観光・体験
Sightseeing & Activity


祭神は海洋の神である、底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神。この地は海人を統率した古代の有力氏族・阿曇氏発祥の地です。神社内の万葉歌碑にも詠まれたように、古来より海上の守護神として崇拝されてきました。神社には国指定重要文化財の朝鮮製鍍金鐘、県指定文化財の細形銅剣鋳型を所蔵し、境内には石造宝篋印塔があります。また、歩射祭、山誉祭、神幸神事は、県の無形民俗文化財に指定されています。

東区、糟屋郡新宮町、久山町の境にある立花山(標高367m)に築かれた南北朝~戦国時代の山城。豊後・大友氏の拠点で、元徳2年(1330)に大友(立花)貞載が築城した。7世の鑑載が大友宗麟に背いたため、戸次鑑連(道雪)がこれを攻めて入城し、立花氏を称するようになった。天正14年(1586)、その子の統虎(宗茂)は九州征覇のために北上して来た島津氏とここで戦い守り抜き、のちに豊臣秀吉から柳川の城主...

祭神は綿津見神。境内には大日堂と虚空蔵堂があり、ここに祀られた木造の不動明王立像・吉祥天立像・如来形立像・伝虚空蔵菩薩立像・伝薬師如来座像の5躯が、「綿津見神社仏像群」として市有形文化財に指定されている。この内、如来形立像と菩薩立像は、11世紀あるいは14世紀に海中から引き揚げられたとの言い伝えがある。神社裏からは玄界灘を眼下に見下ろし、西に志賀島、北に相ノ島を望むことができる。

宇佐・石清水と並ぶ日本三大八幡のひとつ。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。延長元年(923)、穂波郡大分八幡宮から遷座したのが創建。この地は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から対外交易の基地として賑い、その後も元冦の戦場など多彩な歴史に彩られている。本殿、拝殿、楼門、一ノ鳥居、石燈籠など多くの国指定重要文化財が存在する。「玉せせり」や「放生会大祭」などの祭りには多くの人々が訪れる。

荘厳寺は、志賀島渡船場から徒歩で約6分の場所にあり、歴史がある禅宗のお寺です。縁結びのお寺としても有名で、お寺から見下ろす博多湾の眺めは最高です。また、お寺の行事が無い日には、坐禅体験、抹茶体験、写経体験(有料)も行われており、海外からのお客様にも大変満足いただいています。※坐禅体験、抹茶体験、写経体験については、当日現地にてご確認ください。
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明太子の老舗・味のめんたいこ「ふくや」が展開する博多の食と文化の博物館「ハクハク」。
博多名物として親しまれている明太子の工場見学はもちろん、明太子の試食や、明太子づくりの体験もできます。
ショップコーナーでは、ふくやではハクハクでしか購入できない「できたて生明太子」を販売しています。(販売日限定、詳しくはHPをご確認ください)
様々な展示や体験コーナー、博多の名産品やレアアイテムも揃...

京都の合戦で敗れ、九州まで逃れた足利尊氏は、延元元年(1336)宗像大宮司らの援軍を得て、多々良川右岸丘陵に陣どり、肥後の菊池武敏が率いる九州勢の大軍を迎え撃った。
当時、この付近一帯は戦場となり激戦が展開されたところで、戦いは菊池側の松浦、神崎ら諸軍の裏切りから乱軍となり、形勢は尊氏側に傾いた。余勢をかった尊氏は京に上り、室町幕府を築いた。

志賀島の玄関口、鳥居のふもとにあるレンタサイクル&カフェ。
Bianchi、TREK、Cannondale社のクロスバイクやマウンテンバイクなど、スポーツバイクを中心に取り揃えています。
ぐるりと島を一周するもよし、海の中道や雁の巣まで足を伸ばしてみるのも◎
[料金]
クロスバイク 2,500 円、マウンテンバイク 2,000 円/ 3 時間
※延長 30 分 ごとに 500 円、...

大神神社境内と、現在の高見台南公園に分布する3基の円墳群。神社拝殿西横の1号墳は横穴式石室の玄室が残り、公園緑地内にある3号墳は墳丘径20m、内部主体全長7.3mの横穴式石室。現在も形のよい墳丘と石室が残されている。石室からは須恵器と土師器が出土し、この古墳群では一番最初の6世紀末、造られたものと考えられている。

2011年に創立百周年を迎えた九州大学に付設している総合博物館。
研究や教育の過程で収集されたり用いられたりした膨大な学術資料や教育資産を管理。
そのごく一部の実物を、1930(昭和5)年に竣工された歴史的建物の3階にある常設展示室で見ることが出来る。
公開講演会や企画展示、子ども向けのワークショップなどもしばしば開催。特に、年に数回開催される、収蔵展示室の一般公開や、古い施設を使った...

ここは、神功(じんぐう)皇后の新羅遠征で功績のあった武内宿彌(たけのうちのすくね)が、香椎在陣中に居住したと伝えられている。宿彌は300歳までも生きたという伝説の人である。
近くの不老水は宿彌の長寿にちなんだもので、以前は香椎宮の綾杉(あやすぎ)の木と共に皇室に献上されていた。不老水は長寿の神秘を物語るように、汲めどもつきぬ水を湧かせている。

志賀島といえば金印発見の地。「休暇村志賀島」の敷地内にある「志賀島ビジターセンター」では、金印の模型などの考古資料をはじめとし、志賀島の歴史、自然、生き物を紹介。島の木の実などを使ってものづくりを体験できるワークスペースも。志賀島に遊びに行ったらぜひ立ち寄ってみよう。

貝塚駅の南南東約300m、JR鹿児島本線を挟み、東西にある元寇防塁。箱崎地区は薩摩藩が分担して防塁を築いたという記録があり、現在は一部土塁状の高まりが残っている。平成5年に試掘調査を行った際は、防塁構築石材が出土した。東側の多々良川河口には乱杭を打ったといわれている。線路西側の地蔵松原公園に説明板が建っている。

東を除く三方を海に囲まれた戦国時代の平山城。東西840m、南北280~400mの規模で、北に本丸、南に二の丸、三の丸を配し、海水を引き込んだ堀割と空堀で周囲を防御していた。天文年間(1532~1555)に立花城主・立花鑑載が支城として築造したとされ、天正15年(1587)に小早川隆景が大改修を行なった。初代福岡藩主・黒田長政も初めはここを居城としたが、城下町の発展に不便な土地であることから、...

承和(じょうわ)年間(833~850)に天台宗慈覚大師円仁(てんだいしゅうじかくだいしえんにん)が開いたと伝えられている。
豊臣秀吉は九州征伐の際当社に詣で、小早川隆景(こばやかわたかかげ)に命じて、九州の守護として名島城を築かせた。その折、隆景は堂を修築して城の鎮守とし、その後、歴代藩主の崇敬を受けた。
明治維新の神仏分離で、弁天社は名島神社となり、弁天社はこの地に祭られるようになった...

多々良川河口に架かる名島橋は、1933年にそれまでの板橋を改修してつくられた近代的な橋です。
全長204m、幅24m、7連のアーチからなる橋は当時としては大規模なもので、今でも膨大な交通量を支えています。

文永・弘安の役(1274・1281年)で戦死した蒙古兵士の供養のために建てられたもの。昭和2年に建設された石碑で、裏には7基の板碑がある。また張作霖書による「蒙古軍供養塔賛」の碑も建てられている。海を隔てた向こうには、今津の美しい白砂を見ることができる。