観光・体験
Sightseeing & Activity
博多リバレイン1階、福岡アジア美術館に直結するエレベーター前にある、約4×9メートルの壁画。中国・北京在住のデジタルアーティスト、ブー・ホァさんが描き下ろした原画をもとに、福岡のアーティストや学生ら24人が約1カ月かけて制作した大作です。
ブー・ホァさんは2014年に開催された「第5回福岡アジア美術トリエンナーレ」に参加した際、福岡に滞在もしました。その経験も生かされ、「大切なものは自分の心...
日本の古代史をひもとく上での貴重な資料が数多く収蔵されている宗像大社神宝館。
沖ノ島祭祀神宝・宗像大社文書・一 筆一切経など、所蔵品のほとんどは国宝・重要文化財(約12万点)に指定されています。
旧早良郡7ヵ村の惣社で、祭神は品陀和気命・伊弉冉尊・玉依毘賣命を祀っている。かつては上宮・中宮・下宮があり、飯盛山全体が神域だった。上宮跡の山頂は永久2年(1144)の瓦経の出土地で、鎌倉時代には300有余町の社領を領し、南北朝時代にはそれぞれの拠点となり飯盛山合戦が行なわれた。本殿(市指定文化財)は慶安3年(1650)に建立。南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定文化財)、飯盛神社文書(市指定...
博多港引き揚げ記念碑として平成8年に建てられた、巨大なモニュメント。「敗戦直後の失意とその後湧き興ってきた生への希望を永遠に記念するモニュメント」として、豊福知徳により製作された。博多港は戦後直後、国内最大級の引揚援護港として、中国東北部や朝鮮半島より約139万人もの人々がこの地に、また、在日の朝鮮人・中国人など約50万人の人々がここから故郷へと帰っていった。戦争の悲惨な体験を二度と繰り返さ...
太宰府天満宮や水城跡など、太宰府の歴史スポットを結ぶ「歴史の散歩道」。その散歩道の中核を担う施設がこちら。太宰府の歴史と文化をテーマにした展覧会や特別展、企画展などが行われている。
聖武天皇の頃(724~749)、筑前国司・佐野近世の娘は継母に無実の罪を着せられ、近世の手によって殺された。これが「濡れ衣」の由来となった出来事である。ここはその娘を供養した塚と伝えられている。高さ165cm、玄武岩製の板碑と呼ばれる中世特有の石造物で、康永3年(1344)に建立。正面の太く刻まれた3つの梵字は上が大日如来、右下が宝幢如来、左下が天鼓雷音如来を表現している。東には国道を隔てて...
「あいれふ」入口に設置された、まるでダンスを楽しんでいるような、あるいは怒って叫んでいる?ような、赤い大きな犬の彫刻。
作者はストリートアートの先駆者とも呼べる画家であり、1980年代のアメリカ美術を代表するキース・ヘリングさんです。彫刻であるものの薄くて平面に近い作品で、ヘリングさんが行っていた地下鉄広告版の飽きスペースに描く「サブウェイ・ドローイング」というグラフィティ・アートを肌で感じ...
黒田忠之公(2代藩主)により創建された三間社流造の社殿が現在に至り、安土桃山文化の影響を受けた彫刻が施されている。
奥宮の桜井大神宮は伊勢大神宮から勧請したもので、内宮外宮を一体化した神明造りの社殿である。
県指定の重要文化財。
臨済宗大徳寺派の禅寺で、山号は海晏山。文応元年(1260)鎭西探題・北条時定が開創。宋より帰国した南浦紹明(大応国師)が、文永7年(1270)に招かれて開山した。その後、太宰府横岳崇福寺・京都万寿寺・鎌倉建長寺の住持となり高僧を輩出。その法脈を大応派と称した。寺蔵の絹本著色大応国師像は、師資相承の証しとして弟子に与えられたもので、国指定の重要文化財である。
開運・災難除けの神として知られ、参拝者が福岡県内で2番目に多い神社。
年間330万人もの人が訪れる。拝殿前には長さ11m、重さ3tの大注連がかかり、毎年12月に架け替えられる。
他にも、日本一の大鈴、大太鼓、日本最大級の横穴式石室古墳でもある奥の院不動神社もある。
門前町には、名物の松ヶ枝餅があり、海まで続く参道の先に夕日が沈む2月と10月にはカメラマンが押し掛ける。
2,000本の桜や江戸...
黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接して所在する歴代の墓所。藩祖・黒田如水、初代・長政、四代・綱政、六代・継高、七代・治之、九代・斉隆の歴代藩主とその一族、また直方藩主などを中心に祀っています。昭和25年(1950)に改葬工事が行なわれ、二十数基あった石塔は如水などの一部を除き廃されました。現在は12基の石塔が残されています。福岡藩の歴史遺産として、大変価値の高い市指定の史跡です。
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江戸時代、能古島は福岡藩の鹿の猟場で最盛期には約600頭もの鹿がいました。鹿垣は鹿が田畑を荒らさないよう東西約2kmにわたって築かれた石垣で、現在も一部が残っています。なお、鹿は昭和20年頃には全滅し、現在では全く見られません。
町の南端にあり、山頂からは福岡市街から玄界灘、宗像市街までを一望のもとに見晴らせる。一帯には南北朝時代に造られた山城・立花城があったが、現在では石垣が残るのみ。また日本で最北限のクス原生林がある。
慶長(けいちょう)8年(1603)、京都妙覚(みょうかく)寺の唯心院日忠(ゆいしんいんにっちゅう)は、布教のため博多に来て、妙典寺(市内博多区)でキリスト教神父と宗教問答を行い、勝った。
初代藩主黒田長政は、日忠にキリスト教の土地を与え寺を建てさせて、問答勝利にちなみ勝立寺と名付けさせた。
インドネシアのアーティストエコ・ヌグロホさんが制作したこの作品は、高さおよそ5メートル、幅2メートルほどです。
上部は博多湾の豊かな自然を、下部は活気のある都市活動を表しています。カラフルでエネルギーに溢れる作品が、訪れる人たちを迎えています。博多港エリアに散策しながら、是非見に行ってみてください。
江戸時代中期のものといわれるが、九州では最も古いワラ葺きの民家。伝教大師(最澄)が中国から帰国した折りに寄宿し、世話になったお礼として「横大路」の性と「毘沙門天の像」「法理の火」「岩井の水」を贈られ、「法理の火」を千年以上守り続けていることから「千年家」と呼ばれている。また、毘沙門天の像は高さ30センチほどの高さで最澄が手彫りしたと言われ、毎年4月13日の「御開帳祭」の日だけ見ることができる...