観光・体験
Sightseeing & Activity
祭神は仲哀天皇・神功皇后、また応神天皇・住吉大神も共に祭る。西征中この地で没した仲哀天皇の霊を、神功皇后が祀ったのが宮の起源とされる。香椎は鴻臚館貿易の衰退した12世紀から博多津に代わって栄えた貿易港で、元寇の際は豊後・大友氏が香椎、多々良地区を警固してから、大友氏の支配を受けるようになった。香椎造りで著名な本殿は、国指定の重要文化財。周辺には武内宿禰ゆかりの不老水や、神功皇后ゆかりの綾杉の...
1823(文政6)年の地図が大博通りに展示されている。博多古図と呼び、江戸時代の山笠追い山の順路が朱で書かれた貴重なもの。大博通り沿いには、全16ヶ所に歴史散歩ができる展示が続く。
地図の中には、周辺で出土した貿易船の碇石レプリカや古寺秘蔵の絵なども鮮明に描かれていて、当時の博多の様子や、博多の町並みの移り変わりをうかがえる。
宇美八幡宮は、神宮皇后が応神天皇を出産したといわれる地で、敏達天皇の時代(572年~586年)に創建されたといわれています。境内には、助産師の始祖が祭られている「湯方社」、応神天皇の産湯に使ったとされる「産湯の水」、神宮皇后が出産された際につかまったとされる「子安の木」など安産に関する言い伝えが数多く残っており、多くの方が安産祈願に訪れています。また、これらの安産信仰にまつわる言い伝えは、「...
姪浜住吉神社祭神は、家内安全・海上安全・交通安全・開運・厄除け・災難除け・安産・商売繁盛のご利益があるとされ、宮司がクイズミリオネアでパーフェクトを達成したことから開運の神社として特に有名です。
住吉神社の起源は、奈良時代の天平十五年(西暦七四三年)九月二十九日の夜半、住吉明神のご出現があり、翌年四月十三日にも異国 船来襲の調伏祈願の折にご出現され、このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭...
明治32年、博多誓文晴(払)の創始者漬物屋 八尋利兵衛(やひろりへい)が住吉から中洲付近まで開発し、遊園地「向島」を開園した。
その開園記念に建設された灯籠で、昭和29年清流(せいりゅう)公園内に移された。灯籠には商屋の家号が刻まれていて、当時の博多経済界を知る上で貴重な民俗資料である。
能古島の産土神(うぶすながみ:生まれた土地の守り神)で、祭神は住吉大神(すみよしのおおかみ)・神功皇后(じんぐうこうごう)・志賀明神(しかみょうじん)などです。能古島という地名には、「神功皇后が住吉の神霊を残した島なので残島(のこのしま)になった」といういわれがあり、この神霊をとどめたのが白鬚神社だといわれています。毎年10月9日に行われる「おくんち」は、福岡市の無形文化財に指定されています。
旧志免鉱業所竪坑櫓は、かつて炭鉱として志免町が栄えてきた証であり、炭鉱閉山後、現在に至るまで志免町のランドマークとなっています。この竪坑櫓は近代の鉄筋コンクリート構造物の中で、わが国有数の高さを誇り、建設技術史上価値が高いことから、平成21年12月8日に国の重要文化財(建造物)に指定されました。鉄筋コンクリート製、47.6mの高さがあり、昭和18年に第四海軍燃料廠により建造されました。
古墳時代(4世紀)に造られた、長さ約37mの前方後円墳です。JR筑肥線「九大学研都市駅」や「さいとぴあ(福岡市西部地域交流センター)」のすぐ南側にあります。平成27年に古墳周辺の整備を行い、現在古墳公園としてオープンしています。古墳の上には、新たに盛土を行って保護し、盛土のすそにめぐらした縁石で古墳本来の形を表現しています。盛土の上には説明板が置かれています。
長垂海岸から小戸海岸にかけての約2.5kmにわたる元寇防塁。発掘調査により、防塁は海への傾斜面に幅1〜1.5m、高さ1.8mに石を積み上げ、その後ろを粘土で補強していたことがわかっている。 『蒙古襲来絵詞』の、肥後の御家人竹崎李長が防塁の前を馬上で進む場面は、この生の松原の情景。現在、防塁の一部は整備され、見学することができる。