新元号「令和」の幕開けに、福岡・太宰府「令和」スポットを巡ろう!【その2】
2019年4月26日令和ゆかりの地「太宰府」観光の後は、万葉歌碑を巡る福岡の旅へ
筑紫万葉のふるさとといわれる太宰府に残されているだけでなく、福岡市の文化財として点在する万葉歌碑。約4500首の歌が収められた『万葉集』には、天皇・皇族・貴族をはじめ、防人や農民など、さまざまな人々が詠んだ歌が集まっています。
玄界灘に面した福岡市においても、島や地域に暮らす人々の生活を描いた歌碑が数多く残されています。日本・福岡の豊かな文化、伝統を感じとれるそれらの場所を訪ね歩いてみるのも、味わい深いもの。
福岡市内で万葉集にちなんだ史跡&観光スポットをご紹介します。
①福岡市博物館
福岡の歴史・文化観光の拠点の一つである福岡市博物館。国宝「金印」や黒田官兵衛を藩祖とする黒田家ゆかりの展示コレクションなど、福岡を感じる見どころが満載。
出土品や書物を通じて、元号以前から続く暦の変化を紹介し、「令和」の典拠となった万葉集の序文も展示しています。
福岡市博物館
寄り道したい!最寄りの観光スポット「シーサイドももち海浜公園」
福岡タワーやヤフオクドームなど、福岡のシンボルが集まるエリア。散策がてら歩いて行ける百道浜の夕景もロマンチック。
シーサイドももち海浜公園
②博多湾に浮かぶ2つの島「志賀島」「能古島」
山上憶良が詠んだといわれる歌碑がある「志賀島」(東区)をはじめ、香椎宮へ参拝した際に大伴旅人などが詠んだ三首の歌碑がある「香椎潟」など、志賀島だけでも10の万葉歌碑が集中。博多湾を挟んで、志賀島の南側に位置する「能古島」(西区)や市内の歌碑を含めると約20の歌が福岡市で詠まれています。
大宰府で多く詠まれた「官の歌」に対し,海に面した場所ならでは、島やまちでは庶民の暮らしを詠んだ「民の歌」が多いのも福岡市に見る万葉歌碑において興味深いポイントです。
能古島と志賀島にある双子万葉歌碑(山上憶良)
志賀島「大船に小船引きそへかづくとも 志賀の荒雄にかづきあはめやも」(巻16・3869)
「たとえ大船に小船を加えて多くの人々が海に潜ったとしても、志賀の荒雄に潜りあえるだろうか、いや、会えはしない。」
この歌は、大宰府が対馬の防人へ食料を送る際、船の舵取りとなった宗形部津麻呂に代わって出航し、途中の暴風雨により帰らぬ人となった志賀の荒雄(漁師)にまつわる歌。夫を失った妻子の心の痛みを、筑前守の山上憶良が詠んだと伝えられています。
能古島「沖つ鳥 鴨とふ小舟の 還り来ば 也良の崎守 早く告げこそ」(巻16・3866)
「沖にいる鳥、鴨という名前の船が帰ってきたら、也良(能古島の北端にある也良岬)の防人よ、早く伝えてくれ。」
一方、「のこのしまアイランドパーク」に隣接する道に立つこの歌碑もまた、海で遭難し帰らぬ人となった志賀の荒雄にちなんで、山上憶良が詠んだといわれる歌。子どものことを想った歌など庶民の生活に寄り添った視点で詠まれており、山上憶良の人柄が伝わってくるかのようです。
せっかくなら、福岡のリゾート地「志賀島」を満喫♪
博多湾の入り口にある「志賀島」は、砂州により本土と陸続きになった島。車、電車、バスで海の中道(志賀島と九州本土をつなぐ砂州)を通る陸ルート、船で博多ふ頭から渡る海ルートがあり、いずれのルートも福岡市内から手軽に行くことができます。
ダイビングポイントとして知られ、「福岡市内にこんな青い海が!」と驚く人も多い美しいビーチ「勝間海岸」や、海の守護神を祀る龍の都「志賀海神社」(参道に万葉歌碑あり)、レンタサイクルに乗って、島の周囲を廻るサイクリングロードもおすすめ。
新鮮で豪勢な海鮮料理で、腹ごしらえを。福岡の自然を思いっきり満喫し癒されましょう!
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能古島に来たなら、四季折々の花が美しい「のこのしまアイランドパーク」へ!
フェリーで約10分の好アクセスで豊かな自然に出会える周囲12kmの「能古島」。
島の高台にあり、宿泊施設も備えた「のこのしまアイランドパーク」は博多湾が一望できる最高のロケーション。福岡の花の名所であり、春は菜の花、夏はひまわり、秋はコスモス、冬は水仙など、四季折々の花が迎えてくれます。そのほか島内には、「能古島キャンプ村・海水浴場」があり、5月~9月には海の家やバンガローがオープン。まさに南の島の常夏気分に浸れます。
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③香椎(福岡市東区香椎1丁目23)
「いざ子ども 香椎の潟に 白妙の 袖さへぬれて 朝菜摘みてむ」(大伴旅人)(巻6・957)
「さぁ、みんな、香椎潟で着物の袖までぬらして朝餉(朝食)の海藻をつもう。」
神亀五年(728)11月、大宰府の長官・大伴旅人、次官・小野老、豊後守宇努首・男人の三人が香椎宮へ参拝し、その帰り香椎潟に駒を止めて、それぞれ歌を詠んだといわれています。昭和初期まで、この丘のふもとまで波が打ち寄せ、潮干狩りができる磯浜で人々の営みを眺めることができたと聞けば、当時の様子が想像できますね。
寄り道したい!最寄りの観光スポット「香椎宮」
西征中この地で没した仲哀(ちゅうあい)天皇の霊を、神功皇后(じんぐうこうごう)が祀ったのが宮の起源とされる「香椎宮」。
香椎造りで著名な本殿は、国指定の重要文化財。周辺には、神功皇后の新羅遠征で功績を収め、300歳までも生きたという伝説の人物・武内宿禰(たけのうちのすくね)ゆかりの不老水や、神功皇后ゆかりの綾杉の大木などがあります。6月頃には、香椎宮楼門前の菖蒲池に咲く約5千本の花が見もの。
香椎宮
④鴻臚館(こうろかん)
「今よりは 秋づきぬらし あしひきの 山松かげに ひぐらし鳴きぬ」(巻15・3655)
「今はもう秋になってしまったらしい。山の松陰でヒグラシが鳴き始めた。」
遣新羅使の一行が筑紫館(のちに鴻臚館と改称)で詠んだ歌の一首。歌の内容から、中山平次郎博士(福岡の病理学者、考古学研究家)が、福岡城内に筑紫館(のちに鴻臚館と改称)があったことを推定した証拠の一つにもなったといわれています。 以後、行われた発掘調査では、この万葉歌にある遣新羅使が向かった新羅の土器も多く含まれていたことから、改めて博士の推測を証拠づける結果となりました。
寄り道したい!最寄りの観光スポット「舞鶴公園」
四季折々の自然が満喫できる桜の名所としても有名な美しい公園。春には多くの花見客で賑わい、その他、ビール祭りやグルメフェアなど、年間を通して様々なイベントが開催されています。
舞鶴公園
⑤大濠公園
「しろたへの 袖の別れを 難みして 荒津の浜に やどりするかも」(巻12・3215)
「あなたとこのまま離れてしまうのが惜しいので、荒津の浜で一夜の宿を取ってしまいました。」
この歌が詠まれた当時、この辺りは博多湾の入江になっていたところ。次に紹介する「西公園」の歌碑と問答歌になっていて、これから都に帰る、あるいは中国大陸に渡る者が見送りに来た人との別れを惜しむ、切ない心を詠んだ歌です。
市民の憩いの場「大濠公園」
福岡市のほぼ中央に位置する「大濠公園」は、福岡に暮らす人なら誰もがきっと一度は訪れたことのある場所の1つ。博多や天神の都心部から、地下鉄やバスで気軽に行けるリラクゼーションスポットとして親しまれています。
寄り道したい!最寄りの観光スポット「福岡市美術館」
日本近代建築界の巨匠・前川國男が遺した建築意匠を尊重しつつ、西側に新しいアプローチを設け、大濠公園から直接入れる入り口を新設。広々としたエントランスで、公園からも美術館がよく見えるようになりました。
新設した公園側入り口にはカフェが誕生。大濠公園を眺めながらゆっくりと軽食など楽しむことができます。1階カフェは19時まで、2階レストランは20時半(ラストオーダー19時半)まで営業します。
福岡市美術館
⑥西公園
「草枕旅行く君を荒津まで送りぞ来ぬる飽き足らねこそ」(巻12・3216)
「旅立つあなたを荒津の浜まで見送りに来てしまいました。いつまでも心残りですので。」
西公園参道入り口に立つ、愛しい人を想って歌った問答歌。西公園は、かつて荒津山と呼ばれ、博多湾に突き出していました。
桜の名所「西公園」
展望台からは、東に福岡市街地、北に博多湾や海の中道、志賀島など見事な景観が一望できます。公園内には約1,300本の桜が植栽されており、春には多くの花見客で賑わいます。
西公園
⑦唐泊(西区)
「からとまり 能許の浦波 立たぬ日は あれども家に 恋ひぬ日はなし」(巻15・3670)
「韓亭(からどまり)や能許の浦に波が立たない日があったとしても、故郷の家を恋しく思わない日はない。」
糸島半島の東岸にある唐泊港。古くから韓泊、能許の亭と呼ばれ知られていたこの港を見下ろす山腹に、臨済宗妙心派の唐泊山「東林寺」があります。歌碑は、天平八年(736)に新羅に渡った遣新羅使一行が詠んだ歌。筑紫館(後の鴻臚館)を出発し、荒津の浜から船出して韓泊に到った遣新羅使が、都を偲んで作った歌です。
寄り道したい!最寄りの観光スポット「福岡市海づり公園」
園内には軽食コーナーや魚拓展示コーナー、展望所、身体障害者用トイレ、休憩所や授乳室もあり、売店では道具やエサを販売、貸し竿(有料)もあるので手ぶらでも安心です。初心者の方には、釣り方や仕掛け作りの指導を行っています。
福岡市海づり公園
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