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西公園
万葉の時代、荒津山と呼ばれた景勝の地が現在の西公園。黒田如水・長政を祀った光雲(てるも)神社や母里太兵衛と幕末の志士平野国臣の銅像、加藤司書の歌碑、徳富蘇峰の詩碑、万葉歌碑など多くの先人の碑がある。展望台からは、東に福岡市街地、北に博多湾や海の中道、志賀島など見事な景観が一望できる。公園内には約1,300本の桜が植栽されており、春には多くの花見客で賑わう。
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福岡城・鴻臚館 案内処「三の丸スクエア」
古代の迎賓館であった鴻臚館と、福岡の地名の由来となった福岡城は、時を越えて同じ場所に建てられた、歴史上重要な施設です。この2つの施設を知ることは、福岡の歴史を紐解くだけでなく、これからの未来への扉を開く一歩となるでしょう。 三の丸スクエアは、時の重なりを地層で表現した内観に、鴻臚館、福岡城の歴史をハイライトで紹介しています。また、「セントラルパーク構想」を中心に、未来の姿についても知ること...
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福岡城 南丸多聞櫓
12代270年くに余りにわたり、黒田藩・黒田氏の居城であった福岡城の一部で、大手門・潮見櫓・多聞櫓・母里太兵衛屋敷長屋門などと共に現存するもののひとつ。国指定の重要文化財でもある。
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福岡城 潮見櫓
潮見櫓は、舞鶴公園の北西の隅にあった櫓。明治41(1908)年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていた。 平成3(1991)年の福岡市の調査で小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、本来の場所に移築復元した。 復元工事では大切に保管してきた江戸時代当時の部材を使用し、また伝統的な工法を用いている。
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福岡城 東御門跡
二の丸に入るための主要な門の跡。周りの石垣には藩主の権威の象徴と言われている鏡石がある。
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福岡城 名島門
名島城の脇門であったが、福岡城に居城を移すときに家臣にさげ渡され、邸宅の門として使用された。市内では数少ない武家屋敷の門。
天然記念物(県指定)ツクシオオカヤツリ
天然記念物(県指定)ツクシオオカヤツリ
カヤツリ草科の一種で、多年生草本である。茎は三角形で太く、高さは1~1.5メートルになる。冬は茎は枯れるが、8月未から10月にかけて10~20センチはどの花をつける。マレーシア、インド地方に産するが、わが国ではここのほかに分布地は知られていない。
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光雲神社
筑前黒田藩の藩祖・黒田如水と初代藩主・長政の親子を祀る神社。その名前はふたりの法名から一字ずつを取って付けられたもの。元々は福岡城内本丸天守台の下に作られた神社だが、明治4年(1871)の廃藩置県により黒田家が東京に移転した際、現在の警固神社近くに移転。その後、西公園山頂へと移った。近くの展望台からは美しい博多湾を一望できる。『日本の桜100選』に選ばれた桜の名所で桜の季節は毎年大勢の花見客...
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福岡城(伝)潮見櫓
大正時代に旧黒田家別邸に移築された櫓が潮見櫓として伝わり、その後、城内の下之橋御門横に再移築されました。 近年の調査で別の建物が潮見櫓であることが明らかになったため、(伝)を付けて呼ばれるようになりました。三の丸の北西隅に位置していた本来の潮見櫓は、現在福岡市により復元整備が進められています。
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福岡城 表御門跡
1918年(大正7年)に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、現在も同寺の山門として使用されている。
本堂
圓應寺
浄土宗の寺院。山号は照福山。 慶長7年(1602)4月、福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)の正室照福院殿(光姫)が開基となり創建。 天蓮社真誉見道を開山に招請。黒田家の菩提寺とした。 照福院殿墓碑は福岡大空襲により崩れたため1980年(昭和55年)に再建立。題字は第25-28代福岡市長進藤一馬の書。 歴代上人の口伝によると、戦前の墓石内には照福院殿の毛髪も納められていたといわれる。 黒田六代...
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立帰天満宮
菅原道真(すがわらみちざね)を祭る神社。社伝によれば、ご神体は武蔵寺(ぶぞうじ)(筑紫野市)の境内に祭られていたが、元禄年間(1688~1703)に、荒津山の麓の源光院に移された。港に近く、藩船の船乗りに信仰された。明治20年、この地に社殿が建てられ、漁業、航海関係者に参詣されている。境内には新四国札所大師堂がある。
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福岡城 下之橋御門
城の西側にあり、東側の上之橋御門とともに、城内に入るための門として使用されました。 2000年(平成12年)8月に不審火で半焼しましたが、2008年(平成20年)11月に復元されました。焼失前は一層でしたが、現在の二層の姿が本来のものと考えられています。

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