大同庵跡
だいどうあんあと
中洲川端エリア![大同庵跡](https://yokanavi.com/assets/uploads/1970/01/6ff52222287a4ffc3c040cab3a1ef594-1024x768.jpg)
![古渓和尚](https://yokanavi.com/assets/uploads/1970/01/734095d94768975827e46bf541d25121-1024x768.jpg)
![古渓水碑](https://yokanavi.com/assets/uploads/1970/01/115c9846e7881aee59dec677a397e037-1024x768.jpg)
![博多古図](https://yokanavi.com/assets/uploads/1970/01/b796cd33e628f9b6456d17d33c53a2e3-1024x768.jpg)
京都大徳寺(だいとくじ)の古渓(こけい)(宗陳)(そうちん)は天正(てんしょう)16年(1588)豊臣秀吉の怒りにふれて博多へ追われた。博多では古渓を慕う豪商の島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)らが古渓のために、大同庵(だいどうあん)を建てて居住させた。古渓は茶会を催したりして時を過ごしたが、天正18年(1590)許されて京都に帰った。
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観光スポット情報
だいどうあんあと
中洲川端エリア京都大徳寺(だいとくじ)の古渓(こけい)(宗陳)(そうちん)は天正(てんしょう)16年(1588)豊臣秀吉の怒りにふれて博多へ追われた。博多では古渓を慕う豪商の島井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)らが古渓のために、大同庵(だいどうあん)を建てて居住させた。古渓は茶会を催したりして時を過ごしたが、天正18年(1590)許されて京都に帰った。