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福岡城 潮見櫓
潮見櫓は、舞鶴公園の北西の隅にあった櫓。明治41(1908)年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていた。 平成3(1991)年の福岡市の調査で小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、本来の場所に移築復元した。 復元工事では大切に保管してきた江戸時代当時の部材を使用し、また伝統的な工法を用いている。
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善導寺
縁起によると、鎮西聖光上人(ちんぜいしょうこうしょうにん)が建暦(けんりゃく)2年(1212)善導大師像(ぜんどうたいしぞう)を本尊として建立したとされているが、「筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)」では広誉上人(こうよしょうにん)が筑後の善導寺(ぜんどうじ)再興ののち、文明(ぶんめい)9年(1477)に建立したと記している。後土御門(ごつちみかど)天皇のとき(1465~1500)...
板付遺跡
板付遺跡
国指定の史跡で、稲作を行っていた集落跡では国内最古。標高11〜12mの低台地上に集落を設け、東西の沖積地を水田としていたと考えられている。集落には断面がV字形の環濠をめぐらし、周囲を水田の用水路をかねた溝が取り囲んでいた様子がわかる。集落と墓地、水田が複合する、弥生文化を知る上できわめて重要な遺跡だ。
那珂八幡古墳
那珂八幡古墳(なかはちまんこふん)
墳長75m以上、高さ8mの前方後円墳で、福岡市の指定史跡。古墳時代初期に築かれたものとされている。墳丘は地山整形と盛土からなり、周囲には鍵穴形に周溝がめぐらされている。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。福岡平野の首長墓の系譜では最古に属するものとされている。
赤間宿跡
赤間宿跡(あかましゅくあと)
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。 都落ちした三条実美らが投宿し、本陣からの眺望を絶賛したと言われる。現在でも白壁、格子造りの家並みが続き、辻井戸なども残っており、江戸時代の面 影を今に伝えている。
資料室
志免町歴史資料室
志免町民センター(生涯学習2号館)にある歴史資料室。七夕池古墳の出土品を中心に、町内で出土した土器や鉄器類を展示しています。また昭和30年代まで石炭産業で栄えた志免町の歴史を物語る炭鉱関係の道具なども展示されています。
中津宮古墳
中津宮古墳(なかつぐうこふん)
志賀島に位置する古墳。7世紀前半に築造され、勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であると考えられている。墳丘の規模や形態は不明だが、長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室があり、須恵器、鉄製武器、耳環やガラス玉の装飾品などが出土した。
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光正寺古墳(こうしょうじこふん)
国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。
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也良崎万葉歌碑(やらのさきまんようかひ)
也良崎は防人が置かれていたことが分かっている全国唯一の場所。この歌は防人を詠んだ歌の一首で、船出して帰らぬ人となった夫を恋い慕う妻子の悲しみを詠んだものです。沖つ鳥 鴨とふ船の 帰り来ば 也良の防人 早く告げこそ(「万葉集」3866)
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相島積石塚群(あいのしまつみいしづかぐん)
相島の北東、長井浜に古墳時代中期から後期にかけての古墳「積石塚」があります。一般には土を盛って造るのに対し、積石塚は石を積んだ古墳で、254基の墳墓が見つかっています。【国指定史跡】
主基斉田碑
主基斉田跡(すきさいでんあと)
昭和3年11月、京都御所で行われた昭和天皇の即位式で、主基殿に供えられた新米が脇山の石津新一郎が所有したこの斉田より献上された。 全国から選ばれ、古式により田植えから収穫仕上げまで、村(当時の脇山村)を挙げての大行事であった。 この斉田から白米3石(450キログラム)が献上された。
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伊都国歴史博物館(いとこくれきしはくぶつかん)
中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された古代王国「伊都国」をメインテーマとし、市内の遺跡から出土した数多くの貴重な文化財や歴史資料を収蔵・展示している。中でも、世界最大の銅鏡「内行花文鏡」をはじめとする国宝「平原遺跡出土品」は必見。館内には、旧石器時代から現代まで学べる常設展示室や、広大な糸島平野を見渡せる展望スペース、文化財を分かりやすく紹介する映像スペースなどがある。
八雲神社
八雲神社(やくもじんじゃ)
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
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西南学院大学遺跡元寇防塁
校舎の新築にともなう調査で新たに確認された防塁を移築,復元したものです。
大隈言道屋敷跡
大隈言道屋敷跡(おおくまことみちやしきあと)
今泉公園に隣接した処に、歌人大隈言道が天保7年(1836)39歳のときから住んでいた旧居「ささのや」があった。言道は二川相近(ふたがわすけちか)について和歌を、日田(大分県)の広瀬淡窓(ひろせたんそう)に漢学を学び、大阪に出て歌人らと交流するなど歌道に精進、明治元年71歳で亡くなった。墓は香正寺にある。
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みあけ史跡公園
日本書紀に書かれた「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」の有力な候補地といわれている鹿部田淵遺跡(県指定史跡)を保存し整備した歴史公園。「歴史に学ぶ緑の丘」をテーマとした園内は、道路を挟み南北二箇所に分かれ、発掘時の地形と同じ緩やかな勾配をもつ芝生敷きの広場に建物を立体的に復元しています。
曲淵五重石塔
曲淵五重石塔(まがりぶちごじゅうせきとう)
曲淵小学校内に立つ石塔です。室町時代(1336年~1573年)の建立と推定され、塔は下から基礎、塔身【とうしん】、屋根のようにみえる笠石【かさいし】を五段に重ね、その上には、輪状の石と宝珠【ほうじゅ】を組み合わせた相輪【そうりん】と呼ばれる石をのせています。素材には、砂岩【さがん】を用いているため、塔身に浮き彫りされた仏像は風化が進み、現在は確認できません。 伝承では、戦【いくさ】にやぶれ、...
大楠
五所八幡宮(ごしょはちまんぐう)
市内随一の大社で、古くから地域住民に親しまれています。 創立は史料の焼失などで明らかではありませんが、残っている棟札には明応2年(1493年)との記載があり、歴史の古さを物語っています。 また、境内にある大楠のこぶをよく見るとあの有名な妖精「ムーミン」そっくりだということが発見されました。この不思議な偶然は大反響を呼び、今では全国からファンが見学に訪れる名所です。

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