博多旧市街エリア(歴史と伝統工芸にふれるコース)

博多旧市街には、「弘法大師(空海)が日本で最初に創建したお寺」、「日本最初の禅寺」、ユネスコ無形文化遺産にも登録された福岡を代表するお祭り「博多園山笠」にゆかりのある寺社、国の重要文化財を所蔵するお寺など、歴史的・文化的に価値がある場所が多数あります。
また、「博多織や博多人形」など、今もなお新しい技術や手法、素材との出会いを重ねて進化を続けている伝統工芸品の数々を見学したり、実際に体験できる施設もあります。博多が世界に誇る歴史や伝統工芸品、また受け継がれてきた博多っ子の粋と美を体感してみませんか。

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Start

櫛田神社

目安の滞在時間:30分

櫛田神社
博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。祭神は大幡主命(櫛田宮)・天照皇大神(大神宮)・素盞嗚尊(祇園宮)。社伝によれば天平宝字元年(757)、孝謙天皇の御代に伊勢松坂の櫛田神社を勧進して創建したとされています。天正15年(1587年)の豊臣秀吉が博多復興にあたり、社殿の建立寄進がなされました。当社に奉納される博多祇園山笠は、博多の夏の風物詩として全国的にも有名。境内には御神木の「櫛田の銀杏」が葉を繁らせ、その根元には2点の蒙古碇石があります。
徒歩で約10分

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「博多町家」ふるさと館

目安の滞在時間:30分

「博多町家」ふるさと館
博多に来たなら、博多文化をに触れてみんしゃい!博多を代表する観光名所の一つ「博多町家」ふるさと館。博多の総鎮守・櫛田神社向かいにあるここは、なつかしい博多の暮らしと文化を楽しく紹介する施設です。明治時代の町家を中心に、展示棟では博多祇園山笠の迫力満点の動画をはじめ、博多弁講座や、古き良き時代の博多の風俗を博多人形で楽しめます。博多の伝統工芸も実演しています。                                                               ぜひ、お立寄りください!!                                                                               
徒歩で約8分

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博多千年門

目安の滞在時間:15分

博多千年門
博多千年門は、博多を訪れた観光客を歴史的文化財が多く残る寺社町エリアへと導くウエルカムゲートです。博多の繁栄を願う地域住民、地元企業、行政が一体となって建設に取り組み、平成26年3月に完成しました。名称は公募で決定。博多のこれまでの千年の重みとこれからの千年の繁栄を願ったものとなっています。 歴史的文献によれば、博多から大宰府政庁へ延びる官道には、江戸時代に「辻堂口門(つじのどうぐちもん)」と呼ばれる博多の入り口となる門が存在していました。博多千年門は、かつての「辻堂口門」にならった木造の四脚門様式で、切妻本瓦葺(きりづまほんかわらぶき)、中世博多の寺社様式が採用されています。また、門扉の板材には太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を用い、欄間の彫刻には博多織の献上柄模様が刻まれています。
徒歩で約5分

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承天寺

目安の滞在時間:30分

承天寺
臨済宗東福寺派で、山号は萬松山。開山は聖一国師(円爾弁円)によるもの。仁治3年(1242)宋出身の貿易商・謝国明が創建し、寺蔵の釈迦三尊像(鎌倉時代)、禅家六祖像(鎌倉時代)、銅鐘(高麗時代)は国の重要文化財に指定されています。昭和50年(1975)、韓国の新安沖海底引揚げの沈没船から承天寺の塔頭のひとつである釣寂庵の銘のある木簡が発見され、中世における承天寺の対外貿易への関与が証明されました。さらに、博多織の祖として伝えられる満田弥三右衛門の記念碑や、延宝2年(1674)に博多の商家・谷宗理が桜井神社(現在の糸島市)から買い取って、承天寺に寄進・建立した鐘楼もあります。 ◆◆◆饂飩蕎麦発祥之地の碑(うどんそばはっしょうのちのいしぶみ)◆◆◆承天寺開山の祖・聖一国師は嘉禎元年(1235)に宋へ渡り、艱難辛苦の末に禅の大法を修め、仁治2年(1241)に帰国。この時、仏法の教義以外にも、さまざまな宋の文化を我が国へ伝えた。その代表的なものが、うどん・そば・羊羹・饅頭などの製法であります。 ◆◆◆博多山笠発祥之地の碑(はかたやまかさはっしょうのちのいしぶみ)◆◆◆博多祇園山笠は福岡市を代表する祭りで、現在は博多区の櫛田神社を中心に行われています。その起源には仁治2年(1241)博多に疫病が流行した時、国師が施餓鬼棚に乗り、それを棒で担がせて祈祷して廻り、病魔を退散させたことに由来するとの説がある。したがって、今日でも承天寺の門前に清道を設けて山笠が巡るのは、その言い伝えによるものとされています。
徒歩で約4分

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東長寺

目安の滞在時間:30分

東長寺
真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にありましたが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移り、黒田家により300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓があり、現在は市指定の史跡にもなっています。 寺蔵の千手観音菩薩は平安時代の作で、槙材一木に彫られています。高さ約82cmの小像であるにもかかわらず、重量感に満ちた仏像で、国の重要文化財の指定を受けています。 ◆六角堂(ろっかくどう)◆輪蔵と覆屋からなる六角堂は形態的・機能的に優れた仏殿で、市指定の建造物。天保13年(1842)に博多在住の豊後屋栄蔵(万歳楼袖彦)が、名古屋以西の商人より財を募って名古屋の堂宮大工・伊藤平左衛門を招いて建立・寄進した。中の六角形の厨子扉には、当時の文人・墨客の書画を蔵している。開帳は毎月28日。 ◆福岡大仏(ふくおかだいぶつ)◆昭和63年(1988)より彫刻が始まり、4年の歳月を経て完成。高さ10.8m、重さ30t。木造(檜)坐像では、日本一の大きさの大仏である。16.1mの高さをもつ光背は7仏や13仏も彫られ、後壁面には5000もの小仏が祀られている。その横には宝物展示室もある。
徒歩で約6分

5

聖福寺

目安の滞在時間:30分

聖福寺
臨済宗妙心寺派で、山号は安国山。建久6年(1195)に千光祖師・栄西禅師の開山、源頼朝公の開基。博多居住の宋人・百堂跡に創建され、山門の扁額『扶桑最初禅窟』は後鳥羽上皇の宸筆で、「日本最初の禅寺」という意味。六祖大鑑禅師像などの国指定重要文化財を所蔵し、禅寺の伽藍配置をよくとどめる境内は国指定の史跡となっている。文化・文政期の仙厓和尚はユニークで、含蓄に富んだ書画によって衆生済度した名僧として有名だ。仏殿には慧心僧都作の三世仏(さんせぶつ)を奉安。佛殿の内部を拝観すると、中央須彌壇の上に釈迦・弥勒・阿弥陀の三世仏(さんせぶつ)が鎮座し、世俗を離れた厳かな空間が構成されている。 山門(さんもん)現在の聖福寺の山門は、初代・岩崎庄三郎の設計施工で、明治44年(1911)に完成。正面三間、側面二間、重層の入母屋造、本瓦葺で、高い基壇上に建つ。正面と背面は吹き放しで、正面中央に後鳥羽上皇の勅額「扶桑最初禅窟」が掲げられている。二階内部には、山崎朝雲作の十六羅漢像と仏師・高田又四郎作の千手観音像を安置しており、中央鏡天井の龍は冨田渓仙が描いたもの。全体に均整が取れ、禅宗の山門らしい風格をたたえている。 博多塀(はかたべい)豊臣秀吉が九州を平定する頃、博多の町は毛利・大友・島津などの諸勢力による相次ぐ合戦で荒廃していた。「博多塀」とは、その焼け跡に残った石や瓦を埋め込んで作った土塀のこと。御供所通り側は上塗りにより見えないが、境内側は禅宗様式の形態をとどめ、周囲の歴史的建造物や樹木の豊かな緑と一体となって、歴史を感じさせる美しい景観を形成している。現在ではここ聖福寺を含め、わずかしか残っておらず、希少価値の高いものとして大切に保存されている。
徒歩で約5分

Goal

妙典寺

目安の滞在時間:30分

妙典寺
永徳元年(1381)、本成院日円上人が柳川に建立。立花宗茂の家臣であった薦野(こもの)増時が当地に移転させ、立花家の菩提寺とした。慶長8年(1603)4月25日、京都妙覚寺の僧であった日忠は、当地においてキリスト教の布教に努めていたイルマン(宣教師)の旧沢らと宗論を行なった。これが「石城問答」で、宗論に勝った日忠は初代福岡藩主・黒田長政から教会の地を与えられ、正興山勝立寺(中央区天神4丁目)を建立した。

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