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五郎山古墳と古墳館
五郎山公園(ごろうやまこうえん)
国指定史跡・五郎山古墳を有する公園。歴史性や郷土性を強調し、豊富な自然樹木を活かしてつくられた。水辺の広場、林の広場、遊びの広場、桜の広場など特色あるゾーンが広がる。野外実習教育にも活用されている。
八雲神社
八雲神社(やくもじんじゃ)
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(祇園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
左谷山建正寺しだれ桜
左谷山建正寺(さたにやまけんしょうじ)
平安時代に開かれた天台宗系の寺院で、伝教大師最澄が創建したと伝えられている。 本尊の十一面観音像は平安後期の作で、県の指定文化財。毎年4月の第1日曜日は十一面観音の開帳日でたくさんの参拝客でにぎわう。
今も祭礼を受け持つ「川端飢人地蔵」
川端飢人地蔵(かわばたうえにんじぞう)
享保の飢饉の犠牲者は、筑前国内で死者10万人とも言われている。 飢饉で亡くなった人を祀る市内各所の飢人地蔵のひとつで、博多川沿いにまつられている。おにぎり地蔵や味噌食い地蔵など、各地域の人が今も祭礼を受け持つ。 毎年、8月23日、24日には供養祭が行われている。
名島神社
名島神社と名島城跡
九州を平定した豊臣秀吉が、小早川隆景に命じて、天正16年(1588)から修築し、九州監察の拠点とした。 慶長5年(1600)黒田長政が入城したが、福岡城を築いてからは廃城となった。 また、神社は当初、山上にあったが、隆景が修築のとき、本丸下の現在地に移されたものである。
丸隈山古墳
丸隈山古墳(まるくまやまこふん)
墳長85m、高さ8mの前方後円墳。高祖山から北にのびる丘陵端にある。墳丘斜面には葺石があり、墳頂部と段テラスの三段に円筒埴輪がめぐっていて、石室内からは鏡や匂玉、鉄刀などの副葬品が出土した。5世紀前半の築造で、今宿平野のみならず糸島平野全体を掌握した首長の墓と考えられている。国指定史跡。
梅林古墳
梅林古墳(うめばやしこふん)
5世紀後半に造られたとされる、墳長27mの小型の横穴式前方後円墳。墳丘は二段築成で、須恵器、土師器などのほかに鉄斧、鉄刀子、鞍金具、ガラス製管玉などが出土した。昭和63年に発掘調査が行われたのち、埋め戻され、現在は公園となって、子どもたちの遊び場となっている。入口には説明板が設置されている。
大塚古墳
大塚古墳
高祖山山麓の丘陵上にある前方後円墳。古墳の全長は64m、高さ6.5m、6世紀前半に造られたと考えられている。保存されている墳丘、同濠、外堤の規模は北部九州屈指。昭和52年に保存整備のため調査されたが、埋葬施設は未調査のため不明。
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新原・奴山古墳群(しんばる・ぬやまこふんぐん)
日本の世界遺産国内推薦となった国道495号線を挟んだ5~6世紀の古墳群。 宗像君(むなかたのきみ)一族の墓と考えられ、学術的にも重要なもの。 前方後円墳5基を含む41基が畑の中に分布しており、比較的見学しやすい。 調査された古墳からは、鉄のよろいや鉄を作る道具、飾りがつけられた土器などの史料が出土した。
那珂八幡古墳
那珂八幡古墳(なかはちまんこふん)
墳長75m以上、高さ8mの前方後円墳で、福岡市の指定史跡。古墳時代初期に築かれたものとされている。墳丘は地山整形と盛土からなり、周囲には鍵穴形に周溝がめぐらされている。内部主体は後円部の中央に2基あり、第1主体は未調査、第2主体は長さ2.3mの割竹形木棺の直葬で、三角縁神獣鏡と玉類が出土した。福岡平野の首長墓の系譜では最古に属するものとされている。
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円覚寺
円覚寺は、寛元4年(1246年)大覚禅師(蘭渓道隆)が宋より大宰府へ来朝した際、時の鎌倉幕府五代執権・北条時頼が大伽藍を矢倉門(現在の祗園町)に創建しました。しかし、時の戦乱・兵火により寺院の全てを焼失してしまいます。 その後、寛永13年(1636年)に聖福寺の境内に基礎を移転して再建し、聖福寺の塔頭寺院となりました。 この円覚寺は、福岡藩士立花実山直筆の「南方録」が伝承されており、南方...
大野城跡航空写真
大野城跡
太宰府市・大野城市・宇美町の2市1町にまたがる四王寺山にあります。山全体を全長約8kmに及ぶ土塁(一部は石垣)で囲んだ日本最古の古代山城です。665年に大宰府政庁防衛施設の一つとして築かれました。築造には百済亡命貴族の指導があったと記録されています。山城の中には礎石建物跡(約70棟)や城門跡(9箇所)確認されており、当時の城の様子をみることができます。また「日本名城100選」にも選ばれており...
整備後の山ノ鼻1号墳
山ノ鼻1号墳
古墳時代(4世紀)に造られた、長さ約37mの前方後円墳です。JR筑肥線「九大学研都市駅」や「さいとぴあ(福岡市西部地域交流センター)」のすぐ南側にあります。平成27年に古墳周辺の整備を行い、現在古墳公園としてオープンしています。古墳の上には、新たに盛土を行って保護し、盛土のすそにめぐらした縁石で古墳本来の形を表現しています。盛土の上には説明板が置かれています。
勝立寺
勝立寺(しょうりゅうじ)
慶長(けいちょう)8年(1603)、京都妙覚(みょうかく)寺の唯心院日忠(ゆいしんいんにっちゅう)は、布教のため博多に来て、妙典寺(市内博多区)でキリスト教神父と宗教問答を行い、勝った。 初代藩主黒田長政は、日忠にキリスト教の土地を与え寺を建てさせて、問答勝利にちなみ勝立寺と名付けさせた。
百閒石垣
百間石垣(ひゃっけんいしがき)
百間石垣(国指定特別史跡)は、全長約180mの大野城跡最大の石垣です。内部まで石を積めた「総石垣」構造となっています。石垣の一部では隙間があり、そこから水が流れていることから、これも水門の一部と考えられています。
名島弁財天社
名島弁財天社
承和(じょうわ)年間(833~850)に天台宗慈覚大師円仁(てんだいしゅうじかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。 豊臣秀吉は九州征伐の際当社に詣で、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて、九州の守護として名島城を築かせた。その折、隆景は堂を修築して城の鎮守とし、その後、歴代藩主の崇敬を受けた。 明治維新の神仏分離で、弁天社は名島神社となり、弁天社はこの地に祭られるようになった...
大日堂
大日堂(だいにちどう)
旧早良郡脇山村池田にある大日堂は、背振山東門寺の別院跡に、大村兵庫助、多々良興景という士によって天文年間(1532~1555)に建立された。貝原益軒の『筑前国続風土記』以来、近世の地誌類にも紹介されている。この堂に安置されている本尊の木造大日如来座像は、高さ130.5cm、檜材の寄木造りで、前面漆箔を施し、背面は漆仕上げで造られている。市指定の文化財。
外観
奴国の丘歴史資料館
春日市には須玖遺跡群という今から1800~2000年ほど前の弥生時代に隆盛をきわめた遺跡があります。この遺跡は金印を授かった奴国の王都で、出土したすばらしい品々の多くは、奴国の丘歴史資料館に保管され、一部展示されています。歴史資料館でレンタサイクルを借りて、弥生時代の遺跡や、古墳などを巡って古代のロマンにひたってみてはいかがでしょうか?

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