観光・体験
Sightseeing & Activity
享保の飢饉の犠牲者は、筑前国内で死者10万人とも言われている。 飢饉で亡くなった人を祀る市内各所の飢人地蔵のひとつで、博多川沿いにまつられている。おにぎり地蔵や味噌食い地蔵など、各地域の人が今も祭礼を受け持つ。 毎年、8月23日、24日には供養祭が行われている。
九州を平定した豊臣秀吉が、小早川隆景に命じて、天正16年(1588)から修築し、九州監察の拠点とした。
慶長5年(1600)黒田長政が入城したが、福岡城を築いてからは廃城となった。
また、神社は当初、山上にあったが、隆景が修築のとき、本丸下の現在地に移されたものである。
旧唐津街道の宿駅、筑前21宿のひとつ。街道筋に残る歴史的な景観だけでも見ものですが、通り沿いには古美術商などユニークなお店も点在しています。街道全体がひとつの芸術と感じられるような町並みです。
江戸初期の貿易家・伊藤小左衛門の子である小四郎と万之助の霊を祀ると伝えられ、子供の息災の神として崇敬されている。小左衛門は朝鮮への武器輸出が発覚し、寛文7年(1667)長崎西坂で処刑され、その家族も連座して処刑された。人々は幼い子供の死を悼み祀ったという。しかしながら、藩主の信任の厚かった伊藤家への配慮か、母子3人は助命されたという言い伝えもある。
筵内の大通り(県道)から少し入ると、まるでタイムスリップしたようななつかしさを覚えるのが熊野神社。 243段の石段は、古賀市最長で、登っただけでも息が切れそうです。 拝殿内に掲げられている数多くの絵馬の中でも、抜け出して暴れ回らないように手綱を書き加えられたと伝えられる繋馬図(黒馬の大絵馬)や神殿の龍の 彫刻など貴重な文化財が残されています。
能古島の産土神(うぶすながみ:生まれた土地の守り神)で、祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)・志賀明神(しかみょうじん)などです。能古島という地名には、「神功皇后が住吉の神霊を残した島なので残島(のこのしま)になった」といういわれがあり、この神霊をとどめたのが白鬚神社だといわれています。毎年10月9日に行われる「おくんち」は、福岡市の無形文化財に指定されています。
祭神は大己貴命など9神を祀る神社で、由緒は不詳。村内数神社の祭神を大正時代に村社の八坂神社に合祀したもの。7月14・15日の祇園祭では、獅子舞や祇園囃子(共に福岡市指定無形民俗文化財)が上演される。
明治2年(1869)に神殿と拝殿を建立。祭神は菊池武時・埴安命・大鷦鷯命。武時は元弘3年(1333)に最後の鎮西探題・北条英時を攻めて敗死した鎌倉末期の武将である。馬上の武時の首が落ちた所が六本松の首塚で、胴が落ちたのが七隈の胴塚という伝えがあり、首塚と伝えられた旧鳥飼村馬場頭(中央区六本松三丁目)にも菊池霊社が建てられている。毎年7月に夏越祭り、11月に菊花大祭が催される。
福岡平野東南部、月隈丘陵から延びる丘の上に築かれた円墳。大きさは直径34m、高さ9m。内部主体は複室の横穴式石室で、全長11.2mを誇る。大きな花崗岩を組み合わせて造られた石室は、福岡平野で最大級の規模だ。墳丘・石室の規模から御笠川中流域の有力豪族を被葬者とし、6世紀末〜7世紀初頭に築造された古墳と考えられている。石室の保存状態は良好。中に入って見学できる。
12世紀に日宋貿易が行われていたころ中国から来た人の住んでいた場所の遺跡。
津屋崎小学校の校舎の中にあります。
福津市教育委員会文化財課に電話して日程調整を行ってからお越しください。
浄土真宗西本願寺派で、山号は地福山。ここの庭園は西南側の書院の前面に広がっている。書院の前を流れる自然の小川(金屑川)を利用して、起伏の豊かな白砂の築山を作っている。大小の配石や竹林、広葉樹との調和が美しい市指定の文化財。築庭の年代は定かでないが、その作風から見て江戸時代以前ものと推定される。
寛保3年(1743)、医家の子として生まれた亀井南冥は、上方に遊学し、医学を山脇東洋の高弟・永富嘯庵に学んで帰国。21歳で朝鮮通信使と詩文の応接をなし、世間の人々を驚かせた。天明4年(1784)、藩校甘棠館の創設に伴い館長に迎えられて多く人材を育成し、志賀島から金印が出土したこの年に、『金印弁』を著してその保護に尽力した。その学統は子・昭陽に継がれた。浄満寺境内には一門の墓があり、県指定の史...
近年の発掘調査で新たに発見された防塁で,博多の元寇防塁と推定されています。展示室があり,見学することができます。
※問合先:福岡市経済観光文化局文化財活用課 092-711-4666