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原町街道
唐津街道 原町(からつかいどう はるまち)
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。街道筋に残る歴史的な景観だけでも見ものですが、通り沿いには古美術商などユニークなお店も点在しています。街道全体がひとつの芸術と感じられるような町並みです。
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宗像大社(むなかたたいしゃ)
田島の辺津宮、大島の中津宮、海の正倉院沖ノ島の沖津宮の三宮を総称して宗像大社という。 全国6000余りの宗像大社の総社で、古来から海陸交通 の守り神として信仰されてきた。 沖ノ島で発掘された8万点の国宝は、大社が所有し、境内の中にある神宝館に展示されている。
内部
海の道むなかた館
宗像の歴史の流れをたどる常設展示室をはじめ、年に数回の特別展示などを行っています。3Dメガネを着けて世界遺産登録の中心遺跡「沖ノ島」の神秘的な世界を音と映像でリアルな体験をすることもできます。 館内には図書館や休憩スペースもあり、特産品購入や軽食をとることもできます。 総合インフォメーションではレンタサイクルの受付もあります。
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万葉歌碑(まんようかひ)
日守(ひまもり)神社境内にある歌碑。 天平2年(730年)に太宰府の帥(長官)であった大伴旅人の病気を見舞った弟の稲公と甥の胡麿が、見舞いを終えこの地で別 れの宴を張ったとき、大伴百代が詠んだ歌が刻まれている。
壱岐神社
壱岐神社
日本書記によると武内宿禰(たけうちすくね)の身替りとなって無実の罪に服して死んだ壱岐直真根子(いきのあたいまねこ)の忠魂を祭った社である。伝説では生の松原の地名は、神功皇后が松の枝を逆にさして戦勝を占ったとき、その枝が生きて栄えたことから付けられたとされている。後年その松は函松(はこまつ)といっていたが、今は枯れてしまってその一部を御神前に奉納され崇敬のまととなっている。
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八所宮(はっしょぐう)
10月第3土・日の秋季大祭での大名行列は200年の伝統を誇り、豪華な装束を身にまとった行列が続く。広い境内は自然にも恵まれ、県指定の天然記念物トキワガシ・イチイガシの樹木が見事。
赤間宿跡
赤間宿跡(あかましゅくあと)
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。 都落ちした三条実美らが投宿し、本陣からの眺望を絶賛したと言われる。現在でも白壁、格子造りの家並みが続き、辻井戸なども残っており、江戸時代の面 影を今に伝えている。
大平寺跡
大平寺跡(たいへいじあと)
筑前国続風土記によると「桧原(ひばる)村の内にて橿原(かしわばら)の境にある禅寺なりしとかや今に其跡残れり。広さ78反ばかりあり、本尊観音は朽ちはて、仏体とも見えざる村人草の庵をかまえて入れ置きけり、那珂郡屋形原(現福岡市)に居たる千葉探題(たんだい)帰依の寺なりし故むかしは大寺なりしとかや」と見え、現在寺跡に阿弥陀如来坐像の石仏や梵字を刻んだ供養塔がある。
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須恵町立歴史民俗資料館
町立としては九州で初めて、また全国的にもまだまだ町立資料館が珍しかった時期に開館した先駆的な資料館。貴重な考古資料や戦前の生活用具、昭和のおもちゃまで、暮らしの歩みを語るモノを多数収蔵している。
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岩崎神社
毎年9月の第1日曜日に行われる伝統行事、石投げ相撲が有名。江戸末期、当時流行していた悪疫退散の万年願をかけて、村の若者が水車橋付近に集まって相撲を取ったのが始まりと言われています。今では子ども相撲なども行われています。
七夕池古墳
七夕池古墳(たなばたいけこふん)
昭和48年に箱式石棺が発掘された大型円墳で、国指定の史跡です。副葬品には銅鏡や琴柱形石製品などがみられ、被葬者は高齢の女性で巫女的な存在であった言われています。石室や出土品より5世紀前半と推定されています。
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新硯稲荷神社
新硯稲荷神社は櫛田神社近くの「博多町家ふるさと館」の向かい側,通路の奥にあります。 祀られている「宇賀御魂命」(うかのみたま)の「ウカ」は古い言葉で穀物・食物の意味。元々は農業の神ですが,現在は商工業を含め産業全体の神として信仰されており,毎年2月にはその年の実りを祈念する「初午祭」が執り行われます。 この神社の特徴は,他の稲荷神社に狐の石像があるのと違って,屋根瓦に狐の像が潜んでいるこ...
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大宰府政庁跡
“都府楼跡”の名で親しまれている大宰府跡は九州全体を治める役所大宰府があった所である。7世紀の後半から奈良・平安時代を通じて九州を治め、わが国の西の守り役として防衛を、また外国との交渉の窓口として重要な役割を果たしてきた。現在も大宰府跡の中心にはその大きさをしのばせる立派な礎石が残り、そこを中心に門や回廊、そして周辺の役所跡が復元され、公園となっている。
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姪浜住吉神社
姪浜住吉神社祭神は、家内安全・海上安全・交通安全・開運・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛のご利益があるとされ、宮司がクイズミリオネアでパーフェクトを達成したことから開運の神社として特に有名です。 住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国 船来襲の調伏祈願の折にご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭...
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水城跡(みずきあと)
博多の方から来ると太宰府市に入ってまもなく道路や線路を横切って木立に覆われた丘が続く。それが664年、唐と新羅の攻撃に備えて築かれた防衛施設水城(みずき)である。その規模は全長1.2km、基底部の幅80m、高さ10mを超え、すべて人の手で築いた人工の土塁(土の堤防)である。そして名のとおり海側(博多側)に幅60m、深さ4mの堀を造り、水を貯えた。春日市、大野城市にも小規模な水城が残っている。
公園内
奴国の丘歴史公園
日本で初めて小銅鐸の鋳型が出た国指定史跡・岡本遺跡を中心に整備した公園。現在、池や樹木に囲まれた奴国の森と、カメ棺墓や弥生時代中期の遺構を修復・復元した遺跡の丘が完成している。
五郎山古墳と古墳館
五郎山公園(ごろうやまこうえん)
国指定史跡・五郎山古墳を有する公園。歴史性や郷土性を強調し、豊富な自然樹木を活かしてつくられた。水辺の広場、林の広場、遊びの広場、桜の広場など特色あるゾーンが広がる。野外実習教育にも活用されている。
名島帆柱石
名島帆柱石(なじまほばしらいし)
古第三紀志免層群名島層の砂山、礫岩層(れきがんそう)中に含まれる珪化木(けいかぼく)で、9個の円柱状石からなる。 香椎宮の社伝によれば、神功皇后が三韓出兵の時使用した船の帆柱が化石になったものとされている。 波打際の岩の上に輪切りにされた数個の丸い柱状の石が時をしのばせるように並んでいる。

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