観光・体験
Sightseeing & Activity


博多の方から来ると太宰府市に入ってまもなく道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続く。それが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城(みずき)である。その規模は全長1.2km、基底部の幅80m、高さ10mを超え、すべて人の手で築いた人工の土塁(土の堤防)である。そして名のとおり海側(博多側)に幅60m、深さ4mの堀を造り、水を貯えた。春日市、大野城市にも小規模な水城が残っている。

5世紀後半に造られたとされる、墳長27mの小型の横穴式前方後円墳。墳丘は二段築成で、須恵器、土師器などのほかに鉄斧、鉄刀子、鞍金具、ガラス製管玉などが出土した。昭和63年に発掘調査が行われたのち、埋め戻され、現在は公園となって、子どもたちの遊び場となっている。入口には説明板が設置されている。

古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。
香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。
波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。

東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、...

藍の家は、千軒民俗館として、案内やイベントを行っている。
防火のための壁「うだつ」が上方だけにある「そでうだつ」には、建築主「上妻善兵衛」の「上」「善」の字が刻まれている。
柱は虫害に遭わないように海水につける処理が行われた「塩木」である。
明治34年(1901年)に建築。
平成6年に当時の津屋崎町に寄贈。
平成19年に国の登録有形文化財に登録。
平成27年放送のNHK地域ドラマ「ここにある...

玄界灘の荒波によって形成された奥行き90m、高さ60mの巨大な洞窟は、玄海国定公園を代表する名勝地として全国的に有名。
芥屋の漁港からは神秘的な洞窟内を見学出来る遊覧船(4月~11月)が就航している。

大島の最高峰、標高224mの御嶽山山頂にあり、360度の大パノラマが広がる。眼下に大島漁港や沖ノ島、壱岐といった玄界灘の島々、遠く英彦山、脊振などの山々。晴れた日には山口県方面 まで見渡すことができる。

この滝は、金山(かなやま)登山道の入口にあたり、不動(ふどう)滝とも通天(つうてん)滝または紅葉(もみじ)の滝ともいわれ、かつては、僧侶の修行の場でした。水の勢いが強く、高さ15m、幅3mあって、滝つぼ、深い淵になっています。
この豊かな清流は、坊主川を下って室見(むろみ)川に流れ、夫婦石浄水場(めおといしじょうすいじょう)を経て市民の大切な飲料水として使われています。

福津市南東部にある飯盛山は標高157mながら急峻な山で、戦国時代は宗像氏の出城があった。
この飯盛山を散策する登山道が整備され、頂上には憩いの場として展望広場が設置されている。眼下に福津市内を見渡せる。
駐車場からは10分ちょっとで山頂まで行ける。

四王寺県民の森は、自然公園となっており、春の花、初夏の新緑、秋の紅葉や野鳥など、森の四季を感じながら森林浴を楽しむことができ、森林について学べる「展示館」や「子供の国広場」、「焼米ヶ原広場」などあり、家族連れで楽しめる憩いの場もあります。
また、特別史跡大野城跡などの史跡にも恵まれており、歴史のロマンを感じながら散策を楽しむ事ができます。

志賀島といえば金印発見の地。「休暇村志賀島」の敷地内にある「志賀島ビジターセンター」では、金印の模型などの考古資料をはじめとし、志賀島の歴史、自然、生き物を紹介。島の木の実などを使ってものづくりを体験できるワークスペースも。志賀島に遊びに行ったらぜひ立ち寄ってみよう。