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福岡城 潮見櫓
潮見櫓は、舞鶴公園の北西の隅にあった櫓。明治41(1908)年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていた。 平成3(1991)年の福岡市の調査で小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、本来の場所に移築復元した。 復元工事では大切に保管してきた江戸時代当時の部材を使用し、また伝統的な工法を用いている。
大日堂
大日堂(だいにちどう)
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面は漆仕上げで造られている。市指定の文化財。
西新元寇防塁
西新元寇防塁
20kmにわたる元寇防塁のほぼ中間にあたるのが西新・百道地区の防塁。文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。その後、この防塁が築かれた。大正9年、西新の防塁が発掘され、石塁が露出。昭和44年に本格的発掘調査が行われた。国指定史跡。
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横大路家住宅(千年家)(よこおおじけじゅうたく(せんねんや))
江戸時代中期のものといわれるが、九州では最も古いワラ葺きの民家。伝教大師(最澄)が中国から帰国した折りに寄宿し、世話になったお礼として「横大路」の性と「毘沙門天の像」「法理の火」「岩井の水」を贈られ、「法理の火」を千年以上守り続けていることから「千年家」と呼ばれている。また、毘沙門天の像は高さ30センチほどの高さで最澄が手彫りしたと言われ、毎年4月13日の「御開帳祭」の日だけ見ることができる...
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竈門神社
上宮は宝満山山頂に、下宮は宝満山の麓にある。7世紀に大宰府政庁が設けられた際、鬼門除けに北東にあたる「かまど山(宝満山)」の頂上に八百万の神を祀ったのが「竈門神社」の始まりと伝わる。神武天皇の生母である玉依姫命を主祭神とし、縁結びの神さまとして信仰されている。春は桜やシャクナゲ、秋は紅葉を楽しむことができ、県内外から多くの参拝者が訪れる。また、2012年に世界で活躍する建築家やインテリアデザ...
壱岐神社
壱岐神社
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
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円覚寺
円覚寺は、寛元4年(1246年)大覚禅師(蘭渓道隆)が宋より大宰府へ来朝した際、時の鎌倉幕府五代執権・北条時頼が大伽藍を矢倉門(現在の祗園町)に創建しました。しかし、時の戦乱・兵火により寺院の全てを焼失してしまいます。 その後、寛永13年(1636年)に聖福寺の境内に基礎を移転して再建し、聖福寺の塔頭寺院となりました。 この円覚寺は、福岡藩士立花実山直筆の「南方録」が伝承されており、南方...
米一丸石造九重塔
米一丸石造九重塔(よねいちまるせきぞうくじゅうのとう)
花崗岩製で、高さ4.2mの九重の石塔。鎌倉末期に造られたものと推定。基礎は盤状方石、塔身は高さ・幅ともに50cmの立方体で、四方に如来像を浅い花頭形龕中に浮彫している。鎌倉時代に主君の奸計にかかって箱崎松原で自害したという、悲劇の主人公・米一丸の供養のために建てられたとされる。県指定文化財。
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今津海岸
元寇防塁の跡の残る海岸。大きな駐車場が整備されているので便利。
浦宗勝墓
宗勝寺(浦宗勝墓)(そうしょうじ/うらむねかつぼ)
高節山麓にある曹洞宗の寺。小早川隆景の重臣で、立花城代を務めた浦宗勝が亡妻を弔うため永禄12年(1569)に建立した。寺は後に焼失し、現在の本堂は約200年前に再建されたもの。本堂左手前の山道を案内に従って登れば、竹林の中に宗勝とその妻の墓が、5人の重臣の墓と共にある。
吉武遺跡群
吉武遺跡群(よしたけいせきぐん)
国指定史跡。吉武高木遺跡は、早良平野を貫流する室見川中流左岸扇状地(吉武遺跡群)に立地。弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基からなる区画された墓地が検出され、銅剣・銅戈・銅矛の武器、多鈕細文鏡、玉類多数が出土した。このほか古墳、寺院、中世集落なども発見されている。
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独鈷寺(とっこじ)
延暦年間に建立された天台宗開祖の寺と伝えられている。伝教大師(最澄)が唐からもち帰ったとされる独鈷と鏡が祭られている。境内には干雨に関係なく清水が湧き出る独鈷水や、最澄が座禅を組んだといわれる石が残る。
大博通り沿いにある。
博多古図(はかたこず)
1823(文政6)年の地図が大博通りに展示されている。博多古図と呼び、江戸時代の山笠追い山の順路が朱で書かれた貴重なもの。大博通り沿いには、全16ヶ所に歴史散歩ができる展示が続く。 地図の中には、周辺で出土した貿易船の碇石レプリカや古寺秘蔵の絵なども鮮明に描かれていて、当時の博多の様子や、博多の町並みの移り変わりをうかがえる。
外観
十日恵比須神社
福岡市博多区吉塚の東公園内にある恵比須神社。 約400年以上前に博多の竹内家が香椎宮、筥崎宮への参詣の帰途、浜辺で恵比須像二体を拾い、社を建てたのが始まりとされる。当然、祭神は「えびす様」こと事代主大神と「だいこく様」こと大国主大神を祭っている。 毎年1月8日から11日までの「十日恵比須神社正月大祭」は大賑わいとなる。 商売繁昌、家運隆昌を願う参拝者が押し寄せ、毎年約100万人を数える...
燈籠堂
燈籠堂(とうろうどう)
天正15年(1587)千利休は、この燈籠堂前で、博多の豪商神屋宗湛(かみやそうたん)、島井宗室(しまいそうしつ)らと共に、九州平定のため箱崎に在陣中の豊臣秀吉を招き、たびたび茶会を催した 。このゆかりの堂は、当時筥崎宮境内にあったが、明治維新での神仏分離により、恵光院(えこういん)に移されたものである。
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光雲神社
筑前黒田藩の藩祖・黒田如水と初代藩主・長政の親子を祀る神社。その名前はふたりの法名から一字ずつを取って付けられたもの。元々は福岡城内本丸天守台の下に作られた神社だが、明治4年(1871)の廃藩置県により黒田家が東京に移転した際、現在の警固神社近くに移転。その後、西公園山頂へと移った。近くの展望台からは美しい博多湾を一望できる。『日本の桜100選』に選ばれた桜の名所で桜の季節は毎年大勢の花見客...
劇場
キャナルシティ劇場
福岡を代表するショッピングモール「キャナルシティ博多」の敷地内にある劇場。 演劇やミュージカルだけでなく、落語や伝統芸能など様々な演目が行われている。 舞台と客席の距離が非常に近いため、迫力のある演劇を楽しめると評判だ。
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須恵町立歴史民俗資料館
町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。

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