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八雲神社
八雲神社(やくもじんじゃ)
祭神は素盞鳴命、櫛稲田姫命、大己貴命。明治年間(1868~1912)に村内の4社から6神を合祀し、現在9神を祀っている。市指定の有形民俗文化財の若武者絵馬は、黒田藩四代藩・主綱政が、元禄14年(1701)に青木神社(祇園社)へ奉納したもので、筑前御用絵師の重鎮・狩野昌運の筆によるもの。元旦には獅子舞(市指定無形民俗文化財)が奉納される。
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宗生寺(そうしょうじ)
禅宗(曹洞宗)の名刹。桃山時代の武将で筑前の領主・小早川隆景の墓所やツツジの庭園で知られている。 境内に安置されている馬頭観音は奈良時代の僧行基の作とされる秘仏で、33年に2回開帳される。
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平塚古墳(ひらつかこふん)
以前は直径18mほどの古墳であったとみられ、巨大な箱式石棺が発見された。棺の底からは管玉 17個が発見され、この管玉の特徴が古墳時代のものより弥生時代のものに近かったため原始古墳ではないかと推定されている。
外観
粕屋町立図書館・歴史資料館(粕屋フォーラム2階)
交通の便が良く、町の中心に位置する文化施設として、生涯学習の“場”を開き『ゆとりある生活空間都市かすや』を創造し、必要な資料や情報を提供することを目的としています。歴史資料館には、復元作業室の公開や、地域の考古遺物や民族資料の紹介をおこなっています。
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独鈷寺(とっこじ)
延暦年間に建立された天台宗開祖の寺と伝えられている。伝教大師(最澄)が唐からもち帰ったとされる独鈷と鏡が祭られている。境内には干雨に関係なく清水が湧き出る独鈷水や、最澄が座禅を組んだといわれる石が残る。
左谷山建正寺しだれ桜
左谷山建正寺(さたにやまけんしょうじ)
平安時代に開かれた天台宗系の寺院で、伝教大師最澄が創建したと伝えられている。 本尊の十一面観音像は平安後期の作で、県の指定文化財。毎年4月の第1日曜日は十一面観音の開帳日でたくさんの参拝客でにぎわう。
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旧志免鉱業所竪坑櫓(きゅうしめこうぎょうしょたてこうやぐら)
旧志免鉱業所竪坑櫓は、かつて炭鉱として志免町が栄えてきた証であり、炭鉱閉山後、現在に至るまで志免町のランドマークとなっています。この竪坑櫓は近代の鉄筋コンクリート構造物の中で、わが国有数の高さを誇り、建設技術史上価値が高いことから、平成21年12月8日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。鉄筋コンクリート製、47.6mの高さがあり、昭和18年に第四海軍燃料廠により建造されました。
筥崎宮
筥崎宮
宇佐・石清水と並ぶ日本三大八幡のひとつ。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫命。延長元年(923)、穂波郡大分八幡宮から遷座したのが創建。この地は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から対外交易の基地として賑い、その後も元冦の戦場など多彩な歴史に彩られている。本殿、拝殿、楼門、一ノ鳥居、石燈籠など多くの国指定重要文化財が存在する。「玉せせり」や「放生会大祭」などの祭りには多くの人々が訪れる。
大楠
五所八幡宮(ごしょはちまんぐう)
市内随一の大社で、古くから地域住民に親しまれています。 創立は史料の焼失などで明らかではありませんが、残っている棟札には明応2年(1493年)との記載があり、歴史の古さを物語っています。 また、境内にある大楠のこぶをよく見るとあの有名な妖精「ムーミン」そっくりだということが発見されました。この不思議な偶然は大反響を呼び、今では全国からファンが見学に訪れる名所です。
大野城跡航空写真
大野城跡
太宰府市・大野城市・宇美町の2市1町にまたがる四王寺山にあります。山全体を全長約8kmに及ぶ土塁(一部は石垣)で囲んだ日本最古の古代山城です。665年に大宰府政庁防衛施設の一つとして築かれました。築造には百済亡命貴族の指導があったと記録されています。山城の中には礎石建物跡(約70棟)や城門跡(9箇所)確認されており、当時の城の様子をみることができます。また「日本名城100選」にも選ばれており...
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神屋宗湛屋敷跡(豊国神社)
神屋宗湛(1553~1635)は博多を代表する貿易家。天正10年(1587)の大阪城茶会で秀吉から「筑紫ノ坊主」と呼ばれ、千利休と会席する茶人でもあった。同年、秀吉と箱崎から南蛮船に乗り荒廃した博多を視察し、町割りに着手した。その際、当地に間口13間半、奥行30間の宅地を与えられた。現在、屋敷跡には秀吉を祀る豊国神社が明治19年(1887)に創建され、町割りに使った6尺6寸の間杖がご神体だっ...
五重塔
東長寺
真言宗九州教団の本山で、山号は南岳山。本尊は弘法大師(空海)。 寺伝では大同元年(806)、唐から帰国した弘法大師が、密教東漸を祈ったと伝えられている。 弘法大師創建の寺としては日本最古で、当初は海辺の地にありましたが、福岡藩二代藩主・黒田忠之によって現在地へと移り、黒田家により300石の寺領と山林15万坪の寄進がなされた。墓地には二代・忠之、三代・光之、八代・治高の墓があり、現在は市指...
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住吉神社
祭神は底筒男神・中筒男神・表筒男神の住吉三神。式内社。筑前国一宮。昔の地形は博多湾に臨む那珂川河口の岬だった。全国に約2000社ある住吉神社の始源と考えられ、開運除災・航海安全・船舶守護の神として崇拝されてきた。和歌神としても崇敬され、連歌師の宗祇も訪れている。直線的な屋根などに、仏教建築と対照的な古来の神社建築の名残をとどめている。本殿は国指定重要文化財で、神社が所蔵する同剣や銅戈十一口は...
浄満寺
浄満寺(亀井南冥・昭陽の墓)(じょうまんじ/かめいなんい・しょうようのはか)
寛保3年(1743)、医家の子として生まれた亀井南冥は、上方に遊学し、医学を山脇東洋の高弟・永富嘯庵に学んで帰国。21歳で朝鮮通信使と詩文の応接をなし、世間の人々を驚かせた。天明4年(1784)、藩校甘棠館の創設に伴い館長に迎えられて多く人材を育成し、志賀島から金印が出土したこの年に、『金印弁』を著してその保護に尽力した。その学統は子・昭陽に継がれた。浄満寺境内には一門の墓があり、県指定の史...
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志賀海神社
祭神は海洋の神である、底津綿津見神・仲津綿津見神・表津綿津見神。この地は海人を統率した古代の有力氏族・阿曇氏発祥の地です。神社内の万葉歌碑にも詠まれたように、古来より海上の守護神として崇拝されてきました。神社には国指定重要文化財の朝鮮製鍍金鐘、県指定文化財の細形銅剣鋳型を所蔵し、境内には石造宝篋印塔があります。また、歩射祭、山誉祭、神幸神事は、県の無形民俗文化財に指定されています。
三所神社
三所神社(さんしょじんじゃ)
祭神は田心姫命・湍津姫命・市杵島姫命。創立は神亀5年(728)で、江戸時代に筑前五ヶ浦廻船の基地であった宮浦の氏神として祀られている。この神社に掲げられている板絵着色武者絵馬は、宮浦の船頭4人が享和3年(1803)に奉納したもので、加藤清正の虎退治を画題としている(縦80.0cm、横121.5cm)。作者は葛飾北斎の高弟の江戸の浮世絵師・柳々居辰斎。五ヶ浦廻船の最盛期を裏付ける絵馬で、文化財...
梵鐘
西光寺(梵鐘)(さいこうじ/ぼんしょう)
西光寺は浄土真宗本願寺派。文明元年(1469)に天海が創建した。国宝でもある梵鐘は平安時代初期のもので、我が国の紀年銘鐘では4番目の古さとなる。池の間に陽鋳された銘文によれば、承和6年(839)に伯耆国(鳥取県)の金石寺の鐘として鋳造されたとしている。江戸時代に出雲大社などを経て、明治30年(1897)、当寺に納められた。現在、梵鐘は覆屋の中に保存され、毎月1日と16日に見ることができる。
菊池神社
菊池神社(きくちじんじゃ)
明治2年(1869)に神殿と拝殿を建立。祭神は菊池武時・埴安命・大鷦鷯命。武時は元弘3年(1333)に最後の鎮西探題・北条英時を攻めて敗死した鎌倉末期の武将である。馬上の武時の首が落ちた所が六本松の首塚で、胴が落ちたのが七隈の胴塚という伝えがあり、首塚と伝えられた旧鳥飼村馬場頭(中央区六本松三丁目)にも菊池霊社が建てられている。毎年7月に夏越祭り、11月に菊花大祭が催される。

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