観光・体験
Sightseeing & Activity
ヴィヴィッドな色彩が青空にとても映えます。パリ生まれの現代フランスを代表する美術作家である作者は、風変わりでユニークな作風で人気を博し、世界各地の広場などに作品が設置されています。
この彫刻は、頭が鷲で身体が人間の姿をした古代エジプトの天空神・太陽神である「ホルス」と、愛を司る神「キューピッド」を合体させたものだそう。翼を大きく広げ、愛を空から受け止めているのでしょうか、あるいは愛を空へと放...
東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。街道筋に残る歴史的な景観だけでも見ものですが、通り沿いには古美術商などユニークなお店も点在しています。街道全体がひとつの芸術と感じられるような町並みです。
JR奈多駅の北側の松林に囲まれた砂丘上に鎮座。祭神は火明神や豊玉姫神などで、農業と漁業の神として信仰されている。一の鳥居をくぐった右手に建つ志式座(市指定文化財)は、間口16.3m、奥行5.27mの桟瓦葺切妻平入の建物で、舞台の下手には7.22mの花道が常設され、現在も神社の祭りで使用されている。11月19日(旧暦10月19日)の秋大祭には、県指定無形民俗文化財の「早魚(はやま)行事」が奉納...
旧志免鉱業所竪坑櫓は、かつて炭鉱として志免町が栄えてきた証であり、炭鉱閉山後、現在に至るまで志免町のランドマークとなっています。この竪坑櫓は近代の鉄筋コンクリート構造物の中で、わが国有数の高さを誇り、建設技術史上価値が高いことから、平成21年12月8日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。鉄筋コンクリート製、47.6mの高さがあり、昭和18年に第四海軍燃料廠により建造されました。
天明4年(1784)、福岡城下に創建された藩校・甘棠館の跡。学館長・亀井南冥は、徂徠学派の儒医。「独看」という生徒の自主・自発の学習を重んじ、その学派は朱子学派の修猷館と相対した。寛政10年(1798)に学舎焼失し、寛政異学の禁と相まって廃校となった。広瀬淡窓など幾多の人材を輩出し、東学問所の修猷館と並んで称されている。なお、金印発見の際、南冥が『金印弁』を著し、その保護に努めた事跡は著名である。
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
太宰府天満宮や水城跡など、太宰府の歴史スポットを結ぶ「歴史の散歩道」。その散歩道の中核を担う施設がこちら。太宰府の歴史と文化をテーマにした展覧会や特別展、企画展などが行われている。
日本の世界遺産国内推薦となった国道495号線を挟んだ5~6世紀の古墳群。
宗像君(むなかたのきみ)一族の墓と考えられ、学術的にも重要なもの。
前方後円墳5基を含む41基が畑の中に分布しており、比較的見学しやすい。
調査された古墳からは、鉄のよろいや鉄を作る道具、飾りがつけられた土器などの史料が出土した。
弘法大師が中国から帰朝して開基したと伝えられる古刹。もとは宗像大社の神宮寺であった。6万6000平方メートルに及ぶ寺域には古木が茂り、春は桜の名所としても知られる。弘法大師作と伝えられる不動明王立像などがある。
多々良川河口に架かる名島橋は、1933年にそれまでの板橋を改修してつくられた近代的な橋です。
全長204m、幅24m、7連のアーチからなる橋は当時としては大規模なもので、今でも膨大な交通量を支えています。
江戸時代中期のものといわれるが、九州では最も古いワラ葺きの民家。伝教大師(最澄)が中国から帰国した折りに寄宿し、世話になったお礼として「横大路」の性と「毘沙門天の像」「法理の火」「岩井の水」を贈られ、「法理の火」を千年以上守り続けていることから「千年家」と呼ばれている。また、毘沙門天の像は高さ30センチほどの高さで最澄が手彫りしたと言われ、毎年4月13日の「御開帳祭」の日だけ見ることができる...
黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接して所在する歴代の墓所。藩祖・黒田如水、初代・長政、四代・綱政、六代・継高、七代・治之、九代・斉隆の歴代藩主とその一族、また直方藩主などを中心に祀っています。昭和25年(1950)に改葬工事が行なわれ、二十数基あった石塔は如水などの一部を除き廃されました。現在は12基の石塔が残されています。福岡藩の歴史遺産として、大変価値の高い市指定の史跡です。
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大神神社境内と、現在の高見台南公園に分布する3基の円墳群。神社拝殿西横の1号墳は横穴式石室の玄室が残り、公園緑地内にある3号墳は墳丘径20m、内部主体全長7.3mの横穴式石室。現在も形のよい墳丘と石室が残されている。石室からは須恵器と土師器が出土し、この古墳群では一番最初の6世紀末、造られたものと考えられている。
5世紀後半に造られたとされる、墳長27mの小型の横穴式前方後円墳。墳丘は二段築成で、須恵器、土師器などのほかに鉄斧、鉄刀子、鞍金具、ガラス製管玉などが出土した。昭和63年に発掘調査が行われたのち、埋め戻され、現在は公園となって、子どもたちの遊び場となっている。入口には説明板が設置されている。