博多旧市街エリア(秀吉と博多の豪商コース)
古くから貿易で栄えていた博多のまちは、戦国時代の争奪合戦により荒廃しました。九州平定後、博多入りした「豊臣秀吉」は検分を行い、復興のための町割りをスタートさせました。
この太閤町割りの実務を担ったのは、軍師「黒田官兵衛」や「石田三成」で、貿易により巨万の富を得た博多の豪商「神屋宗湛・嶋井宗室」も大きな役割を果たしました。その後、博多のまちは碁盤の目のような美しい街並に復興したのです。
今の博多を作り上げた先人たちの足跡をたどってみませんか。
櫛田神社
博多の総鎮守として、「お櫛田さん」の愛称で広く市民から親しまれている神社。祭神は、大幡主命(おおはたぬしのみこと)・天照大神(あまてらすおおみかみ)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)。
当社は、天平宝字元年(757)、孝謙天皇の時代に伊勢松坂の櫛田神社を勧進したものだと考えられており,現在の社殿は、天正15年(1587年)に豊臣秀吉が博多復興にあたり、建立寄進されたものです。
博多の夏の風物詩として全国的にも有名な博多祇園山笠は,当社に奉納されます。
境内には、移設された嶋井宗室屋敷跡の塀(博多べい)や太閤町割りの際に神屋宗湛が使ったという間杖のレプリカとともに秀吉が発した「定」の複製品も展示されている博多歴史館があります。
- 住所
- 福岡市博多区上川端町1-41
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博多千年門
博多千年門は、寺社町エリアへと導くウエルカムゲートとして平成26年3月に完成しました。「博多のこれまでの歴史の積み重ねと、これから1000年先までの繁栄を祈念するもの」という思いを込めて名付けられました。太宰府天満宮より寄贈された樹齢千年の「千年樟(せんねんぐす)」を使っていたり、欄間には博多織の献上柄模様が彫られていたりと、荘厳な雰囲気の中に博多らしさが髄所に散りばめられています。
- 住所
- 福岡市博多区博多駅前1丁目承天寺通り
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妙楽寺
正和5年(1316年),月堂宗規(げつどうそうき)が創建した臨済宗大徳寺派のお寺。当初は、海沿いの「沖の浜」と呼ばれる場所にあった。
天正年間(1573~1591年)に火災で焼失したが,初代福岡藩主の黒田長政が福岡に入国後,現在の地へ移転された。本堂裏の墓地には,黒田家重臣らの墓石や戦国時代に荒廃した博多の町を復興させた豪商,神屋宗湛(かみやそうたん)の墓もある。
また,ういろう発祥の地としても知られている。
- 住所
- 福岡市博多区御供所町13-6
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神屋宗湛屋敷跡(豊国神社)
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。天正10年(1587)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。同年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察し、町割りに着手した。その際、当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。現在、屋敷跡には秀吉を祀る豊国神社が明治19年(1887)に創建され、町割りに使った6尺6寸の間杖がご神体だったが、戦災で焼失している。
- 住所
- 福岡市博多区奈良屋町1-17
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大同庵跡
京都大徳寺(だいとくじ)の古渓(こけい)(宗陳)(そうちん)は天正(てんしょう)16年(1588)豊臣秀吉の怒りにふれて博多へ追われた。博多では古渓を慕う豪商の島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)らが古渓のために、大同庵(だいどうあん)を建てて居住させた。古渓は茶会を催したりして時を過ごしたが、天正18年(1590)許されて京都に帰った。
- 住所
- 福岡市博多区奈良屋町-4-25
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福岡藩主 黒田家墓所
黒田家の菩提寺であった崇福寺境内の西北に接して所在する歴代の墓所。藩祖・黒田如水、初代・長政、四代・綱政、六代・継高、七代・治之、九代・斉隆の歴代藩主とその一族、また直方藩主などを中心に祀っています。昭和25年(1950)に改葬工事が行なわれ、二十数基あった石塔は如水などの一部を除き廃されました。現在は12基の石塔が残されています。福岡藩の歴史遺産として、大変価値の高い市指定の史跡です。
- 住所
- 福岡市博多区千代4丁目7
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