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知っていると見物の楽しさ倍増!?博多祇園山笠のあれこれ

博多祇園山笠博多祇園山笠は、700年以上続く、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事。2016年12月には、「山・鉾・屋台行事」として、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。このお祭りでは、長い伝統もさることながら、その行事やそこで使用される道具に独特の言い回しがたくさんあります。ここでは、そんな山笠の“うんちく”を紹介します!

icon_box山笠はここから始まった!
icon_box山笠を構成する7つの流(ながれ)とは?
icon_box街を疾走する舁き山笠 (かきやまかさ)
icon_box勇壮な舁き手(かきて)たち

 

山笠はここから始まった!

山笠の起源については諸説ありますが、一般には1241年、博多承天寺の開祖・聖一国師が、疫病を鎮めるために人々が担ぐ施餓鬼棚に乗って甘露水(祈祷水)を博多の街にまいたことが始まりと言われています。

承天寺(2009)

博多祇園山笠発祥の碑がある承天寺

舁き山笠は7つの流(ながれ)ごとに1基ずつ作られ、流ごとに舁かれます。流とは、10~15くらいの町が集まって1流とする、いわば町の自治組織で同時に山笠をはじめとする祭りを運営する単位です。

博多にこうした組織ができたのは、1587年に豊臣秀吉が行った「太閤町割り」と呼ばれる区画整理によるものです。秀吉はさらに楽市楽座などの施策で博多商人の商業活動を保護しました。山笠は博多商人による経済的バックボーンのもと、堅固な自治組織によって、祭りとしての形態を固めていきました。

当時の山笠はゆっくり巡っていたようですが、現在のような「追山笠」が誕生したのは、江戸時代の1687年に起こった「騒ぎ」がもとになっています。竪町(恵比須流)に嫁いだ土居町(土居流)の花嫁が、花婿ともども里帰りしたところ、土居町の若者が余興として花婿に桶をかぶせるなどしたため、竪町の若者が怒って押しかけ一触即発に。この場は何とか収まったものの、恨みが残っていた恵比須流は山笠のとき、昼飯を食べていた土居流を追い越そうとして、土居流も負けてはならじと走り、これが評判を呼び「追山笠」に発展したといいます。

舁き手のいでたちも、初めは締め込みだけの裸に近いものでしたが、明治時代に西洋文化が入ってくると、政府は山笠は野蛮だとか、あれこれ理由をつけて禁止しようとします。そこで「お尻丸出しが悪いなら法被を着ればよい」と、全員が水法被を着用して切り抜けました。

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飾り山(櫛田神社境内)

飾り山笠と舁き山笠に分離されたのもこの時代です。本来は現在の飾り山笠を舁いていましたが、明治になって電線が張り巡らされたことから、それまでの山笠を「飾り山笠」とし、高さを低くしたものを「舁き山笠」として舁き廻るようになったのです。

山笠は伝統を守りながら時代の変遷とともに工夫され、今日まで伝承されています。

 

山笠を構成する7つの流(ながれ)とは?

流とは、博多祇園山笠を運営するにあたっての基本となる組織(区域)のこと。流は、いくつかの「町」(現在でいう自治会のこと。)で構成され、1つの流で1本の山笠を運営しています。現在7つの流があり、その運営方法やしきたりは各流や各町によって異なります。

【博多町割図(流構成地図)】

流構成地図

◆恵比須流(えびすながれ)

古くからある流で、旧七流(豊臣秀吉による太閤町割りで成立した七つの流のこと。)の一つ。旧町11ヶ町で構成されています。当番法被(山笠期間中の正装で、長法被のこと。)、水法被(山笠を舁(か)くときに着る短い法被のこと。)とも各町独特の柄。舁き手の数は少ないですが熟練した舁き手が多く、櫛田入りではその神髄を発揮します。

◆土居流(どいながれ)

櫛田神社前の土居通りに面した10ヶ町で構成される旧七流の一つ。当番法被、水法被とも各町独自のデザインで、ほとんどが久留米絣(くるめかすり)を用い、“粋”との評判があります。

◆大黒流(だいこくながれ)

那珂川東側の町々12ヶ町で構成。旧七流から続く伝統があり、昔ながらのしきたりも色濃く残っています。流の名称は、博多のもうひとつの祭り「博多松ばやし」の大黒天(大国主命)に由来しています。

◆東流(ひがしながれ)

旧七流の東町流を母体に、昭和41年にいくつかの流が合流して発足しました。JR博多駅から北に延びる大博通り東側がその区域となっています。

◆中洲流(なかすながれ)

戦後に生まれた流ですが、戦後から高度経済成長期の間に起こった流の統廃合に左右されることなく続いてきました。舁き手には福岡への転勤族も少なくありません。

◆西流(にしながれ)

昭和41年の町界町名整理を機に、いくつかの流が加わって成立した流です。伝統を守り、長老や役員を敬う習慣がしっかり継承されている一方、若手衆による勉強会など新しい行事も始まっています。

◆千代流(ちよながれ)

中洲流れと同じく戦後に生まれた流。この地域には集合住宅が多いため、山笠参加者の数は圧倒的に増えています。子供山笠など後進の育成にも力を注いでいます。

 

街を疾走する舁き山笠 (かきやまかさ)

重さ1トンもの山笠が26人から28人の男達に担がれて博多の街を疾走します。異彩を放つ祭りの主役、舁き山笠は、6本の舁き棒を中心として、釘を1本も使わず麻縄で締めて頑丈に組み立てられます。

舁き山(全面)

①舁き棒(かきぼう)

舁き棒は6本あり、棒の先端の細い方を棒鼻(ぼうはな)、中央部の太い方を台下と呼びます。棒の先端には鼻金(はながね)という金物が付いています。

②鼻縄(はななわ)

1番外側の一番棒の先端四ヶ所に取り付けた鼻金に、荒縄を束ねたものを付け、押し込んだり、引き込んだりして山笠の舵を取ります。

③標題(ひょうだい)

向かって右に飾り人形の題材を、左に山笠の番号と流名を書きます。

④への字(へのじ)

4本の台脚を補強する樫の横木で、「へ」の字に湾曲しています。中央部が高くなっているため、舁き手が山笠の前で転倒しても押しつぶされません。

舁き山(裏面)

⑤台旗(だいばた)

山笠が動かないとき(据え山)は、白と赤で祇園紋などを染めており、山笠を舁(か)き出すときは、白と青で祇園紋と流名を染めています。

⑥赭熊(しゃぐま)

赭熊とは本来赤く染めた白熊の毛で払子(ほっす・禅僧用具)などに用いますが、博多祇園山笠では普通白色を使い、山小屋に山を飾り据えた時、見送り杉壁添いの内側中央部に差し立てて飾ります。非常に高価なものです。

⑦台弓(だいきゅう)

赭熊の両側に差して飾るもので、魔除けの意味があります。

⑧台幕(だいまく)

櫛田神社と祇園宮のご神紋を染めた幕。据え山のときは赤、舁き山のときは青に張り替えます。

 

勇壮な舁き手(かきて)たち

山笠のさまざまな様式は、練り上げられた“男の美学”かもしれません。水法被(みずはっぴ)に下は締め込み一本といういでたちにも美学があります。

男衆(前)

⑨水法被(みずはっぴ)

山笠を舁くときに着る短い法被。各流や各町でデザインが違い、白地に染め抜きや久留米絣で出来ていて、転倒時に襟首をつかんで助けるとき法被が脱げないように、両裾を前で結んでいます。

⑩お守り(おまもり)

櫛田神社に初穂料を包んで拝受します。タスキ形と首から下げる形が有る。毎年新しいものを身につけます。

⑪手拭鉢巻き(てのごいはちまき)

当番法被のときは腰の帯に差し、水法被のときは鉢巻きにします。流や町内で作った一般用の手拭と、赤、青、茶などを使った役員用の手拭があり、手拭の色やデザインで鉢巻きにしたときも役職が分かるようになっています。

⑫腹巻き(はらまき)

腹部を保護するためサラシを巻きます。

⑬脚絆(きゃはん)

すねを保護するためのもの。虫除け効果もあり、締め込み姿の足下を引き締め、軽快さを演出します。

男衆(後)

⑭締め込み(しめこみ)

相撲取りのマワシほど厚くないですが同様のものです。

⑮舁き縄(かきなわ)

長さ約120センチの荒縄で作ります。山笠を舁くときにこれを棒に掛け、棒と肩を密着させます。滑ったりしたときの命綱にもなります。使わないときは締め込みの後ろに差しておきます。

⑯地下足袋(じかたび)

明治末頃まではわらじでしたが、地下足袋の普及とともに、これに変わりました。指股があるので踏ん張りが利きます。

 

色々な“うんちく”を知って山笠を見物するとより深く楽しむことができるかもしれませんね。山笠見学に行く際にはぜひチェックしてみてください。

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