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善導寺
縁起によると、鎮西聖光上人(ちんぜいしょうこうしょうにん)が建暦(けんりゃく)2年(1212)善導大師像(ぜんどうたいしぞう)を本尊として建立したとされているが、「筑前国続風土記(ちくぜんのくにしょくふどき)」では広誉上人(こうよしょうにん)が筑後の善導寺(ぜんどうじ)再興ののち、文明(ぶんめい)9年(1477)に建立したと記している。後土御門(ごつちみかど)天皇のとき(1465~1500)...
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火焔塚
弘安4(1281)年の元寇の際、高野山の僧侶一行が護摩を焚き、博多湾に侵攻した蒙古軍の降伏を祈祷したといわれている場所。蒙古軍が退散し、一行が帰るとき、不動明王の火焔形をこの地にとどめたため、火焔塚と呼ばれるようになったと伝えられている。潮見公園から志賀海神社に下る途中にある。
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福岡城 表御門跡
1918年(大正7年)に黒田家の菩提寺である崇福寺に移築され、現在も同寺の山門として使用されている。
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在自唐坊跡展示館(あらじとうぼうあとてんじかん)
12世紀に日宋貿易が行われていたころ中国から来た人の住んでいた場所の遺跡。 津屋崎小学校の校舎の中にあります。 福津市教育委員会文化財課に電話して日程調整を行ってからお越しください。
怡土城跡の石碑
怡土城跡(いとじょうあと)
福岡市との境にそびえる高祖山にある大規模な山城跡。天平勝宝8年(756)に造られ、礎石や高さ4~5mにおよぶ土塁を残している。城跡全体が国の史跡となっている。築城の際に鎮守神として祭られた高祖神社があり、春と秋の年2回、県の無形民俗文化財に指定される高祖神楽が奉納されている。
名島帆柱石
名島帆柱石(なじまほばしらいし)
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。 香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。 波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。
誓願寺
誓願寺(せいがんじ)
真言宗御室派で、山号は登志山。怡土荘の中原氏の娘の発願で、安元元年(1175)に栄西を招いて創建された。怡土荘は山城仁和寺領で、仁和寺ゆかりの僧である栄西は今津湾を臨むこの寺に10余年間滞留し、宋船のもたらす経典の入手に努めた。栄西自筆の盂蘭盆縁起は国宝に指定されている。銭弘俶八万四千塔や、孔雀文沈金経箱は、国指定の重要文化財。
吉武遺跡群
吉武遺跡群(よしたけいせきぐん)
国指定史跡。吉武高木遺跡は、早良平野を貫流する室見川中流左岸扇状地(吉武遺跡群)に立地。弥生時代前期末〜中期初頭の金海式甕棺墓・木棺墓等11基からなる区画された墓地が検出され、銅剣・銅戈・銅矛の武器、多鈕細文鏡、玉類多数が出土した。このほか古墳、寺院、中世集落なども発見されている。
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光正寺古墳(こうしょうじこふん)
国指定特別史跡に指定されています。町の北西部に位置し、3世紀後半に築かれた郡内最古で最大の前方後円墳(全長約54m、後円部径約34m、前方部長20mで前方部2段築成、後円部3段築成)で、邪馬台国時代の不彌国(ふみこく)の王墓ではないかともいわれています。
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梅岳寺(ばいがくじ)
立花山のふもとにあり、立花城主立花道雪とその母の墓がある。もとは花谷山神宮寺と称したが、母の法名と道雪の姓から立花山梅岳寺養老院と改称。境内全域が県の史跡で、県指定文化財の本堂のほか多数の木像がある。
六所神社
六所神社の大樟(ろくしょじんじゃのおおくす)
六所神社の境内には樹齢800年を超える樟の大木が2本ある。 幹周は、それぞれ8.5mと7.5m。樹高は、28mと39m。 日本最古の戸籍(大宝2年)肥君猪手一家が住んでいた川邊里(かわべり)もこの地域と言われている。昭和35年県指定天然記念物。
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永福寺(えいふくじ)
曹洞宗の寺で明治の初め頃まで神宮寺と呼ばれていました。境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(たたら よしお)の歌碑や、戦後すぐに遭難し28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑、二八観音などがあります。
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一貴山銚子塚古墳(いきさんちょうしづかこふん)
JR一貴山駅の東方500mほどの丘陵地にあり、全長103mの前方後円墳。 竪穴式石室で、古墳時代前期(4世紀後半)のものとみられる。 白銅鏡10面や刀剣、勾玉などが出土し、現在は京都大学総合博物館に保管されている。国指定史跡。
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鹿垣(ししがき)
江戸時代、能古島は福岡藩の鹿の猟場で最盛期には約600頭もの鹿がいました。鹿垣は鹿が田畑を荒らさないよう東西約2kmにわたって築かれた石垣で、現在も一部が残っています。なお、鹿は昭和20年頃には全滅し、現在では全く見られません。
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観世音寺(かんぜおんじ)
天智天皇の発願により、80年の歳月をかけて建立され、かつては西国随一の官寺として栄えた。 日本最古の国宝の梵鐘と、宝蔵に安置された巨大な仏像群は必見。
赤間宿跡
赤間宿跡(あかましゅくあと)
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。 都落ちした三条実美らが投宿し、本陣からの眺望を絶賛したと言われる。現在でも白壁、格子造りの家並みが続き、辻井戸なども残っており、江戸時代の面 影を今に伝えている。
資料室
志免町歴史資料室
志免町民センター(生涯学習2号館)にある歴史資料室。七夕池古墳の出土品を中心に、町内で出土した土器や鉄器類を展示しています。また昭和30年代まで石炭産業で栄えた志免町の歴史を物語る炭鉱関係の道具なども展示されています。
菊池神社
菊池神社(きくちじんじゃ)
明治2年(1869)に神殿と拝殿を建立。祭神は菊池武時・埴安命・大鷦鷯命。武時は元弘3年(1333)に最後の鎮西探題・北条英時を攻めて敗死した鎌倉末期の武将である。馬上の武時の首が落ちた所が六本松の首塚で、胴が落ちたのが七隈の胴塚という伝えがあり、首塚と伝えられた旧鳥飼村馬場頭(中央区六本松三丁目)にも菊池霊社が建てられている。毎年7月に夏越祭り、11月に菊花大祭が催される。

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