観光・体験
Sightseeing & Activity


花崗岩製で、高さ4.2mの九重の石塔。鎌倉末期に造られたものと推定。基礎は盤状方石、塔身は高さ・幅ともに50cmの立方体で、四方に如来像を浅い花頭形龕中に浮彫している。鎌倉時代に主君の奸計にかかって箱崎松原で自害したという、悲劇の主人公・米一丸の供養のために建てられたとされる。県指定文化財。

筑前三代藩主・黒田光之が早良郡橋本村にあった小さな社を西新の地に移したもので、藤崎商店街から南へ少し入った所にある。西新の町はこの神社を中心に発展したとされる。大正4年(1915)、現在地の高取1丁目に移転。その名の通り境内にはモミジの木が多く、境内地の内、2000余坪を紅葉山公園としている。秋にはモミジが真っ赤に色づき、訪れる人の目を楽しませている。

東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、...

国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。

町民の健康づくりに積極的に取り組んでいる久山町が、近隣公園として整備したもの。3カ所ある多目的広場は野球、ソフトボール、運動会などのスポーツやレクリエーションなどに利用される。地域住民の憩いの場。

古賀グリーンパーク内にあるスケートボードやインラインスケート、BMXが楽しめる日本初のグローバルスタイルの公共スケートパーク。深さ3.6メートルの「ボウル」とよばれるお椀型のセクションは難易度が高く、プロ・アマ問わずに挑戦できます。

六所神社の境内には樹齢800年を超える樟の大木が2本ある。
幹周は、それぞれ8.5mと7.5m。樹高は、28mと39m。
日本最古の戸籍(大宝2年)肥君猪手一家が住んでいた川邊里(かわべり)もこの地域と言われている。昭和35年県指定天然記念物。

禅宗(曹洞宗)の名刹。桃山時代の武将で筑前の領主・小早川隆景の墓所やツツジの庭園で知られている。
境内に安置されている馬頭観音は奈良時代の僧行基の作とされる秘仏で、33年に2回開帳される。

祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。創立は神亀5年(728)で、江戸時代に筑前五ヶ浦廻船の基地であった宮浦の氏神として祀られている。この神社に掲げられている板絵着色武者絵馬は、宮浦の船頭4人が享和3年(1803)に奉納したもので、加藤清正の虎退治を画題としている(縦80.0cm、横121.5cm)。作者は葛飾北斎の高弟の江戸の浮世絵師・柳々居辰斎。五ヶ浦廻船の最盛期を裏付ける絵馬で、文化財...

7世紀後半、九州では最古級のウトグチ瓦窯遺跡をドームで覆って完全保存。
展示館とした施設。当時の瓦窯の様子や瓦の歴史が学習できる。
また復元されたのぼり窯や工房があり、焼物づくりが実際に体験できる。

日本書紀によると小山田の斎宮は神功皇后の斎宮とかかれ、西暦200年、神功皇后が政務を執られたといわれる聖母屋敷の一角に立てられたとされています。社叢(しゃそう)にはブナ科スダジイとイチイガシなどが群生しており、県の天然記念物に指定されています。イチイガシの大きなものは樹齢千年以上を経ていて、胸高周囲約4メートル、高さ30メートルもあります。

宇美町の観光資源である三郡山は、福岡平野と筑豊盆地の間に位置する標高936m、宇美町で一番高い山です。春の山野草、秋の紅葉、冬の河原谷の大つらら(通称:難所ヶ滝)など四季折々の魅力を楽しめます。三郡山の麓にある「一本松公園(昭和の森)」から約150分で登頂できます。

福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。

大乗寺は法皇山宝珠院と号して、昔は奈良西大寺の末寺で律宗に属し、亀山上皇の勅願寺でありましたが、のち浄土宗に転じ、更に真言宗に改宗、大正9年(1920)長宮寺と合併して、中央区大手門一丁目に移り戦災で焼失しました。 この寺跡に亀山上皇が元寇の際、西大寺の叡尊(えいそん)に命じて、博多において敵国降伏の祈願を行わせた勅願石や、県指定文化財の地蔵菩薩板碑、蒙古碇石があります。

今泉公園に隣接した処に、歌人大隈言道が天保7年(1836)39歳のときから住んでいた旧居「ささのや」があった。言道は二川相近(ふたがわすけちか)について和歌を、日田(大分県)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)に漢学を学び、大阪に出て歌人らと交流するなど歌道に精進、明治元年71歳で亡くなった。墓は香正寺にある。

宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。