観光・体験
Sightseeing & Activity


玄界灘に浮かぶ周囲3.8kmの姫島は、明治維新の歴史を陰で支えた尼僧、野村望東尼の流刑地として知られている。
その時の獄舎を復元し御堂として祭り、側には波乱の生涯を偲ぶ顕彰碑も建っている。
江戸時代、異国船監視の遠見番所が置かれ、海上交通の要所になっていた鎮山は、遊歩道も整備され、登山を楽しむことができる。

相島の北東、長井浜に古墳時代中期から後期にかけての古墳「積石塚」があります。一般には土を盛って造るのに対し、積石塚は石を積んだ古墳で、254基の墳墓が見つかっています。【国指定史跡】

国指定史跡・五郎山古墳を有する公園。歴史性や郷土性を強調し、豊富な自然樹木を活かしてつくられた。水辺の広場、林の広場、遊びの広場、桜の広場など特色あるゾーンが広がる。野外実習教育にも活用されている。

シーサイドももちのウォーターフロント施設。 「福岡タワー」から海側に徒歩わずか1分の場所にあり 海の上に浮かぶ多彩な施設群がレジャーやデートに人気スポット。 ビーチサイドではマリンスポーツも盛んで 夕暮れは都会の海辺のロマンチックな景色が広がる。 パームツリー桟橋の先にあるウエディングアイランドマリゾンは、 30mのヴァージンロードを備えたチャペルをはじめ 選べる4つのオーシャンビューバンケ...

地元福岡では熱狂的な支持を得るサッカークラブ。名前はスペイン語の「クマンバチ」を意味する「アビスバ」から由来している。ハチのチームワークやスピーディな動きをなぞらえたものだ。そのためマスコットキャラクターもクマンバチを現している。地域に根ざしたスポーツクラブとして福岡市民に支持され、スポーツを通じた子供の育成など、豊かなスポーツ文化の創造に貢献している。

近年の発掘調査で新たに発見された防塁で,博多の元寇防塁と推定されています。展示室があり,見学することができます。
※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課 092-711-4666

曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(たたら よしお)の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。

JR一貴山駅の東方500mほどの丘陵地にあり、全長103mの前方後円墳。
竪穴式石室で、古墳時代前期(4世紀後半)のものとみられる。
白銅鏡10面や刀剣、勾玉などが出土し、現在は京都大学総合博物館に保管されている。国指定史跡。

日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。

筑前国続風土記によると「桧原(ひばる)村の内にて橿原(かしわばら)の境にある禅寺なりしとかや今に其跡残れり。広さ78反ばかりあり、本尊観音は朽ちはて、仏体とも見えざる村人草の庵をかまえて入れ置きけり、那珂郡屋形原(現福岡市)に居たる千葉探題(たんだい)帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや」と見え、現在寺跡に阿弥陀如来坐像の石仏や梵字を刻んだ供養塔がある。

町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。