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Sightseeing & Activity

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白糸酒造(しらいとしゅぞう)
全国で数少ない古式手法「ハネ木搾り」を使い、ゆっくりと時間をかけて圧搾するので、雑みを搾りきらないのが特徴。 「ハネ木搾り」という技法は、江戸時代から続く圧搾方法で、8mのカシの木の片方に少しづつ石を吊り下げながら加圧していく方法。 
資料室
志免町歴史資料室
志免町民センター(生涯学習2号館)にある歴史資料室。七夕池古墳の出土品を中心に、町内で出土した土器や鉄器類を展示しています。また昭和30年代まで石炭産業で栄えた志免町の歴史を物語る炭鉱関係の道具なども展示されています。
公園内
桧原運動公園
油山の麓・福岡市南部の丘陵地約13ヘクタールの敷地に、テニスコートや野球場などのスポーツ広場と、無料で利用できる遊歩道や芝生広場などを備えたレクリエーションの場として整備されている。 四季を通してさまざまな種類の花や果樹の表情が楽しめる「花畑園芸公園」が隣接しており、一日かけて花や果樹を見て楽しんだり、スポーツやレクリエーションを楽しむことができる。
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秋山園芸
秋山園芸のいちご狩りは12月~5月頃。ビニールハウス内で完熟した甘いあまおうイチゴが食べ放題。持ち帰り(料金別)もでき、家族連れなどに大人気です。また、9月上旬~10月下旬にはイチジク狩りも楽しめます。どちらも要予約。
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志賀神社のクスの連理木(しかじんじゃのくすのれんりぎ)
志賀神社境内にあり、拝殿の左前方に大枝を広げているクスの木。2本のクスの幹とナノミの幹が合体しためずらしい巨木で、根回り9.2m、樹高22.6m、樹齢は約600年といわれている。
百閒石垣
百間石垣(ひゃっけんいしがき)
百間石垣(国指定特別史跡)は、全長約180mの大野城跡最大の石垣です。内部まで石を積めた「総石垣」構造となっています。石垣の一部では隙間があり、そこから水が流れていることから、これも水門の一部と考えられています。
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宇美町立歴史民俗資料館
町内で発掘された貴重な文化財や出土品を展示公開し、郷土の歴史、文化財に対する理解を深めるための施設。民俗展示室、町民ギャラリーがある資料館として広く県下で知られています。
書斎
宮崎安貞の書斎・墓(みやざきやすさだのしょさい・はか)
宮崎安貞(1623~1897)は、安芸(広島県)藩士・宮崎儀右衛門の二男。25歳の時、二代藩主・黒田忠之に山林奉行として仕えたが、まもなく辞職した。諸国を巡歴して農業技術を学んだ後、筑前国女原村に住み、農業の実践・研究・指導に専念。宮崎開などの新田開発も指導しながら、元禄9年(1696)に日本初の体系的な農業技術書『農業全書』を完成させた。墓の近くには執筆当時の書斎も保存されている。県指定史跡。
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福岡城 潮見櫓
潮見櫓は、舞鶴公園の北西の隅にあった櫓。明治41(1908)年に「崇福寺」(博多区千代)に移築され、仏殿として使用されていた。 平成3(1991)年の福岡市の調査で小屋裏から見つかった棟札により、この崇福寺に移築された建物が「潮見櫓」だということがわかり、本来の場所に移築復元した。 復元工事では大切に保管してきた江戸時代当時の部材を使用し、また伝統的な工法を用いている。
のぼり窯体験広場
ウトグチ瓦窯展示館(のぼり窯体験広場)
7世紀後半、九州では最古級のウトグチ瓦窯遺跡をドームで覆って完全保存。 展示館とした施設。当時の瓦窯の様子や瓦の歴史が学習できる。 また復元されたのぼり窯や工房があり、焼物づくりが実際に体験できる。
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早田古墳(そうたこふん)
7世紀頃に作られた直径8m前後の小さな2基の円墳。2号墳の石室はほぼ完全な形で残っています。
吉武遺跡群
吉武遺跡群(よしたけいせきぐん)
国指定史跡。吉武高木遺跡は、早良平野を貫流する室見川中流左岸扇状地(吉武遺跡群)に立地。弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基からなる区画された墓地が検出され、銅剣・銅戈・銅矛の武器、多鈕細文鏡、玉類多数が出土した。このほか古墳、寺院、中世集落なども発見されている。
中津宮古墳
中津宮古墳(なかつぐうこふん)
志賀島に位置する古墳。7世紀前半に築造され、勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であると考えられている。墳丘の規模や形態は不明だが、長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室があり、須恵器、鉄製武器、耳環やガラス玉の装飾品などが出土した。
主基斉田碑
主基斉田跡(すきさいでんあと)
昭和3年11月、京都御所で行われた昭和天皇の即位式で、主基殿に供えられた新米が脇山の石津新一郎が所有したこの斉田より献上された。 全国から選ばれ、古式により田植えから収穫仕上げまで、村(当時の脇山村)を挙げての大行事であった。 この斉田から白米3石(450キログラム)が献上された。
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【パブリックアート】鎌田恵務《ハローアンドグッドバイ》
JR博多駅にほど近い場所にある比恵公園。中央に、高さ4メートルの大きな掌のモニュメントがそびえ立っています。山梨県出身、福岡市在住の作者は、数多くのパブリックアート作品を手掛け、また、障がい者アートのプロデュース活動も行っている彫刻家。 この作品はアジアの玄関口、福岡での出会いや別れが表されているそうです。行き交う人の時間帯、向かう方向によって感じ方が違い、「ハロー」にも見えれば「グッバイ」...
多々良浜古戦場
多々良浜古戦場
京都の合戦で敗れ、九州まで逃れた足利尊氏は、延元元年(1336)宗像大宮司らの援軍を得て、多々良川右岸丘陵に陣どり、肥後の菊池武敏が率いる九州勢の大軍を迎え撃った。 当時、この付近一帯は戦場となり激戦が展開されたところで、戦いは菊池側の松浦、神崎ら諸軍の裏切りから乱軍となり、形勢は尊氏側に傾いた。余勢をかった尊氏は京に上り、室町幕府を築いた。
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福岡城 下之橋御門
城の西側にあり、東側の上之橋御門とともに、城内に入るための門として使用されました。 2000年(平成12年)8月に不審火で半焼しましたが、2008年(平成20年)11月に復元されました。焼失前は一層でしたが、現在の二層の姿が本来のものと考えられています。
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鹿垣(ししがき)
江戸時代、能古島は福岡藩の鹿の猟場で最盛期には約600頭もの鹿がいました。鹿垣は鹿が田畑を荒らさないよう東西約2kmにわたって築かれた石垣で、現在も一部が残っています。なお、鹿は昭和20年頃には全滅し、現在では全く見られません。

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