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志賀島ビジターセンター
志賀島といえば金印発見の地。「休暇村志賀島」の敷地内にある「志賀島ビジターセンター」では、金印の模型などの考古資料をはじめとし、志賀島の歴史、自然、生き物を紹介。島の木の実などを使ってものづくりを体験できるワークスペースも。志賀島に遊びに行ったらぜひ立ち寄ってみよう。
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鹿垣(ししがき)
江戸時代、能古島は福岡藩の鹿の猟場で最盛期には約600頭もの鹿がいました。鹿垣は鹿が田畑を荒らさないよう東西約2kmにわたって築かれた石垣で、現在も一部が残っています。なお、鹿は昭和20年頃には全滅し、現在では全く見られません。
蒙古塚
蒙古塚
文永・弘安の役(1274・1281年)で戦死した蒙古兵士の供養のために建てられたもの。昭和2年に建設された石碑で、裏には7基の板碑がある。また張作霖書による「蒙古軍供養塔賛」の碑も建てられている。海を隔てた向こうには、今津の美しい白砂を見ることができる。
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福岡おもちゃ美術館
ららぽーと福岡オーバルパークにある福岡おもちゃ美術館へようこそ! 福岡県産材のスギ・ヒノキをふんだんに使用し、木の温もりが感じられる体験&交流型のミュージアムです。約8,000点もの日本や世界のおもちゃが展示されており、手に取って自由に遊ぶことができます。 お子さまが木の素材に触れて感じる、成長できる「木育」を大切にしたおもちゃと遊びの空間です。親子で一緒に作る「手作りワークショップ体験...
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能許万葉歌碑(のこまんようかひ)
能許(のこ)という地名が文献に初めて出た歌で、荒津から出航した遣新羅使が能許の泊(現在の唐泊) で風待ちをしている時の気持ちが詠まれています。風吹けば 沖つ白波 恐みと 能許の泊まりに あまた夜そ寝る(「万葉集」3673)
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須恵町立歴史民俗資料館
町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。
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筑紫耶馬溪(ちくしやばけい)
町の中心を流れる那珂川の上流、南畑ダム下流の釣垂峡を別名、筑紫耶馬渓と呼んでいます。清流が流れ、滝や巨石、奇岩などが多く、緑の美しい地域です。
利休釜掛の松
利休釜掛の松(りきゅうかまがけのまつ)
天正15年(1587)豊臣秀吉は、九州遠征のとき筥崎宮に20日余り滞在しました。 この間、小寺休夢(こでらきゅうむ:黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)らと茶の湯の会を催しました。 その時、秀吉の命によって利休は、この地の松に鎖をおろし、雲龍の小釜をかけ、白砂の上に散り敷いた松葉をかき集めて湯をわかしたといわれています。
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【パブリックアート】エコ・ヌグロホ《ルーミング(The Blooming)》
インドネシアのアーティストエコ・ヌグロホさんが制作したこの作品は、高さおよそ5メートル、幅2メートルほどです。 上部は博多湾の豊かな自然を、下部は活気のある都市活動を表しています。カラフルでエネルギーに溢れる作品が、訪れる人たちを迎えています。博多港エリアに散策しながら、是非見に行ってみてください。
秋月「杉の馬場」の桜。秋月は福岡屈指の桜の名所です
秋月城跡・秋月黒門
福岡市から車で約70分。 福岡屈指の桜、紅葉の名所として知られ、「筑前の小京都」と呼ばれる「秋月」。美しい自然と史跡を楽しめる人気の観光地です。 1203(建仁3)年、原田種雄(たねかつ)が秋月氏を名乗り築城。その後、約400年完、秋月は、秋月氏の領地でした。秋月氏は、古処山城を築き、幕府に従って領地を治め、元寇の際には従軍しています。 その後、江戸時代になり、黒田長興(ながおき)が、秋月5...
外観
福岡市民防災センター
地震・火災・水害などの模擬体験をすることができる施設。 防災に関する知識・行動の仕方を学んで、もしもの時に備えよう。
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今津元寇防塁
鎌倉幕府が蒙古襲来にそなえて博多湾の今津から香椎まで20kmにわたって築いた元寇防塁。西の柑子岳山麓から東の毘沙門山山麓までの海岸砂丘上に、約3kmにわたって続いている。
興徳寺
興徳寺(こうとくじ)
臨済宗大徳寺派の禅寺で、山号は海晏山。文応元年(1260)鎭西探題・北条時定が開創。宋より帰国した南浦紹明(大応国師)が、文永7年(1270)に招かれて開山した。その後、太宰府横岳崇福寺・京都万寿寺・鎌倉建長寺の住持となり高僧を輩出。その法脈を大応派と称した。寺蔵の絹本著色大応国師像は、師資相承の証しとして弟子に与えられたもので、国指定の重要文化財である。
三所神社
三所神社(さんしょじんじゃ)
祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。創立は神亀5年(728)で、江戸時代に筑前五ヶ浦廻船の基地であった宮浦の氏神として祀られている。この神社に掲げられている板絵着色武者絵馬は、宮浦の船頭4人が享和3年(1803)に奉納したもので、加藤清正の虎退治を画題としている(縦80.0cm、横121.5cm)。作者は葛飾北斎の高弟の江戸の浮世絵師・柳々居辰斎。五ヶ浦廻船の最盛期を裏付ける絵馬で、文化財...
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永福寺(えいふくじ)
曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(たたら よしお)の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
東学問所跡の説明板
東学問所跡(ひがしがくもんじょあと)
天明4年(1784)、福岡城下に創設された藩校・修猷館の跡。福岡城表御門の上ノ橋前に設立。初代館長は貝原益軒の高弟・竹田定直の孫である定良。徂徠学派・亀井南冥館長の西学問所(甘棠館)とは対照的に、朱子学派の厳格な学風を重んじた。西学問所の廃校後は藩士教育の中心機関となり、憲法起草にあたった金子堅太郎、三井の団琢磨、早良区重留に私塾と実験農場を兼ねた勧農社を主宰した林遠里など、幾多の人材を輩出した。
綱敷天満宮
綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)
祭神は菅原道真。道真が袖の湊に上陸した際、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作って出迎えたという伝説によるもので、江戸時代には綱輪天神と呼ばれていた。次第に綱場と呼ばれるようになり、現在も町名として残っている。
紅葉八幡宮
紅葉八幡宮
筑前三代藩主・黒田光之が早良郡橋本村にあった小さな社を西新の地に移したもので、藤崎商店街から南へ少し入った所にある。西新の町はこの神社を中心に発展したとされる。大正4年(1915)、現在地の高取1丁目に移転。その名の通り境内にはモミジの木が多く、境内地の内、2000余坪を紅葉山公園としている。秋にはモミジが真っ赤に色づき、訪れる人の目を楽しませている。

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