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稲光弥平顕彰の碑
稲光弥平顕彰の碑(いなみつやへいけんしょうのひ)
那珂川にかかる住吉の参宮橋は、洪水のたびに流失していた。春吉に住む稲光弥平は橋が流される原因を究明して、安政2年(1855)川の中央に人工島を築き、橋をかけて流出を防いだ。この石碑は、昭和6年にその功績を末永く顕彰するため設置されたものである。
石堂地蔵尊
石堂地蔵尊(いしどうじぞうそん)
「刈萱(かるかや)石堂丸物語」発祥の地とされる地蔵堂。「子授け地蔵」や「刈萱地蔵」とも呼ばれている。
枯野塚
枯野塚(かれのづか)
芭蕉の高弟、向井去来(きょらい)が博多に立ち寄ったとき、同門の呑舟(のんしゅう)が書きとめた芭蕉辞世の句を郷土の俳人哺川(ほせん)に贈った。 感激した哺川が折から博多に来た芭蕉の高弟志太野坡(しだ やば)に「芭蕉扇の墓」の揮毫(きごう)を頼み、元禄13年(1700)この句を刻み枯野塚を建立した。県指定の史跡である。
大楠
五所八幡宮(ごしょはちまんぐう)
市内随一の大社で、古くから地域住民に親しまれています。 創立は史料の焼失などで明らかではありませんが、残っている棟札には明応2年(1493年)との記載があり、歴史の古さを物語っています。 また、境内にある大楠のこぶをよく見るとあの有名な妖精「ムーミン」そっくりだということが発見されました。この不思議な偶然は大反響を呼び、今では全国からファンが見学に訪れる名所です。
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善導寺
縁起によると、鎮西聖光上人(ちんぜいしょうこうしょうにん)が建暦(けんりゃく)2年(1212)善導大師像(ぜんどうたいしぞう)を本尊として建立したとされているが、「筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)」では広誉上人(こうよしょうにん)が筑後の善導寺(ぜんどうじ)再興ののち、文明(ぶんめい)9年(1477)に建立したと記している。後土御門(ごつちみかど)天皇のとき(1465~1500)...
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伊都国歴史博物館(いとこくれきしはくぶつかん)
中国の歴史書「魏志倭人伝」に記された古代王国「伊都国」をメインテーマとし、市内の遺跡から出土した数多くの貴重な文化財や歴史資料を収蔵・展示している。中でも、世界最大の銅鏡「内行花文鏡」をはじめとする国宝「平原遺跡出土品」は必見。館内には、旧石器時代から現代まで学べる常設展示室や、広大な糸島平野を見渡せる展望スペース、文化財を分かりやすく紹介する映像スペースなどがある。
本堂
圓應寺
浄土宗の寺院。山号は照福山。 慶長7年(1602)4月、福岡藩祖黒田如水(黒田官兵衛孝高)の正室照福院殿(光姫)が開基となり創建。 天蓮社真誉見道を開山に招請。黒田家の菩提寺とした。 照福院殿墓碑は福岡大空襲により崩れたため1980年(昭和55年)に再建立。題字は第25-28代福岡市長進藤一馬の書。 歴代上人の口伝によると、戦前の墓石内には照福院殿の毛髪も納められていたといわれる。 黒田六代...
五郎山古墳と古墳館
五郎山公園(ごろうやまこうえん)
国指定史跡・五郎山古墳を有する公園。歴史性や郷土性を強調し、豊富な自然樹木を活かしてつくられた。水辺の広場、林の広場、遊びの広場、桜の広場など特色あるゾーンが広がる。野外実習教育にも活用されている。
若八幡宮古墳
若八幡宮古墳(わかはちまんぐうこふん)
若八幡宮神社内にある前方後円墳。福岡市指定の史跡で、4世紀後半の築造と考えられている。墳長47m、後円部三段、前方部二段の築成で、墳丘には葺石を施し、埋葬主体部は長さ2.75m、幅1.2mの舟形木棺で、後円部中心に掘られた径13m前後の円形墓壙の中に古墳長軸と直交して埋置。棺内外には三角縁神獣鏡、玉類、鉄製武器類、鉄製短甲などを副葬している。
中津宮古墳
中津宮古墳(なかつぐうこふん)
志賀島に位置する古墳。7世紀前半に築造され、勝馬を拠点とした海人集団の首長の墓であると考えられている。墳丘の規模や形態は不明だが、長さ2.75m、幅1.65mの竪穴系石室があり、須恵器、鉄製武器、耳環やガラス玉の装飾品などが出土した。
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渡唐口跡・鏡天満宮
博多は、古くから海外との貿易を行い繁栄してきた商人の町。中世の博多は、今よりずっと海が内陸に入り込み、大きな船が接岸できた。 渡唐口には、大陸と行き来した船が接岸し、貿易で財を成し得た商人・博多豪商が生まれ、博多の街を闊歩していた。遣唐使もここから旅立った。 また、鏡天満宮は、延喜元年(九〇一年)讒言によって太宰府の権帥に左遷配所された菅原道真公が、 博多に上陸した際の御休息の時、「海路...
地蔵松原元寇防塁
地蔵松原元寇防塁(じぞうまつばらげんこうぼうるい)
貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。
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西南学院大学遺跡元寇防塁
校舎の新築にともなう調査で新たに確認された防塁を移築,復元したものです。
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川上音二郎生誕地
元治元年(1864)博多の商家に生まれ、自由民権の書生芝居で世の中を風刺したオッペケペー節で活躍した。外国でも日本劇を演じ、劇作をするなど新派劇の創始者となり、貞奴(さだやっこ)夫人とともに演劇史上に大きな功績を残した。 川端通商店街入り口には,川上音二郎像がある。
百閒石垣
百間石垣(ひゃっけんいしがき)
百間石垣(国指定特別史跡)は、全長約180mの大野城跡最大の石垣です。内部まで石を積めた「総石垣」構造となっています。石垣の一部では隙間があり、そこから水が流れていることから、これも水門の一部と考えられています。
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福岡城(伝)潮見櫓
大正時代に旧黒田家別邸に移築された櫓が潮見櫓として伝わり、その後、城内の下之橋御門横に再移築されました。 近年の調査で別の建物が潮見櫓であることが明らかになったため、(伝)を付けて呼ばれるようになりました。三の丸の北西隅に位置していた本来の潮見櫓は、現在福岡市により復元整備が進められています。
資料室
志免町歴史資料室
志免町民センター(生涯学習2号館)にある歴史資料室。七夕池古墳の出土品を中心に、町内で出土した土器や鉄器類を展示しています。また昭和30年代まで石炭産業で栄えた志免町の歴史を物語る炭鉱関係の道具なども展示されています。
蒙古碇石
筥崎宮境内蒙古碇石(はこざきぐうけいだいもうこいかりいし)
蒙古船の碇として使用された碇石。全長222cm、推定重量250kgの凝灰質砂岩製で、中央部が最も広く、両端がやや狭くなり、表面に粗い加工痕がある。昭和15年、博多港中央埠頭北東100mの水深5.5mで発見され、これを含め9点が「蒙古碇石」として県指定文化財(考古資料)に指定されている。

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