお互いに発展してきたという、そういう意味で福岡市は面白い街だと思います。

博多で言えば、やはり歴史的スポットが多いところです。博多旧市街エリアにはうどんやそばなど発祥の承天寺のほか東長寺、聖福寺がありますし、千代のほうには福岡藩主・黒田家の菩提寺である崇福寺もあります。

そしてもう一つ福岡市の強いところは海があること。私は博多出身ですから市内東部の「海の中道」や「志賀島」になじみがあるのですが、金印発見の場所でもありますし、海彦・山彦の神話に関わると伝わる「志賀海神社」もあります。そう考えると、福岡市は私たちが考える以上に古い歴史があり豊かな自然もあると、さまざまな意味で特徴や価値がある街だと思います。

 

追い山笠コースをめぐって古きよき博多を満喫!

福岡観光の際に訪れて欲しい歴史的スポットや楽しんでいただきたい文化体験など、川原様のおすすめを教えてください。

博多を満喫していただくには「博多園山笠」のクライマックス「追い山笠」のコースを回っていただくのがおすすめです。櫛田神社から東長寺のほうへ行って、承天寺に行って聖福寺の前を通って。そして海側に向かって、博多旧市街をぐるっと回ったら「廻り止め」で終わり。「博多園山笠」を感じながら、歴史ある神社仏閣にも立ち寄っていただくことができますので、このコースはけっこう面白いと思います。

ちなみになぜ追い山笠でタイムを競うようになったかというと、江戸時代に土居流(どいながれ)出身の美しい女性が、当時の石堂流(いしどうながれ)(※)の若手へ嫁いだことがきっかけなのだそうです。正月に福岡の風習どおりブリと酒を持って奥さんの実家へ夫婦であいさつに行くと、居合わせた土居流の若手が夫にさまざまな嫌がらせをしたそうで、怒った石堂流の若手が押しかけて大喧嘩となりました。

※現在の恵比須流(えびすながれ)

 

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そこで一旦収束するも、7月の「舁き山笠」で再燃します。当時はご飯を食べたり休憩しながら山笠を舁いていたそうですが、二番山笠だった土居流を三番山笠の石堂流が東長寺のところで追い越そうとした。土居流が慌てて逃げて石堂流が追いかける。その様子を見た博多の人たちが大いに盛り上がったことがはじまりと伝えられています。そんな歴史物語を思いながら歩いていただくと、よりいっそう楽しんでいただけると思います。

そして先ほど言った志賀島コースも面白いと思います。歴史的なスポットでもありますが、「海の中道」から志賀島へ向かう道は、他ではなかなか見ることができない絶景。一方は湾内の静かな海、一方は玄界灘の荒れくれた海と1本の道の左右で異なる海を楽しむことができますので、学生時代に友人が福岡へ来ると必ず連れて行ったものです。

また西のほうにも「元寇防塁」があるなど、市内の海エリアには歴史を感じるスポットがたくさんあります。さらに都市部では、ビルが立ち並ぶ都会でありながらかつての緑化計画が脈々と受け継がれていて緑豊かな中で過ごせるなど、自然が楽しめる都市部の観光地へ行くのもおすすめです。

地元民だからこそ知る穴場的なスポットはありますか?

「博多園山笠」期間中の安全を祈願して、箱崎浜で真砂を取る「お汐井とり」(おしおいとり)という行事があるのですが、その時に通る石堂大橋の近くにある「濡衣塚」という碑があります。奈良時代に継母によって無実の罪を着せられ実の父に殺されてしまった娘が、幽霊となって無実を訴えたことで、その娘を弔うために建立された塚だと伝えられています。これが皆さんもご存知の「濡れ衣」の語源になったそうです。

「濡れ衣」という言葉は知っていても、その語源となった場所が博多にあることはあまり知られていないようですし、地下鉄「千代県庁口駅」からも近いので、ぜひ訪れてみていただければと思います。

 

そのほかにも、福岡をより楽しむポイントはありますか?

博多の街はゆっくり歩くのがおすすめです。「博多旧市街」は昔の街並みとともに、緑豊かな木々や季節の花などを楽しめます。「博多園山笠」の「追い山笠」で通るコースの博多旧市街はもちろん、東町や西町なども全然ビルが無いのでビルが立ち並ぶイメージの博多にも、こんなところがあるんだと驚かれるのではと思います。

東長寺の裏側の道になりますが、承天寺から出てまっすぐ進んで老舗「みやけうどん」がある呉服町へ向かうコース。それからお汐井とりへと箱崎浜方面に向かうコースも、古きよき風情が残る道が続きますから、「博多園山笠の追い山笠のコース」を歩くと楽しいと思いますよ。

毎年「博多園山笠」の本番前に「追い山笠コース探訪」というイベントが行われていまして、博多園山笠に参加する若手の案内で追い山笠コースを歩けます。長法被を着て案内するのでお祭りの雰囲気も楽しめますし、博多を満喫するのにふさわしいと思いますのでおすすめです。

 

歴史や絶景と見どころたくさん!福岡城天守閣も復元へ!

これからの福岡市観光や文化発信について思い描くことはありますか?

まずは福岡城に天守閣が建てられるといいなと思います。新しい街と言われる福岡とはいえ、何百年前に造られた福岡城の石垣が残っていますから、博多でいう「博多園山笠」などのように、福岡にも歴史的なシンボルがあればいいのではと考えています。その理由は、2024年の「福岡城さくらまつり」ライトアップの際、光で天守閣を復元したものが大変好評だったからです。

もうひとつの理由は、同じ市内とはいえ、博多から福岡へ行く人は意外に少ないものですが、“光の天守閣”を見に行った博多の人が多かったようで、今年の「博多園山笠」の時に「あんなふうになるんだ」と感心していました。福岡城に天守閣があれば福岡市全体のシンボルになると思いますし、すぐそばに整備された「鴻臚館」(こうろかん)跡とともに、さらに多くの方を魅了する観光地になるのではないかと思います。

博多の場合は神社仏閣が観光スポットでもありますが、われわれが子どもの頃に遊んでいた櫛田神社をはじめ、筥崎宮や住吉神社など歴史があるところでも神社は誰でも入れるのですが、お寺はなかなか難しいところがあります。今は秋のライトアップウォークなど参拝できる機会が増えてきたのですが、もっと多くのお寺が一般参拝しやすくなれば、さらに博多の歴史や文化を発信していけるのではないかなと考えています。

 

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最後に読者の方へメッセージをお願いいたします。

歴史の匂いがする博多の街はもちろん、志賀島にも行っていただければと思います。古代の匂いや絶景が楽しめますし、新鮮な地魚を味わえますのでおすすめです。知り合いが福岡に来た時には「博多園山笠」ゆかりの場所とともにドライブがてらご案内していますが、市営渡船やバスを使って行くこともできます。

福岡というとグルメは一番だけど、街で見るところがないと言われます。しかし、私がご紹介した場所だけでも全部回ろうとすると、1日以上はかかるほど見どころはたくさんありますから、ぜひ福岡市内観光をゆっくり楽しんでください。

 

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インタビューで紹介したスポット

おいしさにこだわった新商品も続々!博多明太子発祥の店「ふくや」

1948年に創業し1949年より明太子の製造販売を開始。創業者・川原俊夫氏が年月をかけて進化させた製法を広く伝えたことで、明太子が博多名物に。現在は味を進化させ続ける「味の明太子」をはじめ、おいしさにこだわった幅広い商品を揃えています。

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